[PR]何かを探す前に無料占い:当たる!無料占い『スピリチュアルの館』

まとめてポン!2004年4月編

エレファント
殺人の追憶
幸せになるためのイタリア語講座
スパニッシュ・アパートメント
ディボース・ショウ
ドッグヴィル
Re:プレイ











エレファント

 「いつもと同じ1日だと思っていた。」
 コロンバイン高校での銃乱射事件を扱った作品として記憶に新しい「ボウリング・フォー・コロンバイン」、この作品がドキュメンタリーであると同時に一級のエンターテインメント作品としながらも問題提起をしていたのと対照的に、こちらの作品は同じ事件をモチーフにしながらも一貫して静かに、この悲劇的な事件に至るまでの高校生たちの日常のひとコマを非常に淡々と描いている。だけど、その淡々さ、静かに流れる時間がかえって結末の衝撃度を増幅させているような気がする。
 思うにガス・ヴァン・サント監督は、この作品に積極的なメッセージというものを織り込もうとは考えていなかったんじゃなかろうか?この日常の何気ないひとコマが悲劇に変わるまでの過程をポ〜ンと提示すことによって、観る者がそれぞれ「何故?」と思案してもらいたい、そんな意図。あえて言うならば、それがメッセージとでも言えるのではないかということ。きっかけ、材料だけを提示して、あとは観客がそれぞれどのように考えるか、みたいな。
 そういう意味では、この作品のタイトルの由来が「盲目の僧侶たちには、手で触れた部分の印象しか語れず、像の全体像が見えない。」ということだそうだが、目に見えるものだけで判断して、その根底に流れるものを想像しようとしない人にも、この作品の全体像、本質は見えないんじゃないか、そんな独断的な考えも頭をよぎる。
 確かに簡単にその「何故?」という問いに答を導き出すのは難しいけど(この作品を観た今でも、あたしは明確な答を導き出せないでいる)、そうやって思案することは決して無駄ではないと思う。
 それにしても、ここで登場する高校生たちの姿のリアルさ。さすがに登場人物が多過ぎて全員の名前を覚えることはできなかったけど(苦笑)、ほとんど素人同然の高校生たちにアドリブでそれぞれのキャラクター、セリフを演じさせたということで、どこにでもある日常のひとコマを上手い具合に表現している。そんな中で、この悲劇的な結末を演出(といっていいのか分からないけど)するアレックスとエリックのふたり。彼らが事件を起こしたのは決してアレックスが遭っていたいじめだけに起因するものではないと思うけど(そんな単純な図式では片付けられないと思う)、彼らが自宅で興じるゲームの内容に、いつの間にか芽生えてしまった"殺人"への衝動が窺えるというのは穿ち過ぎか。また、ネット通販で銃が買えてしまうというアメリカの現実に薄ら寒いものを覚えると同時に、シャワールームで「俺たち今日死ぬんだよな。」「うん。」「俺、キスってしたことがないんだよ。」という彼らのやり取りに、微妙な生への渇望と死に対する恐怖感、そしてなんともいえない切なさ、哀しさを感じてしまう。
 また、生徒たちの背後から追うカメラワーク、同じ時間軸を何度も交差させながら、彼らそれぞれの姿をそれぞれの視点で描いていくというのがこれまた秀逸。そして、ラストに静かに流れるピアノの調べがこれまた哀しい。

