まとめてポン!2004年1月編
アンダーワールド
アンテナ
しあわせな孤独
ハッピーエンド
ミスティック・リバー
リクルート
ルビー&カンタン
アンダーワールド
「この闘い、本能か 愛か―。」
全米初登場No.1という触れ込みの割には、急遽公開が決まって、結局はお正月映画のつなぎ的役割しか果たせずにあっという間に上映が終わってしまったこの作品、本上映では観逃してしまったのだが、運良く近所の2番館で上映されたので、観ることが出来た。モチロン、興味の対象はケイト・ベッキンセールのヴァンパイア。
ストーリーは"アンダーワールド"で何世紀にも渡って繰り広げられる"ヴァンパイアvsライカン(狼男族)"という図式に、とある理由からひとりの人間の男が巻き込まれる。そしてその男とケイト・ベッキンセール演じるヴァンパイア、セリーンの恋愛といえなくもない関係を交え、それらと双方の種族の封印された過去を絡ませていくというもの。正直なところ、このストーリー展開についてはインパクトや目新しさは感じられないし、奥の深さやスケールも感じられない。
しかしながら、この作品全体を覆う映像美はなかなかのもの。非常にダークなトーンのゴシック調とでも言えばいいのだろうか。とてもクールだ。元々この作品の監督のレン・ワイズマンという人は、MTVなどでも活躍していた人だという。内容はともかく(笑)、そういった世界でビジュアル技法を学んだだけあって、非常にスクリーン映えする映像となっている。
また、お目当てのケイト・ベッキンセールだが、あたしの中では未だに「シューティング・フィッシュ」 のイメージが非常に強いのだけど、今回はあたしがイメージするヴァンパイアにしては些か線が細い気がするものの、今までのイメージを一新するような、ハードなアクションも決める、気高く麗しいヴァンパイア像を演じているのではなかろうか(ファンの贔屓目という見方もあり)。この際、ヴァンパイアなのに、人間の生き血を吸わないの?といった、野暮な疑問は封印する(笑)。それと、この作品を観るに当たってのもうひとりのお目当て、復活したヴァンパイアの長老を演じるビル・ナイ。メイクで素顔はほとんど分からないけど(笑)、そこそこ重みがあるんじゃないでしょうか。最強の戦士という役回り、今まであたしが観てきた彼が演じたトホホ感の強い役回りとは全然違うけど(笑)。
さてさて、この終わり方、間違いなく続編を意識していると思われるが、はたして・・・?
アンテナ
「あなたの痛みを私に見せて」
田口ランディの原作があるとはいえ、熊切和嘉監督の前作「空の穴」 の静かなタッチとは180度正反対の、なんとも痛い作品だ。幼い頃の妹の失踪に対する自責の念を抱えたまま大人になり、自傷癖を持つ大学生祐一郎。新興宗教に走ることになった母。不安定な精神状態の弟。そんなとき出雲で監禁されていた少女が発見されたというニュース。そのことが家族の間にまたひとつの波紋を投げかけていく。この、なんとも歪んだ家族、それぞれの抱える心の闇。観ていて苦しくなる。
特に祐一郎を演じる加瀬亮がなんともリアルにその痛み、苦しみを抱えて生きる様を表現しているのは特筆すべきことだろう。しかし、SMの女王ナオミとのかかわりの中でその痛みから解放されていくというのはどうなんだろ。まあ、肉体的な痛みを与えられることで内面の痛みを昇華させていくということや、その過程で自らが封印していた記憶を掘り起こし、最終的に闇から自分だけでなく、家族をも救い出していくというのは興味深いといえば興味深いし、ナオミを演じる小林明実のような女王様だったら一度お手合わせ願いたいと思ったりして(爆)。とはいえ、ここは理屈ではなく、あたしの心の奥底の方でどうにも登場人物の誰にも共感できないような、そんな気がする。う〜ん、なんだろ。あたしには、彼らのような"痛み"を感じながら生きた経験がないということなんだろうか?そりゃ確かにラストは一筋の希望の光のようなものを感じることができるが、後味のよさがあるわけでもない。結局のところ、自分の感性に合う合わないという、そういった根本的なところなんだろうか。ちょっとモヤモヤとした気持ちのままだ。
しあわせな孤独
「愛について、誰も教えてくれなかったこと。」
デンマーク映画といえば「奇跡の海」 だったり、「ダンサー・インザ・ザーク」 などが真っ先に頭に思い浮かぶのだけど、この作品は、より身近な"愛"について描いた作品ということになるのかな。
