[PR]看護師の好条件求人なら:転職のプロがあなたをサポート!求人多数

まとめてポン!2003年10月編

“アイデンティティー”
サンダーパンツ!

死ぬまでにしたい10のこと
10億分の1の男
ベスト・オブ・クレモン・フェランA
リード・マイ・リップス





“アイデンティティー”

 「ここに集まったのではない。ここに集められたのだ。」
 @ 精神科医が、録音したテープを聴いている。「アパートの住人6人を殺したのは君か?」。患者は、連続殺人犯。彼には責任能力があるとされ、死刑が確定している。しかし、刑が執行される前夜、再審理が行われることになった。囚人が書いた日記が見つかり、その日記は意図的に隠蔽されていたと弁護側が主張しているのだ。再審理のため、囚人は現在移送中。日記の内容とは、どんなものなのか?弁護側には、死刑を中止させる勝算があるのか?
 A 記録的な豪雨。行き場を失った10人が、次々とモーテルに集まる。夫婦と子供。女優と運転手。娼婦。1組のカップル。そして、最後の客となったのは、移送中の囚人と刑事。事故。殺人。次々と彼らは命を失っていく。死体の傍らには、必ずモーテルの鍵が。10、9、8・・・と、死の順番をカウントダウンするかのように置かれていた。さらに忽然とすべての死体が消え、謎は深まる。やがて、彼ら全員にある共通点があると判明する。一体、誰が仕組んだのか?その目的は何なのか・・・?
 と、↑のふたつのストーリーが展開するこの作品、真面目な話、極力事前の情報なしに頭の中まっさらの状態で観た方が間違いなく楽しめると思うので、ここでは何も書けない。って、レビューじゃないじゃん(笑)。ただし、ひとつだけ言えることは、間違いなく傑作であるということ。あたしは結局2回続けて観ちゃった。非常に綿密に作り込まれた脚本には唸らされる。最後に辿り着く真相には頭を鉈でぶん殴られたような衝撃。って、殴られたことないけど(笑)。なので、あとはネタバレ・レビューでということで。未見の方は、絶対に読まないように。

あの目次へ   2003年の目次へ   INDEX   ページトップへ 

サンダーパンツ!

 「オナラが世界を救う。」
 ピーター・ヒューイット監督の「ハロルド・スミスに何が起こったか」 があたし的には今イチの感が拭えず、この監督の作品とは相性が悪いのかな〜と思っていたんだけど、この作品については予告編を観る限りでは"オナラ"をネタにしたおバカ映画の感が強く、おバカ映画大好き人間としては騙されたと思って観るっきゃない!ということで劇場に足を運んだら、いやいやどうして、モチロン、オナラという下ネタも全編に渡っていておバカ映画のテイストも満載なんだけど、それだけではない涙あり、笑いありのとっても"ブリティッシュ"な、期待以上にとんでもなく面白い作品に仕上がっていたのにはビックリだ。
 主人公のパトリックは生まれつきオナラが沢山出るために、子育てに疲れたお父さんは家出、お母さんはアル中、お姉ちゃんには疎まれ、学校でもいじめられっ子で先生からも相手にされない。でも、生まれつき嗅覚のない天才少年発明家アランだけはパトリックの味方。そんな彼がパトリックの為に発明してくれたオナラを上手く排出してくれる"サンダーパンツ1号"、オナラのエネルギーで空中浮遊するホバークラフトのような"サンダーパンツ2号"で、彼にとっての"人生で最高の日"を何度となく迎えるんだけど、やっぱり物事はそう都合よく進むものでもなく、それと同時に"人生で最悪の日"を繰り返す。この辺のコントラスト(?)が上手い。
 で、当然全編に渡る"オナラ・ネタ"。ツボだったのは、いじめっ子が"サンダーパンツ1号"のガス排出用のランチボックスを開けたときに顔にガス噴射や、自分に自身を持ったパトリックがいじめっ子に仕返しをしようと彼の顔めがけての顔面ガス噴射(笑)などなど。
 そして、宇宙で身動きが取れなくなった宇宙飛行士を救出するために今度はアランが発明したオナラのガスを動力に取り込む宇宙ロケット"サンダーパンツ3号"で宇宙へ飛び立つ!(そう、パトリックの夢は宇宙飛行士になることなのだ)で、離陸後爆発の危険性が高い" サンダーパンツ3号"で飛び立つかどうかの決断を委ねられた際の「今までみんなに疎まれていたけど、生まれて初めて誰かに必要とされた。」と、危険を承知で飛び立つパトリックの言葉に思わずウルウル。ここのくだりで、実はこの映画は単なるおバカ・テイストだけでなく、自分にとっての弱点を長所、利点に変えていこうというメッセージも含まれているということが分かる。そう、自分にとって悩みの種のもの、ことが、実はとんでもない才能が開花するきっかけなのかも知れないんだから。
 そんなこんなでお下品なんだけど後味スッキリという摩訶不思議な感覚を味わうと同時に、時代の寵児、ヒーローとなったパトリックに対する今までとは掌を返したような先生やいじめっ子のコメントなんかは明らかにコロコロ態度を変える人間に対する皮肉が感じられるし、お姉ちゃんだけはパトリックがヒーローになろうともダメ出しを続けるというのがなんともニヤリとさせられる。やっぱりこのあたりがブリティッシュ・テイストなのかな。
 とまあ、あたしは十分楽しんだんだけど、こういう"オナラ・ネタ"なんかがフィーチャーされている作品なら、絶対小学生あたりの子供ウケもすると思うんで、どうせなら字幕版だけでなく、日本語吹替版も作って上映すれば絶対ヒットすると思うんだけどな〜。なんせ、アランを演じているのは「ハリー・ポッター」 シリーズのルパート・グリントくんなんだから、その点でも話題性バッチリだと思うし。でもまあ、これが単館映画の悲しさだね(苦笑)。

