まとめてポン!2003年9月編
アダプテーション
閉ざされた森
名もなきアフリカの地で
28日後...
ノックアラウンド・ガイズ
フリーダ
レボリューション6
私は「うつ依存症」の女
アダプテーション
「困った、書けない。」
「マルコヴィッチの穴」 で、あたしたち観客の度肝を抜いたスパイク・ジョーンズ&チャーリー・カウフマンのコンビによるこの作品、オープニングが「マルコヴィッチの穴」 の撮影シーン(当然、ジョン・マルコヴィッチも登場。そして、チャーリー・カウフマンは当然ニコラス・ケイジ)から始まるという、なんとも人を食ったもの。それもそのはず、この作品には脚本が書けずに悶え苦しむチャーリー・カウフマン自身が登場するという設定。その苦悶の中でチャーリーが劇中で執筆中の脚本にまた自身を登場させようとするというところで、この作品はフィクションだとは理解しつつも、え、でも、もしかして、この映画が出来るまでのドキュメンタリーを映画化してるの?な〜んて錯覚を覚える人もいたりして(笑)。でも、あたしも普段仕事で文章を書かなきゃならなかったりするし、このサイトでもレビューを書かなきゃいけないし、アイディアが全然浮かんでこなくて煮詰まることが多々あるもので、なんだか身につまされたりして(苦笑)。
そんなチャーリーの苦悶と、もうひとつ、この作品の元となった「蘭に魅せられた男 驚くべき蘭コレクターの世界」 を上梓するまでの作者スーザン・オーリアンと蘭コレクター、ジョン・ラロシュとの関わり合いなどが交錯する形で淡々と描かれていく。
そして、チャーリーとスーザン、ジョンとが実際に交わったとき、事態は急展開、一気に加速度をつけてラストへとなだれ込んでいく。このラストについては、作中で登場する脚本の大家、R.マッキーの言う「映画は最後が面白ければすべてよし。」ということを受けての流れなんだろうけど、それでも、このラストに至るまでの展開、エピソードが退屈極まりなく、それだけに、そのラストの唐突な展開にもさほどの衝撃を受けることなく終わってしまったのが非常に勿体ない。ラスト前に「もういいや。」ってなってしまったもんな〜。でも、マッキーの脚本講座に出席したチャーリーが「淡々としている映画をどう思いますか?」と質問する下りがあって、もしかしたらこの前半部の淡々とした退屈な展開は、意識的に狙ったのでは?などと思わせられてしまう。残念ながら、途中で退屈してしまい、深く作品世界に入り込むことが出来なかったために、この作品の売りらしい、虚構と現実との境目が分からなくなるようなことはなかったけど、それでも、こんなことを考えるということは、もしかしたら、彼らの目論見にハマってしまったということなのかもしれない。
とまあ、「マルコヴィッチの穴」 で感じた衝撃はこの作品からはまったく感じられないのだけど、それでも、ハゲ、デブ、全然モテないダメ男チャーリー&隠れた脚本家としての才能のある、社交的で女性にもモテモテの双子の弟ドナルドという、対照的なキャラ二役を演じ分けるニコラス・ケイジの器用さ、「え、こんな演技も出来るの!?」と驚かされるメリル・ストリープの女優としての演技の幅の広さ、そしてこの作品でアカデミー助演男優賞を見事に獲得したクリス・クーパーの存在感と、メインのキャラとなる俳優たちの演技はどれもお見事の一言に尽きる。
ちなみに、この作品の脚本にもクレジットされているドナルド・カウフマンというのは実在しません。それを、作品のエンディングと合わせる形でエンド・クレジットでああいう使い方をするというのがなんともクール。あそこでまた現実と虚構の区別がつかなくなる人が出てくるかもと、思わずニヤリとさせられた。
閉ざされた森
「真実ほど、疑わしいものはない。」
