まとめてポン!2004年2月編
きまぐれな唇
ギャンブル・プレイ
コンフィデンス
ショコラーデ
25時
みんなのうた
きまぐれな唇
「キスを迫る。「愛してる」と囁く。そして、嘘をつく。」
あたしの中では、韓国映画は恋愛モノが特に優れているという図式が出来上がっているのだけど、この作品は、あたしが従来韓国の恋愛映画に抱いていたイメージとは異なる、ドラマティックでもなんでもなく、男女の駆け引きをかなり淡々と描いたもの。モチロン、恋愛なんてそうそうドラマティックなものばかりではないし、この物語もその根底には男女のそれぞれの想いなんてものが流れているのだろうけど、もう少し違ったものを期待していただけに些か肩透かし。
ストーリーは、ちょっとばかり名の知れた俳優が、期待していた映画の役を下ろされてしまい、あてどない旅に出、その旅の途上で出会うふたりの女性とのロマンス(?)が、ホントに淡々と、素っ気ないくらいに流れていく。いや、確かに彼らの会話とかはどこにでもある日常なものだし、「あ、こういうのあるかも〜。」となる部分もないとは言えないんだけどさ、そのあまりの素っ気なさに、途中で感情移入ができなくなるというか、感情移入を放棄しちゃいました、あたしは。
それと、物語の淡々具合と歩調を合わせるかのごとく、この作品にはBGMの類が一切使われていないというのも、映画と音楽は密接不可分なものであると考えているあたしのテイストと合わなかったのかも。とはいえ、音楽が使われていなかった分だけ、ラストの雨音が非常に印象だったというのはあるけどね。いずれにしても、なんとも摩訶不思議な作品だったということで。
ギャンブル・プレイ
「ゲームのルールは10。その1 強運の"目"を持つ女を手に入れろ。」
ニール・ジョーダン監督作品といって真っ先に思い浮かぶのは、やはりあの傑作「クライング・ゲーム」だったりするのだが、それと比較してこの作品は、サスペンス色、構成の妙、意外な展開などの要素がかなり減退している、クライム・ムービーとしてはかなりプロットが粗いと言わざるを得ない。しかし、そういったクライム・ムービーとしてのプロットの粗さ、詰めの甘さも、主演のボブを演じるニック・ノルティのキャラのハマり具合でなんとなく許せてしまうというのが妙に可笑しい(笑)。なんと言うか、彼のキャラクターと、終わりよければすべてよし的なお約束的なご都合主義のストーリーが上手くマッチしちゃったみたいな、そんな感じ。「いいのか、そんなことで?」と言われても、結構面白いじゃんと思ったんだからしょうがないじゃん、みたいな。
ツキに見放されたうらぶれたヤク中のギャンブラー、ボブ。そんな彼が思いついたカジノ強奪計画。それを実行に移すために警察を出し抜き、計画を練り、いざ実行へというときに起こる思わぬアクシデント(なんで、あんなことで熱くなって殺しちまうかね?)。それでも計画は続行される。計画のうちひとつは完遂できずに果てるのだが、もうひとつのプラン、実はこれが本筋といわんばかりのまさにギャンブル、というか、ギャンブルそのままの計画でもって運命のルーレットが回りだす・・・。その結果提示される結末には、「な〜んだ。」というよりも、ある種の爽快感すら感じられる。う〜ん、やっぱり人生ってギャンブル(笑)。ちなみに、レイフ・ファインズがキャストに名を連ねているけど、ほとんどカメオっぽいゲスト扱いで、あんまり印象に残りませんでしたな(苦笑)。
コンフィデンス
「ラスト10分。気づいたときにはダマされる」
いや〜、久々にこういう"コン・ムービー"の王道的作品にお目にかかったかも。天才詐欺師のジェイクが仲間と共に巻き上げた金は、執着心の強い暗黒街の大物キングの金。窮地に陥ったジェイクが打った手は、キングと組んで500万ドルの大金を奪い取る計画。そこに、しつこくジェイクを追いまわすFBI捜査官ビュターンが絡んでくることで計画は急展開。物語は、この計画を中心として、テンポよく進んでいく。チラシなどの前宣伝で、この作品はラストに大いなる仕掛けがあるということを承知していたので、多少は先を読みながら観ていたのだけど、途中から作品自体の面白さに引き込まれて、メンドーなので先を読むことは止めて、物語の流れに身を任せることにした。その結果、ダマされたといえばダマされたんだけど、なんというか、「おお〜、そうきましたか!」という、なんとも爽快感すら感じるダマされ方。まったくズルさもないし、こうやってスッキリとダマされると気持ちいいよね。