結婚を約束した幸せなカップルのうち、男性が車に撥ねられて、撥ねた女性の夫が勤める病院に運び込まれ、その夫が、撥ねられて首から下の神経が完全に麻痺してしまって回復不能になった男性のパートナーの女性を力づけようとするうちに、いつしかこのふたりが恋に落ち、今まで平穏だったそれぞれの人生がそれこそ雪崩をうつかのように崩れ落ちてゆく。交通事故という、ひとつの偶然、事件がきっかけとなって巻き起こる人生の皮肉、悲劇。そしてそこに映し出される人間の弱さ、哀しさ、身勝手さ。その展開の仕方がなんともリアルで、辛くて痛くて哀しくて苦しくて切なくて。だけど、彼らの行く末を見届けたくて、一時たりともスクリーンから目を離せない、そんな作品に仕上がっているのではなかろうか。モチロン、感情移入できるかどうかは、観る側の価値観が多分に反映されるのだとは思うけど。
また、登場人物たちの姿もやけに等身大で、そのいずれにも感情移入、共感ができるような、そんな感じ。事故に遭ったヨアヒムの、自分に起きたことを俄かには受け入れられずに荒む心のあり方には、やはり15年前にそれこそ"死"を覚悟し、その現実を受け入れられずに苦しんだ自分自身の姿を重ね、重体に陥ったヨアヒムを支えようとするも、ヨアヒムに突き放されて混乱し、自分の居場所を完全に見失ったセシリには、自分の居場所、心の内を埋めてくれる人を求めずにはいられない人間の弱さを感じ、そんなセシリを慰めようとするうちにいつの間にかセシリに恋してしまうニルス、そしてセシリには、家族がいるのに、恋人がいるのに、と思いつつも、理屈では計り知れない人間の身勝手さ、エゴを思い(あの家具を買いに行くシーンはないだろー)、自らニルスにセシリを力づけるように頼んだことが仇となって夫を失う危機に直面してしまうマリーには、人生の皮肉を思い、自分が助手席で母親と口論していたがために前方不注意によってこの交通事故が起きたのではないかと心を痛め、その事故をきっかけとして芽生えた父ニルスとセシリの関係に強い拒否反応を起こすスティーネには、10代の少女の潔癖さを思い、と、すべての主要登場人物に共感、感情移入ができるということで、それぞれの登場人物の人物描写がとても優れていると思うし、もし自分が彼らと同じような立場に立たされたら、それが誰の立場であったとしても、同じような行動に走るのではないかと思わせられてしまう。でも、さすがにヨアヒムを轢いたその日に家族で誕生パーティーを開くその神経には共感できなかったけど(苦笑)。
そして、ひとつの出来事がきっかけとなって今までとは違う方向に回り始めた彼らの運命を象徴するかのごとく用意されたエンディング。失った時間、一度狂った運命の歯車は二度と取り戻せず、元に戻ることはない。そこにまた、運命、そして人生の皮肉、哀しさを見出して、胸を痛めてしまうのだ。人間の性とは痛く、そして哀しい。でも、一体誰を責めることができよう?弱く、不完全であるのもまた人間なのだ。
ハッピーエンド
「あなたのからだが今も好き。」
かつての恋人と再会し、"愛"というよりも、"肌"がなじんじゃって彼と別れられない人妻、彼女の気持ちとは裏腹に、完全に本気になり、いつの日か彼女と人生を共にする日を心待ちにしている男、そして妻の不貞に気付きながらも何も言えない夫の3人の、愛憎入り混じったドロドロとした関係は、まさにメロドラマ。ってことは、感情移入できるかできないか、その辺はあんまり関係なしに、外側から野次馬根性丸出しにして眺めながら、彼らの行く末を見届けるっていうのがベストなのかなという気がする。つうか、あたしはさすがに赤ん坊のミルクに薬を混ぜて眠らせて、イルボムに会いに行くようなボラには共感できんぞ。
ところが、最初はメロドラマ調だった物語が、ミンギがボラの不貞に気付いた辺りから急展開。一気に"火サス"or"土ワイ"の色調を帯びてくる。まったくその展開は予想していなかっただけに、これにはビックリ。内容的にはある意味お約束的なものではあるんだけど、いい意味で予想を裏切られた。観終わってチラシにある"それはしあわせな結末?それとも幸せの終わり?"というキャッチ・コピーを改めて見ると、この作品の「ハッピーエンド」 というタイトルが、なんとも意味深というか、皮肉なタイトルだということに気付かされる。(ネタバレ)→はたしてミンギは、ボラを殺すことで彼女を永遠に自分だけのものにしたのか、それとも、永遠に彼女を失ってしまったのか・・・。←(ここまで)
それにしても、ミンギを演じるチェ・ミンシクの、男の哀愁を漂わせる演技は絶品だね。会社をリストラされて再就職もままならず、英会話学校の院長を務めるボラに代わって家事と育児に明け暮れる毎日。いわば"普通"の男なんだけど、妻の不貞に気付きながらも何も言えないその姿(赤ん坊を病院から連れて帰ってきて自宅のドアを開けたときに彼が目にしたであろう目にした光景を思い浮かべると、なんとも言えない気持ちになる)、その反面、ボラを愛するあまりなのか、鬱積したものが爆発したのか、あの行為に走るその心理。抑制の効いた演技である分、かえって切なさと怖さを同時に感じてしまった。