当初鑑賞予定はなかったのだけど、あたしの敬愛するミステリー作家貫井徳郎氏が新聞広告上でこの作品を絶賛。モチロン広告で悪いことなど書くはずもないから全部を信じるつもりはないけど、ミステリー作家の目から見ても優れた作品というのには大いに興味をそそられ(つっても、傑作「ホワイトアウト」 の映画化に際し、自ら脚本を担当したせいもあるんだろうけど、これまたあたしの敬愛するミステリー作家真保裕一氏が褒めてた割には映画化作品自体はどうしようもない駄作だったという前科があるからな〜)、ダメ元で観に行ったらこれがあたしのようなミステリー・ファンも満足させるような素直に面白いと思える作品に仕上がっていた。
パナマの米軍クレイトン基地から訓練に出たレンジャー隊7名が嵐の森で行方を絶ち、救出された生還者は2名。ひとりは重傷、ひとりは黙秘。その後の尋問の中でようやく口を開き、事件の核であるウエスト軍曹と兵士6名との間の感情的対立と、森でのウエストの不可解な死、そして誰が殺人犯かをめぐって争う兵士たちの動揺が明らかになってゆく。しかし、2名の証言には大いなる食い違いがあり、果たしてその真相は?というのはある意味ミステリーのひとつのパターン。それぞれの証言による回想シーン、そこから派生する事象が絡み合って事態は二転三転、これが真相と思うとまた更にその奥があってと、かなり頭が混乱してくる。で、尋問の為に呼び寄せられた麻薬取締局捜査官トム・ハーディーも麻薬組織に買収された容疑で待機処分中だったり、彼自身過去にウエストと関わりを持っていたりと単なる狂言回しではなさそうだし(実は狂言回しはコニー・ニールセン演じるオズボーン大尉だったわけだ)、最後まで気が抜けない。登場人物のセリフ回しにカギが隠されている部分もあるし、そして最後に示される真相には「そうきたか〜!」。混乱してイカレた思考回路にショック。ただし、(ネタバレ)→生還した2名の兵士の示した"8"という数字は「この事件には8人目が関与している。」という暗示だと解釈し、ってことは、間違いなくジョン・トラボルタ演じるハーディー(そういや「ラッキー・ナンバー」 や「ソードフィッシュ」 の頃と比べると少しスリムになったような気が(笑))が一枚噛んでいるだろうと思ったけど(結果として彼が一枚噛んでいたのは間違いなかったものの、最終的な真相に関しては正解というわけではなかったんだけどね。つうか、あそこまでやるか〜!?って感じで。ハリウッド"らしい"といえばそうかも)←(ここまで)。ま、この結末にはかなり賛否が分かれそうな気がするし、全体的なプロットとしてはやや粗く、この手のものに慣れていない人には非常に分かりにくくて付いて行けないと思うし、サミュエル・L・ジャクソン演じるウエスト軍曹以外の兵士6名(そういや生存者のひとりケンドルを演じていたのは「ヘヴン」 のジョヴァンニ・リビシーだったっけ)のキャラの描き訳が今イチでこれまた分かりにくいかもという難点はあるけど。それでも、あたしはこういうテイストの作品好きだし、ミステリーとしても成功していると思う。
そういや、事件の真相がああだとすると、生存者ふたりの証言の信憑性は?あ、でもそのうちのひとり、ダンバー(いや、パイクか?)はハーディーとウエストの"側"の人間だしな〜。ってことは・・・。
名もなきアフリカの地で
「よろこびも、かなしみも、この大地が教えてくれた。」
2003年のアカデミー賞最優秀外国語映画賞受賞作品。これもユダヤ系の家族を扱った作品なんだけど、今年何本か観ているユダヤをテーマにした作品は一味違い、広大なアフリカの大地を舞台にした少女の成長と家族の絆と再生の物語をメインに据えた、非常に見応えのある作品に仕上がっている。
まず舞台となるケニア、ここの広大な自然の映像がいい(ロケ先がケニアかどうかは知らないけど(笑))。そして、この自然の中で何の躊躇いもなくその環境に順応し、溶け込んでいく少女レギーナの適応性の高さに目を見張る。いつの時代にも、固定した概念に捉われない子供の思考の柔軟さは健在ということか。この作品の原作は作者の少女時代の体験談をもとに書かれたとのことだが(それ故レギーナの視点からの物語となっている)、料理人オウアや現地の子供たちと触れ合いながら、日々成長していく、そんなレギーナの子供時代、学ぶために両親のもとを離れ、寄宿舎で学校生活を送り、色々なものを吸収し、さらに大人への階段を上る過程の少女時代を演じるふたりの子役の瑞々しい演技も魅力的だ。つうか、非常に可愛いいんですけど(笑)。