↑でも書いたように、あたしはこの手の作品については、頭悪いんで頭使うのがメンドーだから(爆)というのもあるんだけど、基本的に先を読むという行為はできるだけしないようにしている。だって、そんなことして肝心の物語を楽しめなかったら勿体ないでしょ。だから、この手の作品でよくある「途中で結末が見えたから面白くなかった。」などという意見には首を傾げることが多いのね(最近では「“アイデンティティー”」 においてそういう意見を耳にした)。そういう人は、極端な例えだけど、推理小説で結末部分だけを読んでその作品を読んだ気になっている人なんじゃないのかな?って思っちゃうんだ。エンターテインメントというのはそうではなく、仮に結末が読めたとしても、最終的に納得のいく見事な着地を決めてくれるか、そこに至るまでの展開が破綻なく示されるかどうか、いわば脚本の出来不出来、そこまで含んでトータルで評価すべきことなんじゃないかと思う。モチロン、脚本自体がボロボロで腑に落ちないような結末が提示されれば、あたしも遠慮なく叩きますけど(笑)。
おっと、話がかなり脇道にそれてしまった(汗)。で、この作品はどうだったかというと、確かに最初に書いたとおり、ラストの展開など含めて"コン・ムービー"の王道的作品なので、勘の鋭い人は恐らく途中でオチは見えたと思うんだけど、それでも脚本自体にまったく破綻はないし、後から思い起こせば至る所に伏線が張り巡らせてあって(キーワードは、"カモ以外は全員役者")、それがしっかりと機能しているといところが非常に上手いと思う。だから、すべての真相が明らかになった後でも、「なんじゃこりゃ!?」ではなく、「ナルホドね!」という爽快な気分が味わえるんだと思う。しかも、オープニングですでにジェイクが捕まっていて、頭に拳銃を付き付けられながら今回のヤマについての顛末を語り始めるという、彼の回想形式で物語が進んでいくところなど、あの傑作「ユージュアル・サスペクツ」 や2002年の拾いモノ大賞「クライム&ダイヤモンド」 を思い起こさせて、それだけでもあたしのツボ。しかも、ジェイクと組んでいたはずのリリーがジェイクを捕まえて尋問してる、ってことで、一体彼らの間に何があったのか?なんてことや、はたして、詐欺仲間、裏社会の大物、FBI捜査官、悪徳警官、インテリマフィアなどの一癖も二癖もある連中が絡み合うジェイクの語るストーリーはどこまでがホントでどこまでが嘘なのか、なんてことまでも考えなきゃいけない。それだけでもスリリングで十分楽しめる。こうした、CGなどの派手な仕掛けに頼らずに、物語の面白さだけで楽しませてくれる作品は、とても貴重だ。
また、演じる俳優たちも、ジェイクを演じるエドワード・バーンズやキングを演じるダスティン・ホフマン、リリーを演じるレイチェル・ワイズ、そしてビュターンを演じるアンディ・ガルシアのメインとなる連中だけでなく、脇を固めるポール・ジアマッティ(個人的には彼が一番印象的)、ルイス・ガズマン、ブライアン・ヴァン・ホルト、フランキー・Gなどがしっかりとした仕事をし、彼らが皆上手く噛み合っているということが、この作品を一層盛り上げていると言っていいだろう。派手さはないが、安心して観ていられる秀作だ。
ショコラーデ
「私は、本当は誰なの―」
この作品は、実話に基づいたものだという。ニューヨークで起こった老婦人の死と、主人公レナの故郷ドイツで起こったレナの祖父のチョコレート工場の火災、このふたつの事件が絡み合い、様々な事実が次第に明らかになり、そして最後に提示される衝撃的な事実。確かに、実話に基づいたサスペンスとしてのプロットには幾分の粗さ、不必要な部分も見受けられるものの、それを差し引いてもレナと死亡した老婦人の息子デイビッドのロマンスも絡ませながら最後までスリリングに展開していく、骨太で見応えのある作品と言えるだろう。
