[PR]結婚の悩みって多いょ!占う?:よく当たる願いが叶う占いって評判ダョ♪

まとめてポン!2004年5月編

みなさん、さようなら
列車に乗った男
レディ・キラーズ
ロスト・イン・トランスレーション












みなさん、さようなら

 「偏屈パパの素晴らしき人生」
 人間は自らの最期をどのように迎えるのか、そしてそれを送る周囲の人間はどのように送るのか。そういったことをテーマにして、そのときを迎えるまでの家族と友人との触れ合いを描くとなると、間違いなくあたし好みのテーマの作品のはずで、いつもなら号泣なんだろうけど、この作品に関しては、一滴たりとも涙を流さなかった。というか、ハッキリ言って途中で退屈してきてしまった。やっぱりあたしは鬼だね(笑)。周りではかなり評価の高い作品に対してこんなことを言うと、なんて"情"のない奴なんだと思われるかもしれないけれど、実際に"情"がないんだからしょうがない(笑)。
 どうしてなんの感傷も抱かなかったのか、未だに具体的な理由が分からないんだけど、映画を観る際は登場人物に対して何らかの感情移入ができるかどうか、共感できるかどうかということを主眼にしているあたしにとっては、とにかく登場人物の誰に対してもまったく共感も感情移入もできなかったというのが一番痛い。
 まずは主人公のレミの息子のセバスチャン。学者で享楽的な人生を歩んだレミとは正反対の合理的主義者の証券マンの人生を送っている彼が父親の状態を聞きつけてロンドンから戻ってくるのはいいけれど、彼がレミのためにしてあげたことって、結局金にモノを言わせて病院や病院の組合を買収して病院のワン・フロアを借り切ったり、別にレミのことなどどうとも思っていないレミの教え子の学生に金を渡して彼の見舞いに来させてみたり、挙句の果てにはレミの友人のヤク中の娘を雇って痛みを和らげるためのヘロイン治療を施してみたり、結局すべて金で片をつけているというのが気に入らない。あたしはこんなのは決して親孝行だなんて思わないし、愛情だってこれっぽっちも感じない。自分の父親の最期くらいもっと傍にいてやれよ、みたいな。子供の頃から父親と上手い関係を築けなくて不器用な息子でした、なんて言われてもね〜。不器用だからこそ、傍にいてやることでその気持ちを伝えることができるんじゃないのか?ま、この"金"にまつわることは、拝金主義の世相に対する監督の皮肉だという見方もできなくはないんだけど(見舞いのバイトに来たひとりの女子学生だけ金を受け取らなかったのには確かにホッとしたし)、たとえそうだとしても結局はセバスチャンの気持ちが観ているこちらにまったく伝わってこなかったのだから、ラストで父子が抱き合ったところで、違う人生を送ってきた者同士の気持ちが通じ合ったとは思えないよ。
 あと、セバスチャンが呼び集めたレミの旧友たち、なんかこいつらも左翼のインテリだかなんだか知らないけど、彼らの語る言葉に全然レミに対する友情という感情が読み取れなかったし、大体にして、あたしはこういう概念的なことばかり語る奴は大嫌いだし(笑)。こういう会話はユーモアとは認めません(きっぱり)。
 それと、レミにしたって、死を迎える切迫感がまったく伝わってこないんだもん。別に泣き叫べばいいというもんでもないけどさ〜、抑えた演技や普段の何気ない仕草の中でも死に対する恐怖感とかって醸し出すことってできるでしょ?レミの場合は、「ホントにこいつこれから死ぬのか?」なんて思わずにはいられなかったもんな(苦笑)。
 そしてラストの別荘のシーンね。家族や友人に見守られて逝くというシチュエーションは悪くはないし、別にああいう方法での最期の迎え方を全否定するつもりはないけど、なんか、凄い身勝手さを覚えたのもまた事実なわけで。結局人間は死ぬときは独りなんだよというのを持論としているあたしにとって、ああいう方法論が受け入れ難かったのかもしれないし。いずれにしてもかなり期待が大きかっただけに、残念というか情けないというか、この作品とはさようなら、みたいな、そんな感じ(苦笑)。