あの目次へ   2004年の目次へ   INDEX   ページトップへ

殺人の追憶

 「おまえがやったことを憶えているか?」
 1986年から1991年にかけて韓国のある農村で10人の女性が殺され、3,000人の容疑者が取調べを受け、180万人の警官が動員されたにもかかわらず、結局現在に至るまで未解決のままという実際に起こった連続殺人事件をモチーフにして、「ほえる犬は噛まない」 のポン・ジュノ監督がなんとも緻密で力強く、時にはユーモラスに、そしてリアリティに溢れた傑作を届けてくれた。「ほえる犬は噛まない。」 も一風変わったユニークな印象深い作品であったが、こちらはそれとはまた異なる緊張感のある作品。今後がますます楽しみな監督だ。
 物語は実話を基にしているのだから、当然犯人が誰かということも含めて明確な結末が提示されるはずもない。それを期待して観てしまうと、間違いなく肩透かしになるのだろう。だが、この作品の眼目は"誰が犯人か?"ということよりも、この異常ともいうべき事件に翻弄される警察サイド(個々の警察官の描き方が秀逸)の焦燥感、そこに関わりあっていく人々の姿、1980年代という韓国の時代風景、そういったものについての語り口の上手さなのではないかと思う。
 のどかなソウル近郊の農村で起きた今までにない事件、1980年代後半の日本と比較してもなんともアナクロな捜査手法、地元警察のパク・トゥマンとソウル市警から派遣された捜査官ソ・テユンとの捜査に対する考え方の違いによる衝突、そんな彼らを嘲笑うかのように重ねられていく殺人、焦燥感から次第に理性を失っていく捜査官たちの姿(終いにはテユンまでもが・・・)、手がかりを得られたかと思うとスルリとその手から逃げてしまう様子、画面一杯の雨、1980年代後半だというのに夜間外出禁止令が出るという韓国の時代性、最も疑わしいと思われた容疑者がシロだと判明したときの虚脱感(あの、トンネルでのシーンには心拍数が上がってしまう)、所々に挿入されるユーモアのセンス(やっぱりトゥマンが銭湯に通い詰めというところが妙に可笑しい)、どれもが非常にリアルで、本来ならば傍観者的な立場で観ているはずのこちらも画面の中に引きずり込まれそうになってしまう。
 そして、そうした物語の語り口の上手さとともに絶妙なのがキャスティング。トゥマンを演じるソン・ガンホの田舎刑事、真っ直ぐなんだけど決して綺麗ごとだけで生きているのではなく、妙にテユンにライバル意識を燃やしてみたり、終盤では完全にてんぱってしまうその姿。これはもう貫録勝ちというほかない。テユンを演じるキム・サンギョンにしても、「気まぐれな唇」 のときはそれほど存在感を感じたわけでもないが、この作品ではソウル市警から派遣され、最初はプロファイリング的な捜査を気取っているものの、この事件の前にやはり徐々に精神的に追い詰められていくその姿。前半と後半の対比がお見事だ。
 また、事件が結局迷宮入りとなり、警察官の職を辞したトゥマンが10数年ぶりに最初の事件の現場を訪れたときに聞かされる"もうひとり"の男の話。そこになんともいえない薄ら寒さを感じて背筋がゾクリ。この瞬間、トゥマンだけでなく、観ているこちら側にとってもこの事件が"追憶"の対象になってしまう、とでも言おうか。なんとも絶妙なタイミングでの幕引きに余韻が残りまくりだ。