一方、祖国ドイツを離れてこの地に移ったということは、ナチスの迫害を逃れるためということ。ここに戦争が暗い影を落とす。父、母、レギーナの家族はなんとか移住できたけど、レギーナの祖父母などはドイツに残されたまま。時折配達される手紙にその苦難が偲ばれる。
この作品のもうひとつの視点は、レギーナの両親という、大人の側。当初農場での生活に不満を洩らし、現地の人々を見下すかのような言動を繰り返す母イエッテルに対し、「君のその言動は、ドイツで私たちをああいう目に遭わせている連中と同じだ。」と諭す父ヴァルター。しかし、イエッテルも現地の人々と触れ合ううちに徐々に農場生活に馴染んでいき、やりがい、生きがい、自分の居場所を見出す。その分、英国軍に志願するヴァルターに付いて行かずにひとりこの地に残るイエッテル。徐々にすれ違うふたりの気持ち。それでも、紆余曲折あって愛を確かめようとするふたり。徐々に夫婦の絆を取り戻すふたり。子供を中心に据えた作品って、ともすると綺麗事のみに流れてしまう傾向があるけど、この作品は、綺麗事だけでない、ほろ苦い大人社会の理屈をもしっかりと描き出しているのが評価できると思う。
終戦後、祖国ドイツに戻ろうという現実的な選択をするヴァルターと、既にこの地に自らの居場所を確立し、この地に残ることを主張するイエッテル。共に祖国に思いを馳せていたはずなのに、この地の暮らしの中で対照的な選択をしようとする。この対比も非常に興味深い。とはいえ、ラストは家族一緒にというところに落ち着くわけだが、どちらかの言い分に強引に従わせられるというのではなく、それぞれの思いを尊重しあう中での結論。完全に家族として再生したことの証であろう。全体的に淡々としている印象のある作品だが、それでも、非常に余韻の残る作品だった。ちなみに、ヴァルターの言う「人は違いにこそ価値があるということをこの地で学んだ。」という言葉が非常に印象的だ。
28日後...
「わずかな未来は始まっている」
"この夏いちばん希望にみちた人類滅亡映画"というキャッチコピーと、"ウィルス感染"というなんともタイムリーなキーワードに惹かれて劇場へ足を運ぶ。
ナルホド、たった一滴の血液でも感染してしまう、人間の精神を破壊し、怒りで溢れる"レイジ・ウィルス"。そんなウィルスの発生から28日後、交通事故による昏睡状態から目覚め、人影ひとつなく完全に荒廃してしまったロンドンの街に放り出されるジム。これはマジでパニックになる。願わくばこれも夢であることを。だけど、これは紛れもない現実。"レイジ・ウィルス"に冒された連中が襲ってくる。コミュニケーションを図ろうとする「Hello!」の言葉が空しく響く。そして、作品中で呟かれる「もう新しい音楽を聴くこともない。まだ書かれていない本を読むことも、まだ撮影されていない映画を観ることもない。」というセリフが胸に突き刺さる。
そんな極限の状況に放り出されたとき、人間はどのように行動するのだろうか、生き残るだけがすべてなのか?そして、自分の大切な人がこのウィルスに冒されたとき、有無を言わさず殺すことが出来るのだろうか?そんな問いかけが画面から聞こえてくるような気がする。