それにしても、ユダヤ人とナチス、このテーマは永遠のものなんだろうか。そして、多少の脚色が加えられているであろうとはいえ、こういったことが実際に起こっていたという事実に戦慄さえ覚える。こういった事実を今この時代に明らかにし、映画というエンターテインメントのフィルターを通してでも世に問うこと、それこそがこの作品の監督&脚本、そして主演も務めたダニー・レヴィ&マリア・シュラーダーの意図なのかも知れない。そういう意味では、ハリウッドでの映画化が決定したものの、そのオファーを蹴って、自国ドイツで映画化に漕ぎ着けたこと、そこに大いなる意義を見出せるのではなかろうか。
25時
「その時 彼が見た もう一つの人生。」
この作品がエドワード・ノートン主演で映画化されると知ったとき、迷わず原作本を手にした。作品の内容に感心した一方で、主人公となるモンティのキャラ。正直これがノートンと被ることがなかった。何故なら、ここで描かれるモンティというのは目を見張るような美男子という設定で、失礼ながら、あたしはノートンの熱烈なファンであるものの、決して彼のことを美男子だとは思っていなかったから(汗爆)、いくらカメレオン俳優の名をほしいままにしている彼であっても、はたして原作のイメージを壊さずにモンティを演じることができるのだろうか?そんな疑問を抱いていたのが正直なところ。しかしだ、実際にスクリーンで目の当たりにした彼の姿、なんとまったく違和感がない、新たなモンティ像というものを演じている。決して顔の造作ではなく、彼が持つその雰囲気、オーラ、そういったもので美男子キャラというものを表現している。確かに厳密に原作のモンティと比べた場合、幾許かの違いというのはあるにしても、そういったものをすべて薙ぎ倒して説得力を持ったモンティ像。演じているというよりも、完全に成りきっている。まさに渾身の演技。なんてカッコいいんだ、エドッち!正直ここ数作の彼の演技には物足りなさを感じていただけに(こちらが彼に求める水準というのが高過ぎるというのがあるんだろうけど)、久しぶりにこちらが求めるノートンらしさを十二分に堪能したって感じ。最初に「大丈夫か?」なんてあたしの心配は単なる杞憂。というか、あたしはノートンのことを正当に評価していなかったってこと。彼に対して申し訳ない気持ちで一杯だ(冷汗)。ホント、ゴメンなさい。
って、そんなノートン賛歌はここまでにして(笑)、作品はどうだったかというと、舞台はニューヨーク、監督はスパイク・リー、オープニングで地上から夜空に照らされるサーチライト、そう、原作にはないあの、9.11、その傷跡が描かれているということに気付かされる。この作品は、モンティが犯した罪、失ってもう取り戻すことのできないものに対する喪失感、事件をきっかけとしてそれぞれのキャラクターが内面に抱える痛みと哀しみ、そういったものとグラウンド・ゼロが上手い具合に重ね合わせられているということ(原作でも消防士のエピソードが語られていたのは偶然とはいえ、ドンピシャって感じだ)。だけど、そういったものを妙に感傷的に描くのではなく、原作に忠実に(原作者のデイヴィッド・ベニオフが脚本を手がけているというのもあるのだろう)、少し距離を置いてクールに描きくことで、それがかえって効果的に観る者の心に突き刺さるんじゃなかろうか。そりゃ確かにモンティについては自業自得だと言ってしまえばそれまで。そこから派生する悔恨の情(「俺にとっては最後の夜だ。」とか、「日曜日なんてくそくらえだ。」とか、そんなセリフの端々に表れる彼の感情がね・・・)、収監される白人の美男子の彼に待っているであろう恥辱の日々に対する恐怖感、彼に対して何もしてあげられなかったんじゃないかという父や友人たちの後悔の念、今更そんなことを思ったとしても運命の歯車は回ってしまってもう元には巻き戻すことができない。分かっていても、それがなんとも切なく哀しい。
そして、最後の夜に落とし前を付け(できればコースチャとのエピソードをもう少し描いてくれていたら、ここはもっと効果的になっていたと思うが)、その翌朝にモンティが下す決断と親友への頼み。原作を読んでいて展開が分かっていたとはいえ、それでもモンティとフランクの心の内を慮るに、泣けて泣けて仕方がない。このことがあった後のフランクとジェイコブのショットがなんともいい感じ。