さの目次へ   2003年の目次へ   INDEX   ページトップへ

死ぬまでにしたい10のこと

 「彼女は23歳。あと2ヶ月の命。初めて「生きる」と決めた。」
 「スピーディーな人生を楽しみ、死に顔がハンサムであって欲しい。」この名言を吐いたのはAEROSMITH のジョー・ペリーだ。あたしも死ぬときは自分の人生に満足して死にたい。
 という余談はさておき、人は自分の命があと僅かと知ったとき、どのような気持ちになり、どのような行動を取るのだろう。そんな疑問に対するひとつのケースとなるこの作品、余命2ヶ月と知っても、表面的(そう、あくまでも表面的)には決して取り乱さずにその事実を受け止めるアン、誰にもこのことを話さずに死ぬことを決心するアン、そのあまりにも冷静とも思える彼女に対し違和感を覚える人はきっと、この作品の世界に入り込むことは出来ないだろう(でも、変に大袈裟に泣き叫んだりしていたら、それはそれで嘘臭くなると思うんだよな〜)。だが、"死"という重いテーマを扱っているんだけど、全然あざといドラマティックな描き方をせず、あえてこのように淡々と描くことにより、かえって心の中に深く染み渡る余韻を感じられるような、そんな気がする。
 また、アンの死ぬまでにしたいリストも↓のようないわばささやかなこと。
01.娘たちに毎日「愛してる」と言う。
02.娘たちの気に入る新しいママを見つける。
03.娘たちが18歳になるまで毎年贈る誕生日のメッセージを録音する。
04.家族でビーチへ行く。
05.好きなだけお酒とタバコを楽しむ。
06.思っていることを話す。
07.夫以外の男の人とつきあってみる。
08.誰かが私と恋に落ちるよう誘惑する。
09.刑務所にいるパパに会いに行く。
10.爪とヘアスタイルを変える。
 だけど、17歳のときに初めてキスを交わした相手と結婚し(ふたりの出逢った場所がNIRVANA のライヴ会場だというのが時代を表しているかなと。それとも、ただ単に監督の趣味?(笑))、若くして2児の母となり、ある意味日々の細々としたことに追われ、同じことの繰り返しの、変わり映えのしない毎日を送ってきたアンにとって、こうしたささやかなことであっても、それを実現することはきっと人生を変える大切なこと。01〜03は、残される娘たちへの愛情に溢れ(メッセージの録音シーンは胸が痛む。このメッセージが再生されるときには自分はこの世にいないことが分かっているんだから)、07、08は、ダンナの立場ないやんけっても思うけど(笑)、初めての恋愛らしい恋愛でそのまま結婚してしまった彼女の、もっと恋がしたかったという内なる叫びが聞こえてくるようで(モチロン、後悔ということではなく)、深夜のカフェでこの10のことをリストアップするシーンに、なんだか切なくなってしまった。
 それに、生きるってことは、こういうささやかな日常の積み重ねだと思うし、"死"を自覚することで、"なんとなく"ではなく、"なにかのため"に、アン は残された時間を間違いなく"生きた"と思うんだ。このささやかな願いを叶えつつ、恐らく彼女の死後の家族となるであろう夫スコット、隣人のもうひとりのアン、そして子供たちの姿を見つめる穏やかな表情、だけど思わず一筋の涙、というシーンが非常に印象的だ。
 この作品では、彼女の"死"を直接描かない。でも、"その後"の周囲の人々をアンのメッセージとともに描くことで、残された人々の心の中に間違いなく彼女の存在が刻まれているということが読み取れるラストは泣けて泣けて・・・。もしあたしだったら、何をするだろう・・・。
 さらに、アンを演じるサラ・ポーリーの透明感溢れる演技、アンの母親を演じる"BLONDIE" デボラ・ハリーの存在感、ジュリアン・リチングズ演じるトンプソン医師の医者としてではなく人間としての弱さと優しさ、もうひとりのアンを演じるレオノール・ワトリングの「トーク・トゥー・ハー」 でのほとんど昏睡状態の演技とはまた一味違う雰囲気などなど、俳優陣の演技も見所満載だ。