さの目次へ   2004年の目次へ   INDEX   ページトップへ

幸せになるためのイタリア語講座

 「大人になっても恋はできるの?」
 人間、やっぱり幾つになっても恋をしていたいよな〜、なんて、決して若くはない30代の男女が織り成すハートフルでホロ苦くてちょっぴり切ないラブストーリーに、彼らとほぼ同世代のあたしなんかは思ってしまったりして。え、そりゃあたしも今恋してますよ、なんてな(笑)。
 舞台はデンマーク、コペンハーゲン近郊の街。なんだか、ここに出てくる登場人物たちの心と同じような、鉛色の空が物哀しい気がする。そして、みんながみんな、心の内に何がしかのトラブル、傷を抱えている。そんな彼らがイタリア語講座を介在として触れ合うことで、少しずつ、自分の力で前進していく姿というのが上手い具合に描かれているかなと。まあ、イタリア語講座というのはあくまでもこの作品を描く上でのファクターに過ぎないということで、あくまでも本質は人と人との繋がり、衝突、触れ合い、そして恋。まあ、確かに好きな人がいるからイタリア語講座に通おうという気持ちも分からないではないけどね。あ、あたしも5年間英会話教室に通っているけど、あくまでも自分の勉強のため、決してそんな疚しい気持ち、下心があるわけぢゃありませんよぉ(汗爆)。でも、こういう場所を通じて繋がっていくのって、決して悪いことじゃないというか、あたしの場合はかなり救われている。
 そんなあたしの個人的な話は置いといて(苦笑)、ここに出てくる登場人物たちって、なんとも生きることだけでなく恋愛にも不器用。最初は各々のキャラ、関係を把握できかねて、今一ストーリーに入り込めなかったんだけど、凡その人間関係、キャラクターが分かるにつれて、同世代だというのも手伝って、彼らのいずれもが等身大で、妙に共感できるようになっていた。いいじゃんね、生きることに不器用だって。また、アンドレアス、オリンピア、カーレンについては、身内の死というのが大きな鍵になっているというのがなんとも切ない。それと、ジュリアンになかなか告白できないヨーゲンについては、こうやってウダウダウジウジするのって、年齢なんて関係ないんだよな〜と、チョッピリ可愛らしく思えたりして(苦笑)。
 そんな彼らの関係が徐々に煮詰まってきた上でのベニス旅行。ここで迎えるほのぼのとしたクライマックス。やっぱり告白するなら北の国よりイタリアでしょ!?なんて、意味不明のことを思ってしまったりして(笑)。ここで示されるハッピーエンドに、なんだか心温まるものを感じた。そういえば、この作品ってドグマなんだよね。ドグマの何たるかは知ってはいるけど、観ている間はあまりそういったことは意識しなかったな〜。

さの目次へ   2004年の目次へ   INDEX   ページトップへ

スパニッシュ・アパートメント

 「冷蔵庫の中、電話の出かた、恋、夢―このアパートにルールなんかない!」
 留学先でひとつのアパートをみんなでシェアして、そのシェアする相手がみんなそれぞれ違う国の人間だったら、それはそれで楽しいんじゃないかと思うものの、とにかく自分の時間が一番大事、という、あたしみたいな自己中心的な人間には、いくら個の尊重があったとしても絶対こういう形態での共同生活は無理だよな〜と思ってしまう(苦笑)。
 とはいえ、そこで繰り広げられる各国の等身大の留学生たちの人間模様には、なんだか微笑ましいものを感じてしまうというのもあって、結構共感できるものもあったりして。人間って、こうした価値観の些か異なる人間と生活したり向き合うことで、またひとつ成長するというか、大人への階段を上るものなのかな〜と。そうした時代はとっくに過ぎ去ったあたしが言うのもなんだけど(苦笑)、過ぎ去った青春の日々をなにげに思い出してみたりして。
 で、アパートの電話の前に各国の言葉で「誰々はいません。」みたいな簡単な受け答え集を貼ってあったりするのもクスリとさせられたけど、個人的にかなりウケたのが、イギリス人のウェンディの弟が、他の留学生を皮肉交じりに腐すシーン。各国のお国柄みたいなものが出てくるのと同時に、こういった物言いするのがイギリス人だよな、うん、みたいな(笑)。それと、ラストでウェンディのボーイフレンドが彼女に知らせずに急遽このアパートに来ることになって、そのときウェンディはそんなことは知る由もなくこっちで知り合ったボーイフレンドと部屋でいちゃついていたりするわけだけど、そんな彼女の窮地を救うために、アパートのみんなで一致団結して行動するシーンというのも、なんだかホッとできるものがあってよかった。でも、ウェンディの弟はいい迷惑かも!?(謎笑)。
 こうした多国籍人間の交わりの他に、もうひとつの見所がグザヴィエとフランスに残してきた彼のガールフレンドマルティーヌの関係だったりするのだけど、まあこの辺りはお約束的な展開という気もしなくはない。正直あんまり印象には残らなかった。で、このマルティーヌを演じているのがオドレイ・トトゥなんだけど、今の彼女のステータスからするとなんとも地味な役回り。「?」と思ったら、この作品が製作されたのが「アメリ」 とほぼ同時期らしい。つまり、ブレイク前のオドレイちゃんなわけね。それで納得。