それに対する答えのひとつのパターンとしてとして描かれる、ラジオから流れるマンチェスターへ行けば食料と保護があると繰り返す自動録音に対する生き残った非感染者ジム、セリーナ、フランクとハナの親子のリアクション。ここに留まるも地獄、進むも地獄かも知れない。それならば何があるか分からないけど前へ進むことを選択する彼ら。そして、アクシデントから感染してしまい、全身が怒りで満ち溢れる前に自分を殺せと叫ぶフランクの姿。彼が最後に残した言葉。それと対照的な、感染から免れ、生き残った軍の連中の考え方。しかし、これも生き残って種を保存するための方便なんだろうか?あたしだったら一体どうするんだろう?そんな思いがグルグル頭の中を駆け巡り、なんとも絶望的な気持ちになる。非常にタイムチリーなテーマであるだけに、とてもリアリティがあり、背筋がゾクリ。
それだけに、すべてが終わり、"HELP"ではなく"HELLO"という言葉を用いた、一筋の希望の光が感じられるエンディングには救われる思いだ。また、映像的にエグい、人によっては正視に耐えかねるハードコアな部分もあるが、シャープでスピーディーな展開に目を奪われ、ラストまで一気。
ちなみに、この作品には"もうひとつのエンディング"というのがあり、あたしが劇場で鑑賞したときにはエンド・クレジット後にこの4分間の"もうひとつのエンディング"が加えられていた。しかし、いかんせん、映画は全体を通してナンボというのがあるので、ここでこのエンディングだけを観せられてもな〜。そりゃ、確かにこっちの方が希望もへったくれもなくて衝撃的といえなくもないけど、どうせなら、別の劇場もしくは別の回で"もうひとつのエンディング・バージョン"を上映してもらいたい。DVDになったときには是非2バージョンを収録してくだされ。
ところで、今の世の中、"レイジ・ウィルス"に感染してもいないのに、凶暴で簡単にキレる人間が多いでしょ?こっちには希望の光も救いも感じられない気がするから、実はこっちの方が怖いのかも。フィクションよりも現実世界の方が怖いなんて、世も末だね(苦笑)。
ノックアラウンド・ガイズ
「マフィアの世界に生まれたオレたちの、これがデビュー。」
ニューヨーク、ブルックリンの裏社会を仕切るマフィアの2代目世代の若者4人が、ストリート・ギャングからいよいよマフィアへとデビューしようというときに舞い込んだ仕事をしくじり、しかもしくじった場所はブルックリンの流儀が通用しない田舎町。そこで自らの名誉とプライド、そして仕事をしくじったからには待つのは"死"というのが"マフィアの掟"であるだけに、自らの生をも賭けての闘いの波に呑み込まれていくというこの作品、さすがにプロデューサーのローレンス・ベンダーはこういうバイオレンス系の作品を製作させると上手いもんだね〜。
しかも、奔走する4人が、ボスの息子でありながら、この世界には向いていないんじゃないかと悩みつつ、それでも他の3人を兄弟のように思い、その繋がりを大切にするマティーを演じるバリー・ペッパー、ストリート・ファイト500回の猛者、「トリプルX」 同様鍛え上げられた肉体のタフなテイラーを演じるヴィン・ディーゼル、「オースティン・パワーズ」 や「ミニミニ大作戦」 とはまた一味違う存在感のジョニーを演じるセス・グリーン(それだけに、彼のああいう"最期"はありだと思うけどやっぱ哀しい。だけど、あのシーンがないと"マフィアの掟"なんて"絵に描いた餅"になっちまうからな〜)に「俺が女に惚れるんじゃない。女が勝手に俺に惚れるんだ。」などとそこらの奴が言うと臭いセリフになりかねない言葉をサラリと言ってのけるのが憎めないクリスを演じるアンドリュー・ダヴォリという、今後のハリウッドを背負って立つ可能性を秘めた若手俳優たち。彼らはマフィア予備軍という設定だけに、小粒感は否めないし、派手さはないけど、それでも皆それぞれクールに決めている。そんな彼らにデニス・ホッパーやジョン・マルコヴィッチなどのベテラン勢が上手く絡み合って、男たちの"友情"、"裏切り"、"野心"、"決別"などがテンポよく、そしてしっかりと描かれている。時間も90分強と程よい長さで、最期まで飽きずに楽しめた。ラストはどのように締めるのかと思っていたら、ナルホド、そういうことね。マティーとテイラーの未来に幸あれ!