さの目次へ   2003年の目次へ   INDEX   ページトップへ

10億分の1の男

 「"運"を奪って、生き残れ。」
 物事にはいろんな"確率"というのがあって、この作品に描かれる"ゲーム"に勝ち残る確率はなんと10億分の1なんだとか(想像がつかん)。この作品では、本来抽象的なものであり、形のないものと思われている人間の持つ"運"を題材として、幸運というものは偶然どこかからやって来るのではなく、あくまでも本来それを享受すべきはずだった他人から奪って我が物とするという、非常に興味深い視点から描かれている。
 "世界一の強運"を持つ老人サミュエルに他人の"運"を奪う自身の能力を奪われたフェデリコが、その7年後、銀行強盗をして逃亡中に乗り合わせた飛行機の墜落事故で237人中たったひとり生き残ったトマスをこの"ゲーム"にエントリーさせる。そして、"ゲーム"に勝ち抜けば、サミュエルとの対決が待っているという図式。いわば他人の"強運"を借りてのフェデリコの復讐譚ともいおうか。そこに家族でのドライブ中の事故で自分ひとりだけ生き残った女性警察官サラの心の葛藤や、トマスとその恋人アナとの関係なども盛り込んで、最後まで目が離せない。
 じゃあ、この他人から"運"を奪うという非常に抽象的な行為をどのように映像で表現するのか。ここではボディ・コンタクトやポラロイド写真を使って"運"の受け渡しを表現する。これが非常に分かりやすく上手い表現だ。トマスがゲームに負けて、フェデリコが勝手に賭けていたアナの"運"がサミュエルの手に渡った瞬間にアナが警察官の銃の暴発で負傷するというシーンには背筋がゾクリ。
 もっとも、その"運"を賭けた"ゲーム"というのが頭に糖蜜を塗り、暗闇で目隠しをしてデカイ昆虫が頭に止まった者が勝ちとか、これまた目隠しをして手を後ろ手に縛って森の中を駆け抜け、一度も木に激突することなく駆け抜けた者の勝ちとか、些かトホホ感がなくもないが(笑)、そもそも強運というのはそういうもの。最後のサミュエルとの対決も、"逆ロシアン・ルーレット"。リボルバーから一発だけ弾を抜いた拳銃で相手を交互に狙い(その都度リボルバーは回転させる)、撃たれたら負け。これはかなり怖い。対決シーンでのトマスの強運振りを描いた上で、さらに暗闇での銃撃戦でかすり傷ひとつ負わなかったトマス。まさに"世界一の強運"を得たと言ってもいいのだろうが、はたしてだからといって"ゲーム"の勝者となったであろう彼のこれからの人生が幸運に満ち溢れたものになるのか、そればっかりは分からない。アナのことも"もう愛していない"ということだし。砂漠の真ん中で彼の進む道はどこへ続くのだろうか・・・。