さの目次へ   2004年の目次へ   INDEX   ページトップへ

ディボース・ショウ

 「結婚―この世でもっとも危険な約束。」
 しかしまあ、コーエン兄弟の作品にもキャサリン・ゼタ・ジョーンズみたいな"ハリウッド女優"が出る時代になったのね。って、妙に感慨深いものがあったりして。といいつつ、彼らの次回作(「レディ・キラーズ」 )はトム・ハンクス主演だし。まあ、それがいいとか悪いとか言うんじゃないけど、個人的にはもっとインディペンデントの薫りがする作品を撮ればいいのに、なんて身勝手なファン心理だったりするのだけど(苦笑)。ただまあ、題材が"婚前契約"などという、そこいらの凡百の作品とは毛色の違う題材ということで、これはこれで楽しみだなと思ったりして。
 で、結論。テンポも悪くないし、キラリと白い歯ジョージ・クルーニーやゴージャスを絵に描いたような強欲女のキャサリン・ゼタ・ジョーンズ、あの田舎っぺ丸出しの字幕がなんともイカしている成金(?)ビリー・ボブ・ソーントンにそういや彼ってオーストラリア出身だったよな〜と、最初の「くそオーストラリア野郎!」みたいなセリフが妙にツボにハマったジェフリー・ラッシュとか、それぞれのキャラクターも上手い具合に機能していて、これはこれで素直に面白いと思えたのは間違いない。
 肝心の"婚前契約"にしても、日本ではあまり馴染みのないものだろうけど、アメリカではこういうの日常茶飯なんだろうな〜と、その実態みたいなものが非常に興味深かったし、最初は敵同士のはずのマッシーとマリリンが恋に落ちちゃって(あそこでキルトとは!)この"婚前契約"をどうするのか、いくつかの二転三転があって最後は上手い具合にハッピーエンドみたいなくだりは、定番といえどもこれもありでしょみたいな。まさかコーエン兄弟がこんな作風の作品を撮るとは思わなかったけど。
 でも、ライト感覚で素直に楽しめたのは間違いないんだけど、それでもやっぱりコーエン兄弟作品のファンとしては、従来のブラックさ、シニカルさ、毒気があまりにも薄味で、そこに物足りなさを覚えたのも確かなところ。せいぜいマッシーがマリリンに差し向けた暗殺者のくだりのところくらいかな〜。彼ら"らしさ"を感じたのは。面白いんだけど、彼らの代表作にはなり得ない作品ということで。とはいえ、彼らは元々色々な色調の作品を撮っているから、こういうのもありかなと。と思ったら、この作品って、彼らだけの手になる作品ではなかったのね。そりゃ外部の手が加わったら、こうなってしまうのも仕方ないか。