ちなみに、チラシや予告編には"ヴィン・ディーゼル主演最新作!"なんて謳い文句が踊っているけど、あくまでもこの作品の主演はバリー・ペッパーだと思うんですけど・・・。ヴィン・ディーゼルはあくまでも助演。絶対あれは反則だってば(笑)。
フリーダ
「愛し、描き、生きる」
あたしはフリーダ・カーロという画家を寡聞にして知らなかったのだが(恥)、あのサルマ・ハエックが10年越しで完成させた作品、そしてクレジットはされていないけどエドワード・ノートンが脚本を手がけたということで、彼女に対する下知識もほとんど無しに劇場まで足を運んだ。
まずはサルマのこの作品に対する情熱がひしひしと伝わってくる作品だと思う。完全にサルマとフリーダとが一体化してしまったかのような錯覚すら覚える。彼女の波乱万丈の人生、事故による大怪我の後、手術を32回も繰り返したというその身体、そこに焦点を当てるのではなく、あくまでもフリーダの夫ディエゴとの"愛"、絵を描き続けるその"情熱"、そして周囲の人との関わりに焦点を当て、それらを通して彼女の半生を描き出すのがお見事だ。これを怪我、障害の側面のみから描いてしまったら、単なる"可哀想"的な偽善的な作品で終わってしまったと思うから。モチロン、その痛む自らの身体と折り合いをつけながら生きなければならないのも事実なわけで、それをどのようにして受け入れていくのか、それもひとつのテーマであろうが、フリーダはしっかりと受け止め、前へと進んでいく。そこまでの境地に至るまでには間違いなく大いなる葛藤があったであろうが。
痛む身体ということで言えば、私事ながら、15年前に感じたあの痛みを思い出さずには入られない。モチロン、フリーダの感じた痛みと比べれば比べものにならないくらい軽いものだというのは分かるけど、それでも当時は正直"死"を覚悟したし、それ以上に痛みに耐え切れず死にたいとすら思った。だけど、今でもこうして生きている。痛みを感じるということは身体が死んでいないってことの証明なのかどうかは分からないけど。
そんな個人的な事情はさておき(笑)、サルマのこの作品に対する情熱に共鳴して集まってきたエドワード・ノートン(出番は少ないけど、間違いなく「ミニミニ大作戦」 の中途半端振りよりも存在感がある。エンド・クレジットの"Thanks
list"に名前がしっかりあったのがなんか嬉しかった。結局サルマとは別れちゃったけど(汗))、ジェフリー・ラッシュ、アシュレイ・ジャド、アントニオ・バンデラス等の名だたる俳優たちが演じるフリーダの生き方に魅了され彼女の周囲に集まるキャラがどれも魅力的だし、何よりも今まではお色気メインのオネェちゃんだと思い込んでいたサルマ・ハエックが、こんなにも見事な"女優"だったということを実感できたのも大きい。フリーダとサルマが一体化して、それにあたしも便乗する形で同化してしまったみたいで、最後は泣けてきた。
それと、フリーダの肖像画なども含めた映像感覚の綺麗さ、そして、作品中に流れるスパニッシュ・ギターの調べ。これがまた物語の展開と絶妙にマッチしていているのが心地よく、音楽と映画は密接不可分の関係にあるものだということを改めて実感した。こうしたストーリー以外にも見所、聴き所のある、"ノートン出演作に駄作なし"の法則は今回も見事に守られた素晴らしい作品だと思う。
レボリューション6
「暴発するヤバイ過去。」
疾走感のあるサントラに、クールでスタイリッシュな映像が被さるオープニングのクレジットから引き込まれるものがある。アナーキストだった男女6人が15年前に仕掛け、不発に終わっていた時限爆弾が、15年後に目を覚まし爆発したことから、その過去を消すために15年ぶりに再び集結して奔走する。
そこに、舞台となるベルリンの街の東西ドイツ統一前、そして統一後という過去と現在、そして同じく彼らの過去と現在を交錯させ、物語はテンポよく展開していく。15年という月日の間には過去と決別して新しい人生を歩む者あり、未だに過去にしがみついている者あり、そこには埋めようのない溝、過ぎ去った時間は元に戻せないのではないかという思い、やはり15年という月日の流れを痛感させられる。