ちなみに、チョン・ドヨンとチュ・ジンモのSEXシーンの凄さばかりが取り沙汰されている気もするが、別にそんなに凄いんか?と思ってしまう。つうか、AVの見過ぎだな、あたしの場合は(爆)。
ミスティック・リバー
「もうひとつの「スタンド・バイ・ミー」を見るために、あなたは大人になった。
のっけからで恐縮だが、こんなキャッチコピーだけど、この作品は"もうひとつの"「スタンド・バイ・ミー」 などでは断じてない。彼らの少年時代の思い出は、決して"美しい"思い出なんかではないし、友情モノなんかでもないのだから。どうして、こんな訳分からんキャッチを付けるんだろうね。
それはさておき、少年時代の25年前に起きた事件の忌まわしい記憶、それを引きずりながらそれぞれの人生を歩んで大人になった3人が、殺人事件をきっかけにして再会。ひとりは被害者の父親として。ひとりは事件を捜査する刑事として。そしてひとりは事件の容疑者として。
まずはこの皮肉な設定が秀逸。そして、物語は事件の謎解きがメインではなく、あくまでも3人の"今"を、切り取っていく。この3人を演じる名優たちの演技が文句なしに素晴らしい。25年前の事件の直接の被害者で、その傷を内側に抱え込んだまま大人になってしまったデイヴを演じるティム・ロビンス(彼の、なんとも自信なさげな、諦念にも通ずるようなその背中が印象深い)、散々悪さして刑務所にも入り、今では一応落ち着いた暮らしをしているけど、その中には迸るような激情を抱き、家族のためなら何事をも厭わない、愛情溢れるジミーを演じるショーン・ペン、3人の中では一番恵まれた生活を送っているかと思いきや、その実家庭の問題を抱えているショーンを演じるケヴィン・ベーコン。この3人の、それぞれの苦しみ、痛み、葛藤を抱えた演技は観る者を圧倒する。
また、(ネタバレ)→ジミーがデイヴを疑い、とうとう彼をその手にかけてしまうシーンと、事件の犯人が、被害者ケイティのボーイフレンドの弟だということが判明するくだりのコントラストに、取り返しのつかないことをしてしまった、そして、失った時の流れ、狂った歯車はもう元には戻せないといった感を強くする。ショーンがジミーに「犯人が捕まった。」と告げたときの、ジミーの「遅かったけどな。」という言葉に(ショーンがこのことを告げに来たときのジミーの憔悴しきった表情が印象に残る)、ジミーはデイヴを手にかけたというその事実を、一生背負って生きていくことに決めた決意を感じたというのは穿った見方だろうか。そして、エンディングのパレードで、ジミーを見つけたショーンがとる、ジミーを撃つポーズ。おそらくショーンは、ジミーのしたことに気がついているのだと思うのだけど、はたして、刑事として、彼は自分の中で、どのように落とし前をつけるつもりなのだろうか・・・?←(ここまで)
そして、2時間20分という上映時間をまったく長いと感じさせずに、グイグイと引っ張っていく脚本も見事だし、ある意味非の打ち所のない作品だと言えるだろう。が、しかし、その非の打ち所のなさがかえって仇になったみたい。良く出来過ぎているがために、どうも、観ているこっちは物語の世界の中に入り込むというよりも、物語の外側から、傍観者のように眺めるほかないといった感じ。あたしのように、何らかの形で感情移入できるかどうか、ということを主眼に置いて観る人間にとっては、置いてきぼりを食らった感じ。その結果、これだけの作品なのに、胸にグッとくるものがなかったというのが正直なところ。う〜ん、間違いなく完成度は非常に高い作品だとは思うんだけどね・・・。
リクルート
「信じるな―自分の《五感》でさえも。」
えっと、CIAのスパイ養成の内幕、という視点で観ると、"ファーム"での訓練内容なんかは、凄くリアリティーがあって、「なんか、マジでこういう訓練やってそ〜。」という気になる。そういう意味ではこの辺の描き方などは成功しているのではなかろうか。
ただ、この作品における何が真実で何が真実ではないのか、何がテストで何が現実なのか、といったテーマは決して目新しいものではないし、キャストを見れば大体誰が"悪"なのかということは容易に想像がつくようなもの。喧伝されている"罠"についても、結末が大体見えてしまえば、別に引っ掛かるとか、そういう類のものではないと思う。とはいえ、二転三転しながら真相に向かって進んでいく展開は、決して悪くはなく、仮に結末が見えていたとしても、最後まで何だかんだとハラハラしながら観ることができたということで、それが致命傷になったわけでもない。まあ、こういう野暮なことを言わずに素直に物語の流れに身を任せれば、楽しめる作品ではあるだろう。