たの目次へ   2004年の目次へ   INDEX   ページトップへ

ドッグヴィル

 「審判の日がくる。」
 いや〜、ラース・フォン・トリアー監督はやっぱりラース・フォン・トリアー監督だったな〜と、のっけから意味不明な言葉を吐いてしまうほど、この作品は「奇跡の海」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」 から連なる緊張感と不快感たっぷりの作品に仕上がっている。これはもう、ミヒャエル・ハネケ監督作品やギャスパー・ノエ監督作品同様、理屈ではなく、生理的に好きか嫌いか、賛否真っ二つに分かれて然るべき作品なんじゃないかなと。彼の監督する作品の作風を知らずに観てしまった、こういった作品がダメな人は、これは皮肉でもなんでもなく、こんな3時間もある不快な作品を観せられてしまって、心底もう、ホントにお気の毒様でしたとしか言いようがない。
 舞台はロッキー山脈のドッグヴィルという隔離された村。しかもセットも何もなくて、黒い床に白い線が描かれただけ、そんな舞台劇のような実験的な試みの中で剥き出しにされる人間のエゴと心の闇。閉鎖的なムラ社会に放り込まれた異分子、最初は良好な関係であっても、所詮は人間。ちょっとした歯車の狂いから少しずつ噴出していく欲望と欺瞞、そして最後に訪れるクライマックスとしての復讐。しかも、その手法はグレースが最も忌み嫌っていたはずのなんとも非常で冷酷な、文字通りすべてをなぎ倒し、焼き尽くすかのような暴力。「KILL BILL Vol.2」 ではないけれど、グレースも結局は"生まれついての○○"なんだろうか・・・。一番背筋が凍ったのが、涙を流さなかったら、目の前で子供を殺すのを止めてやるというくだり。陶器の人形に対して自らがなされたことをそのまま生身の人間にという、最大限に効果的で残酷なその仕打ち。心のうちに燃え盛る狂気ともいうべき復讐の炎(うわ〜、なんかメタルの邦題みたい(笑))。
 それらが、各チャプターごとに展開を暗示するかのようなト書き(って言っていいのか?)を用いたというのもあるのだろうが、3時間という長尺をまったく感じさせることなく最後まで緊張感を保ったまま展開していく。そして、最後に残される絶望感と虚無感、虚脱感。しかし、こういったダークな作品を好むあたしにとっては、モチロン爽快とは言い難いが、不快であっても決して不愉快ではない、そんな気持ちが残る。そういった意味では、ラース・フォン・トリアー監督のこの試みは成功したと言っていいのだろう。

たの目次へ   2004年の目次へ   INDEX   ページトップへ

Re:プレイ

 「2分間の死が男を記憶の迷宮に陥れていく」
 監督が「トンネル」 のローランド・ズゾ・リヒター、原作と脚本があの驚天動地「“アイデンティティー”」 のマイケル・クーニーとくれば、否が応でも期待せずにはいられない。しかも、マイケル・クーニーということで、今回はどういった"仕掛け"が施されるのか、そういった興味も膨らむ。結果として、「“アイデンティティー”」 のような衝撃はなかったものの、それでもこの手のサスペンス作品としては、物語に破綻のない高品質の作品に仕上がっていると言っていいだろう。
 事故により病院に運び込まれ、2分間の心拍停止より蘇生したサイモン。しかし、過去2年間の記憶を失い、それまでの記憶を探るうちに再びベッドの上で目を覚ます彼。しかしそれは2年前の同じ病院。何が現実で、何が虚構なのか、それともすべてが虚構なのか、幻覚なのか。そこに絡んでくる身に覚えのない殺人、謎の女、兄、見知らぬ妻・・・。サイモンがこのふたつの時を交差しながら辿りつく真実。その真実が徐々に明らかになる過程、物語の中に散りばめられた謎を解く鍵。観ている途中で「あ、おそらくこういうことなんだろうな〜。」と、決して目新しくはないその結末の予測はついたものの、色々な作品のレビューで言及しているように、あたしは途中でネタバレしても、たとえそれが使い古されたネタであっても、しっかりと着地してくれれば問題なし。そして、すべての真実が明らかになった後のパズルのピースがハマるところにしっかりと収まるかのような感覚。観ている途中は「え、これって、普通ではあり得ないじゃん!?」などと思っても、提示された結末にすべて納得。まさにこの手の作品の醍醐味。だけど、何故サイモンが最初に目覚めたのが2002年だったのか、ということも含めて、そこに示される真実は、なんとも哀しい。(ネタバレ)→あのときああしておけばと悔やみ、その現実を受け入れられずに彷徨っていたサイモンの魂が天に召されることを切に願う。←(ここまで)

や〜わの目次へ   2004年の目次へ   INDEX   ページトップへ


















[PR]500000円当る!通信講座:通信教育の費用に♪今なら無料で車も当る