さの目次へ   2003年の目次へ   INDEX   ページトップへ

ベスト・オブ・クレモン・フェランA

 短編映画館トリウッドにおいて上映された、世界最大の短編映画祭「クレモン・フェラン」の25周年を記念する「ベスト・オブ・クレモン・フェラン」 プログラム。このプログラムは、過去6年の映画祭正式参加作品(コンペ、非コンペを問わず)からセレクションされた作品の中からの選りすぐり。そのうち、今回は3本の短編から成る"A"プログラムを鑑賞した。
 「まったくひどい」 (4分)
 ふたりの女優の卵がオーディションに挑む。緊張するふたりに「席をしばらく空けるから、ふたりで台詞の練習を」と部屋を出る監督。緊張が解けたふたりは、世間話から打ち明け話まで始める。その時、監督が部屋に戻ってきて・・・。
 監督が席を外した間に交わされる会話、しかし、監督は席を外したもののカメラは回っていて・・・。というのはオーディションではよくある常套的な手法。そこで慌てる彼女たちを尻目にテープを再生するも・・・。と、またさらにひとつオチが。これもありがちな話だけど上手い。ちなみにこの作品は「アメリ」 以前のオドレイ・トトゥが女優の卵のひとりで主演しているというのも見所だ。
 「警報なし」 (12分)
 真っ裸で男が夜道を走っている。警官に捕まえられたその男は、危険な精神異常者から逃げてきたと言い、警官を"殺人者"がいるアパートへと連れて行くが・・・。
 これは真っ裸で夜道を走る男と一見落ち着いて正常に見えるアパートの主のどちらがホントのことを言っているのか、どっちが正常なのか?というところがミソのホラーの要素も含んだ結構怖い作品。登場人物のやり取りや、1本足りない肉切り包丁、バスルームに整然と並んだ"手術道具(?)"などの小道具の使い方もオシャレ(謎)。そして、ああいう展開ならもう一押しあるかのように思わせておいて実は・・・という締め方も絶妙だ。
 「起床」 (7分)
 ロベールは朝が苦手。単純に起きる事ができないのだ。しかし、彼は起きなければならない。何故なら、それは生死に関わる問題にもつながるから・・・。
 朝が苦手、だけど起きなければならない、そこで何としてでも起きるためにベッドだけではなく、部屋中に色々な仕掛けをして起きようとする男の話。トボケた味わいがなんともイカしている。しかも、この色々な仕掛けというのがなんともベタで思わずクスリ(笑)。そして、なんでまた起きなきゃなんないの?と思ったらナルホドね〜。そりゃある意味生死に関わる問題だわ(笑)。色彩のコントラストも鮮やかで、オチの部分があって、それと模型の機関車を走らせる対比もなかなか。で、機関車が運んできたコーヒーを片手に。って、また寝るんじゃねー!(爆)
 どの作品も、短い時間の中でしっかりと分かりやすく描き、しかも起承転結を盛り込んでいるというのが非常に上手いと思う。ただ無駄に長いだけで中身のない作品なんぞよりも、こうした短くてもセンスの感じられる作品の方があたしは好きだな。