それで、やっぱり出色の出来なのはCIAの教官ウォルターを演じるアル・パチーノ。今さら彼に対して"出色"なんて言葉を使うのは失礼極まりない気もするけど(笑)、今まで彼に抱いていたイメージとはやや違うエキセントリックがかった面、言葉を巧みに操り、有無を言わせずジェイムズを"ミッション"に引きずり込む手練手管。なんとも貫禄十分で、見応え十分。それと、今回は珍しく眠そうな顔ではない(笑)。一方のジェイムズを演じるコリン・ファレルは普通。いつの間にか"ミッション"に巻き込まれ、愛する者を疑いながら真相に向かって奔走する姿は悪くはない。でも、やっぱりアル・パチーノと並んじゃうと、存在感という点でまだまだ見劣りはしちゃうよね。でも、ラストのあの一言で、何が真実なのか悶々としていた彼の気持ちは救われたんじゃないのかなと思う。
や〜わの目次へ 2004年の目次へ INDEX ページトップへ
ルビー&カンタン
「振り向けば、ヤツの笑顔が追ってくる!」
フランシス・ヴェベール監督の前作「メルシィ!人生」 が、2002年のBEST3にランクインし、次回作を非常に楽しみにしていたところ、この作品が公開決定という嬉しい知らせ。迷わず公開初日に足を運んだ。
結論として、「奇人たちの晩餐会」 や「メルシィ!人生」 のような強烈な皮肉や小粋さは影を潜めているものの、その分、それぞれのセリフが絶妙で"笑い"の度合いの高い、テンポよく進む、最初から最後まで笑いの絶えない良質の典型的なコメディ作品に仕上がっていると言っていいだろう。いや〜、理屈抜きで面白かった〜。
オープニングのジェラール・ドパルデュー演じるカンタンの強盗シーンで掴みはOK。カンタンと両替所の職員の会話のやり取りがベタなんだけど、吹き出さずにはいられない。ここで気分が乗ってしまえば、85分という短時間の作品なだけに、もうラストまで一気。ややくどく感じる部分もあるものの、ひとつひとつのシーン、小ネタが妙にツボにハマり(病院のベッドに横たわる老人の上に座っちゃうシーンがブラックなんだけど好き。「もう死んじゃったじゃん。」ってね・・・(笑)。あと、病院から脱走するシーンね。クレーン戻ってるし(笑)。その他にも、病院脱走時のパジャマ姿から服装が変わっていく顛末とか、牛の鳴き声なんかもグー(死語))、全然退屈しなかった。
このカンタンを演じるジェラール・ドパルデュー(いつの間にあんなに激ヤセしたの?)がとにかく素晴らしい。「メルシィ!人生」 において、そのコメディ・センスは十分に実証済みなわけだけど、今回もそれに輪をかけたハマリぶり。気は優しくて力持ち。オマケに喋りだすと止まらない上にやや(というかかなり)ピントがズレているので周囲からは"アホ"、"マヌケ"呼ばわり(つうか、間違いなく突き抜けた"アホ"なんだけど(笑)。やはり、ヴェベール作品においてはこういう傍から見ての変わり者キャラは必須でしょ!)されるけど、ルビーに対するように、一度親友とみなしてしまうとその友のために一生懸命になる姿は、どうにもこうにも憎めない。
一方のルビーを演じるジャン・レノ。愛する彼女を殺したギャングのボスに対する復讐心に燃え、カンタンとは対照的に最初は無口でハードボイルドに決めている(でも、"馬の目"でぶち壊しやね(爆))。この主演ふたりのコントラストが面白い。最初はカンタンのことを鬱陶しいだけの存在だと思っていたのに、徐々にカンタンのペースに巻き込まれ、いつしかルビーもカンタンのことを"友"と感じていく。単なる笑いだけのコメディではなく、ここには男の友情なんてテーマも見え隠れしていたりして。
まあ、すべてにおいて完璧だった「メルシィ!人生」 と比べると(って、別に比べなくてもいいんだけど)、ラスト近くに登場するルビーの死んだ恋人に生き写しの女性の関わり具合が今ひとつ中途半端だったり、ラストがやや駆け足気味で、些か消化不良気味な面も。ふたりの"その後"も描いてくれたら(カンタンが手に入れたカフェでルビーがひたすらレジ打ちをする姿や、カンタンがカフェの客に対して喋り倒している姿なんかも見てみたかった)、もっと余韻の残る作品になったかとは思うが、そういったマイナス部分を差し引いても文句なしに面白い作品だと思う。やっぱりあたしはフレンチ・コメディと相性がいいみたい。
や〜わの目次へ 2004年の目次へ INDEX ページトップへ