また、ラストで今まで散々罵ってきた人たちの顔が重なるシーンが逆に懐かしささえ感じさせるようなシーン、モンティの心の心象風景、この辺も上手い具合に描かれていたと思う。彼の向かう道は決して平坦ではないけれど、それでもこの一夜を通して彼の心が少しでも後悔という呪縛から逃れられればと思ってしまう。
みんなのうた
「ハモって笑って。」
今では"メタル・オタク"の名をほしいままにしている(?)あたしだけど、その昔、20年程前までは、フォーク大好き人間だった。モチロン、アコースティック・サウンドは今でも大好き。でも、この作品中に出てくる"フォーク"は、あたしが聴いていた時代のフォークではなく、それよりももっと昔、1960年代のフォークソング。物語は、1960年代にフォークソング・ブームを巻き起こした伝説のマネージャーが亡くなり、彼の追悼コンサートのために、かつて活躍していた3組のフォーク・グループが30年ぶりに再結成。フォークの殿堂タウン・ホールに立つまでの顛末を、バンド・メンバーに対するインタビューなどを挟んだドキュメンタリー・タッチの構成で追っていく。
ドキュメンタリーといっても、そこはロック・ファン、メタル・ファンを自認するなら未見であってもそのタイトルだけは知らないはずがない伝説の映画「スパイナル・タップ」 (残念ながらあたしも未見のまま)の共同脚本を書き、出演までしたというクリストファー・ゲスト監督作。某誌のレビューでは"フォーク版「スパイナル・タップ」 "などという評され方までしていただけあって、とにかく妙で、へんちくりんなハズし具合がたまらない。インタビューで語られるそれぞれのグループ結成の事情や、解散後の活動のくだりなど、かなりあたしのツボを突いていて、最初の方は笑いが絶えなかった。
しかも、脚本にはそれぞれのキャラクターの細かな特徴だけが記されているだけで、セリフの類はすべて演じる俳優たちのアドリブという、行き当たりばったりというか、俳優たちの息が合ってないと成立し得ない構成。だけど、その辺は全然わざとらしくない、とても自然な流れ(「人生は、時々晴れ」 なんかもそうだったな)。そして、今の時代とは微妙に、いや、かなりズレている彼らのキャラクター。全然クールじゃない。つうか、フォーク自体からして今の時代、全然クールじゃないし。だけど、"モキュメンタリー(mock(=からかう、馬鹿にする)
documentary)"という手法で描かれるそんな彼らの姿を笑いのネタにしていると同時に、フォークに対する監督の深い愛情が感じられてならないのだ。
ただ、中盤の流れに中だるみを感じて、些か退屈してしまったのもまた事実で、このままの流れで行ったらヤバイことになるな〜と思ったのだけど、そんな気持ちもラストのタウン・ホールでのコンサート・シーンですべて帳消し。再結成した3組、ザ・ニュー・メイン・ストリート・シンガーズ、ザ・フォークスメン、ミッチ&ミッキーが奏でるこの作品のために書き下ろされた素晴らしい(そして今の時代にはトホホな歌詞(笑)の)オリジナルのフォーク・ソングの数々に胸が熱くなる(気がついたら涙ぐんでた)。ここで音楽の持つ偉大なる力を改めて思い知らされた(最初に登場したMSシンガーズに自分たちが演奏するつもりだった"Never
Did No Wanderin'"を先に演られちゃったときのザ・フォークスメンの面々のあたふたぶりと、「じゃあ、こっちの曲で。」と、即座に他の曲に切り替えてステージを大過なく終えるプロフェッショナルな部分が対照的で可笑しかった)。この世の中に存在するのは"いい音楽"と"悪い音楽"の2種類だけ。いい音楽というのは、ジャンルなど関係なく、聴く者の心を震わせるのだ。最後に3組合同で演奏された"A
Mighty Wind"が終了したとき、劇中の観客と同様にスタンディング・オベーションをしたかったな〜。流石に映画館でそれは出来ないので(笑)、心の中で盛大な拍手を送り、喝采を浴びせていた。
そして、コンサート以後の彼らのその後もしっかりと描かれて、後味スッキリの、なんともハッピーな気持ちになれる作品だった。いや〜、音楽ってホントにいいですね〜(水野晴郎風)。フォーク万歳!サントラも欲しくなるよ。