だけど、共通の目的のために再集結し、そこから衝突しながらも過去の"友情"、"絆"を取り戻す、もしくは現在のそれぞれの抱える状況から"友情"、"絆"をリ・スタートさせる彼らの姿に共感。ラストで彼らを追うマノフスキー刑事が彼らに共感しちゃうってとこにご都合主義を感じちゃったりするけど、この手の作品のいわば定番的な作りではあるものの、それが鼻につくこともなく、最後までワクワクドキドキしながら観ることができた。
そういやこの作品って、"ソニー・ピクチャーズ
ワールドシネマ"の一環なんだけど、今まで観たこのシリーズって、どれもハズレだったりもう一声!って感じの作品ばかりだったのが、初めて心から面白いと思える作品だったな〜。やはりジャーマン・シネマは侮れないよ。
や〜わの目次へ 2003年の目次へ INDEX ページトップへ
私は「うつ依存症」の女
「しあわせの処方箋」
若くして音楽ライターとしての才能を見出され、名門ハーバード大学に通い、その先には輝ける未来しかないようなリジー。だけど、幼い頃に両親が離婚し、母親に育てられ、その母親の過大なる期待、そして、願望としての家族の再生を事実として雑誌に書いてしまうような、父親との微妙な関係、大学生活でのパーティー、ドラッグ、アルコール、SEX、そこに以前から抱えていた"うつ"の症状が徐々に彼女の心を侵蝕していく・・・。
エリザベス・ワーツェル(彼女はあたしと同い年。だから、時代背景とか、妙にリンクしてたな〜)の自伝を原作とし、「不眠症」 (クリストファー・ノーラン監督の「インソムニア」 のオリジナル)を撮ったエーリク・ショルビャルグ監督によるこの作品、"うつ"ということについては、あたしにはうつ病で常々薬を服用している友だちがいるし、以前仕事で、うつだけでなく、所謂"心の病"を持つ人たちとも関わっていたこともあり、また、あたし自身がこう見えて(?)かなり感情の起伏が激しく、情緒不安定になり、精神的にドーンと落ちることがしょっちゅうある人間なので、すべてにおいて共感できるわけではないけど、この作品におけるリジーにどことなく、感情移入できるような、そんな気分だ。それだけに、かなり重い題材であるにもかかわらず、スクリーンから目をそらすことが出来ず、最後まで見入ってしまった。そもそも、"うつ"の症状って、何も特別なことでなく、誰しも抱える可能性を持っているものだと思うんだよね。行き場のない苛立ちを抱え、アルコールやドラッグに依存し、ボーイフレンドに依存し、母親に依存し、そして誰彼構わず傷つけるリジーの行為って、ともすると、単なる"甘え"にしか見えないかも知れないけど、はたして、本当にそうなんだろうか?もし自分に思い当たる節がまったくなく、彼女の行為を"甘え"だと切って捨てることのできる人がいたら、あたしからすれば、その人は、よっぽどご立派で幸せな人なんだと思うけど(これ皮肉ね。ま、こういう人種にこういうことを言うと、「だから、それが甘えなんだよ!」って言われそうだな(苦笑))。
また、この作品では、製作者側にはそのような意図はないのかも知れないけど、"母子分離"ということも、ひとつのテーマになっているような気がする。自分は母親のペットではないと叫びながらも、結局は母親への依存を断ち切れないリジー、貴方の為、と言いつつ、もしかしたら、自分の思い描くとおりに娘を育てたいだけなのかも?というエゴの塊のような母親、結局はお互い離れることが出来ないふたり。そこに、リジーの"うつ"の症状が輪をかける。結構根が深いかも。
それにしても、この作品におけるクリスティーナ・リッチの、まさに鬼気迫るとも言うべき迫真の演技はお見事としか言いようがない。クルクル変わる表情、不安定な感情の波、そこから発するどうしようもない苛立ち、心の痛み、それと薬で症状を抑える後半部の妙に冷静チックな表情。今までの彼女に抱いていた"お人形さんのような"イメージが完全に覆された。そして、母親を演じるジェシカ・ラングの↑でも書いたけどエゴの塊のような、だけど、貫禄十分な存在感。このふたりの演技のぶつかり合いを観るだけでも観る価値ありの作品だ。それと、リジーのルームメイト、ルビーを演じるミッシェル・ウィリアムズって、「ミー・ウィズアウト・ユー」 に主演してるのね。あの作品を観たときはさほど印象に残らなかったんだけど(汗)、こうして観ると、実はかなりあたしのタイプかも(笑)。
や〜わの目次へ 2003年の目次へ INDEX ページトップへ