はの目次へ   2003年の目次へ   INDEX   ページトップへ

リード・マイ・リップス

 「くちびるから伝う愛 くちびるから知る犯罪」
 あの「アメリ」 のオドレイ・トトゥを抑えて、2002年のセザール賞で主演女優賞を獲得したというエマニュエル・ドゥヴォス。モチロン、作品自体のテーマにも心惹かれるものがあったのは事実だけど、彼女が一体どんな存在感、演技を見せるのか、どうしてもその点に興味は集中する。
 で、結論。恐れ入りました。彼女の演じるカルラは、難聴というハンディを抱え、"秘書"とは名ばかりの雑用に追いまくられる毎日。並みの作品だったら、カルラのキャラというのが"ハンディを背負っているけど心は綺麗"みたいな通り一遍のものになるんだろうけど、ここで描かれるカルラはヤな奴(笑)。決して美人ではないし、「あたしだって、やればできるのよ。どうして認めてくれないのよ、ふん。」みたいにかなり屈折した心の持ち主。内面が顔に出てるって感じかな。
 そんな彼女の前に、アシスタントとして刑務所帰りのポールという青年が現れる。非常にゆっくりとした速度で距離を縮めてゆくふたり(観てて結構じれったい)。しかし、ポールはカルラの"読唇術"という特技を利用として、闇の組織から大金をせしめようとする。嫌々ながらもいつしか抜き差しならない危険な世界に踏み込んで行くカルラ。ここに至るまでのカルラの変化の表現が絶妙だ。女性は恋をすると綺麗になるというけど、そういう変化ともまた違い、ここでのカルラの変化は非常に内面的なもの。ポールに対して恋心を抱いても(自室でひとりでポールとの会話のシュミレーションをしている姿はなんとも痛い。そしてポールの汗の染み付いたシャツに頬擦り。なんとも孤独で屈折した心理がうかがえる)、別に化粧をするとかというわけでもなく、屈折した性格が変わるわけでもない(笑)。だけど、今まで鬱屈してず〜っと心の内に溜め込んでいた"生への渇望"とでもいおうか、そういったものが内面から滲み出てくるんだ。ある一線を超えたとき、それが完全に解放されて、危険なヤマに手を出しているのにとても生き生きしている。外見は変わらないのに内面は明らかに変わっているということが手に取るように分かる。そしていつの間にか主導権は彼女の手に。後半のボスの家に忍び込んでのクローゼットの中で聴いた音を頼りにした現金奪取や、ボスの奥さんとのやり取りなんかは以前の彼女では考えられない。いや〜、言葉で上手く表現できないけど、なかなかこういった演技を出来る女優はいないんじゃないかな。そういう意味では、オドレイ・トトゥを抑えて主演女優賞獲得も納得の出色の演技だ。お見事、素晴らしい!
 とまあ、まずはエマニュエル・ドゥヴォスなんだけれども、相方ポールを演じるヴァンサン・カッセルの"ダメ男"ぶりも見所十分。刑務所から出てきて、真面目に仕事をしようとするけど、結局昔の借金が返せなくて止むに止まれず元の木阿弥。それならとカルラを巻き込んで危ないヤマを踏もうかと思うけど、二の足を踏んだり尻込みをしたりしてなんとも煮え切らない。そしてなんとも不器用。この辺は、世の"ダメ男"フリークの女性にはたまらないんじゃないのかな(笑)。
 また、これらの主演ふたりの演技だけでなく、作品自体の構成も非常にスリリングだ。全然派手さはないのに、特に後半部分におけるこのふたりの行く末が気になって、グイグイと物語に引き込まれていく。カルラが向かいのビルの屋上からボスの部屋での会話を"読む"シーン、ボスに捕われたポールがバスルームの窓越しに向かいのビルの屋上にいるカルラに対してメッセージを発し、彼女がそれを"読む"シーン、ドキドキする。それと、ポールが捕われたときに窃盗で服役していたという彼の"特技"が危険を脱する鍵となる伏線を張ったキャラ設定や、ポールの保護司の妻の行方不明などというエピソードもいいアクセントとなっている。そして、音響効果。カルラの補聴器を通して聴こえてくる音、補聴器を外して再び装着したときの音、観客はスクリーンを通してカルラと同じ"音"の体験をするかのようで、これも非常に考え抜かれている。この考え抜かれたサスペンスとともに、カルラとポールの恋の顛末。お互いに美男美女でもなく、屈折していて不器用で孤独なふたり。そんな彼らが危険なヤマを通じて結ばれていく、やはりこの作品はノワール&ラブストーリーなんだと思う。ラストのふたりの抱擁がなんともいい。

や〜わの目次へ   2003年の目次へ   INDEX   ページトップへ













[PR]レンタカー卒業!車と¥が当る:50万+車が当る。カー用品も買い放題♪