まの目次へ   2004年の目次へ   INDEX   ページトップへ

列車に乗った男

  「その列車は、あなたを、叶わなかった人生の終着駅へと旅立たせてくれる。」
 パトリス・ルコント監督といえば、あたしのミニシアター・デビューとなったのが彼の「タンゴ」 だったな〜と、なにやら感慨深いものがあったりして。そんな彼の新作は、ひょんなことから知り合ったバックグラウンドのまったく異なるふたりの孤独な男、彼らの間に芽生えた奇妙な友情、そしてそれぞれが心の内に抱えていた今まで自分が送ってきた人生と違う、"別の"人生に対する静かな渇望、願望を、ユーモアも交えながら静かなタッチの中で描きつつ、そこはかとない人生の哀愁を感じさせるような作品なのではなかろうか。
 ずっと街にとどまって限られた人間関係の中で一見穏やかな生活を送る引退した大学教授のマネスキエと街から街へと流浪の生活を送る、憂いのある表情が印象的なミラン。そんな正反対のふたりが出会い、一緒に過ごす数日間。まったく正反対なふたりだからこそ自分たちにない"何か"を感じ、共鳴するのだろうか。常にスペアを用意して計画的。だけど、その心の内には"ワイルド"なものに対する羨望(フリンジの付いた革ジャンを羽織ってポーズを決めるその姿がなんとも微笑ましいと同時に物哀しい)を抱いているであろうマネスキエ、一方、流れ者としての人生を送るものの、行く年波には勝てないのか、穏やかな安定した生活を送りたいと感じているのではないかと察せられるミラン。そもそもお互いの心の奥底に"別の"人生に対する願望があったからこそ、彼らの人生がクロスすることで何かに吸い寄せられるかのように親密になっていくのだろうか。
 だけど、そうやってお互いが持つものをお互いにフィードバックさせて友情を育むも、彼らが一緒に過ごせる時間は僅か。別れの日である土曜日、それぞれの人生のターニング・ポイント、いや終焉のとき。静かに流れた時間の後にいきなり提示される結末。これには一瞬「?」となり、実はこの作品を観終わってすぐは、何がなんだか分からなかった。だけど、観終わってからツラツラと考えながらこのシーンの意味するところに思い至り、「そういうことなのか!」と。なんだか後からジワジワとくるような、そんな気分。きっとああいう形で彼らは彼らが望んだ"別の"人生を手に入れたのだろう。列車に揺られるマネスキエの枯れた表情がとても印象的だ。
 そして、この作品は主演のふたりあってのもの。マネスキエを演じるジャン・ロシュフォールとミランを演じるジョニー・アリディ。マネスキエの枯れた味わいとミランの男の哀愁。それぞれがいい味を出している。

や〜わの目次へ   2004年の目次へ   INDEX   ページトップへ

レディ・キラーズ

 「5人の犯罪プロフェッショナルによる、完全無欠のカジノ強奪計画。ただひとつの誤算は、ひとりの老婦人・・・。」
 あたしは今でもコーエン兄弟の最高傑作は「ファーゴ」 だと思っているし、今後もその考えは変わらないと思う。この作品で、コーエン兄弟はひとつの"型"を作り出したと思うし、おそらく今後彼らが撮る作品でこの作品を超える作品は生み出されないとも思う。だから、「ファーゴ」 以後の彼らの作品に対して「ファーゴ」 と比べてどうだとか、「ファーゴ」 を超えていないとかの寝言をほざくつもりは毛頭ない。ってゆうか、そんなに「ファーゴ」 に拘るんだったら、別に他の作品観ないでずっと「ファーゴ」 "だけ"観てればいいじゃん、みたいな。一応コーエン兄弟監督作品をすべて観ている身からすると、彼らの作品は、「ブラッドシンプル/ザ・スリラー」「ビッグ・リボウスキ」「バーバー」 などの「ファーゴ」 の系列に連なると言って差し支えないであろう作品だけでなく、「赤ちゃん泥棒」「ミラーズ・クロッシング」「バートンフィンク」「オー・ブラザー!」「未来は今」 などの異なる色調の作品が幾らでもあるわけで。その辺を理解せずに「ファーゴ」 と違う、なんて言う人に対しては、「あなた、ファンと言いつつ、コーエン兄弟の作品実は観てないでしょ?」なんていう嫌味のひとつでも言いたくなるわけ(笑)。あ、別に誰に喧嘩売ってるわけじゃございませんことよ(苦笑)。
 なんでのっけからこんな戯言をぬかすのかというと、この「レディ・キラーズ」 に対して、意外にもコーエン兄弟"らしくない"という声が結構聞こえてくるものだから。
 そりゃ確かにリメイク作品だし、多くの人が期待する毒気は薄味でライト感覚な作品ではあるけれど、それでも冒頭の"教授"の仲間となる犯罪エキスパートたちのキャラ紹介のエピソードなんて、パンケイクの犬の防毒マスクとか、将軍の強盗の鼻の穴に指を突っ込んで撃退しちゃうなんていうのは"らしい"感じだし、カジノ強奪計画成功後、地下室を借りていた家のオーナーのマダムに目撃されて、マダムを消そうとするところから、ほんの僅かな歯車の狂いで彼らの運命が坂道を転がり落ちるように悪い方向へ展開していくのなんて、テンポとブラックさのバランスが程よい感じで、この展開は間違いなくコーエン兄弟作品そのもの。まあ、映画の感じ方なんて人それぞれだから別にどうでもいいことだし、この作品を"面白くない"というのもありだと思うけど、"らしくない"というのは絶対に違うと思うけどな〜。オマケに犯罪のエキスパートといいつつも、内輪モメからその関係が破綻したり、マダムを消そうとして逆に死んじゃったりする彼らのマヌケな死に様なんて、もう笑うしかないでしょ(将軍の入れ歯ネタがさ・・・(笑))。しかも、こういった人が死ぬというブラックなネタを思い切り笑い飛ばせるというのがコーエン兄弟の持ち味だと思うしね。で、死体を次々に橋から川を通過するゴミ運搬船に投げ落として、投げ落とした奴が次には自分が投げ落とされ、その向こうに見えるゴミの島。オープニングで映し出されるゴミの島はそういうことだったのね〜と、この辺の繋ぎ方も上手いと思うし。そして最後に"教授"までもがガツ〜ンと落ちて行く上に、ラストに落とされるのは猫が咥えたパンケイクの指だもんな。これまた上手いよ。
 また、この作品は決して"教授"vsマダムとか、勧善懲悪とかの単純な図式ではなく(だって、"教授"たちはマヌケなだけで悪人にには見えないし、別にマダムだって"教授"たちと対決しようなんていう気持ちはこれっぽっちもなかったと思うもん)、偶然の作用もあるけれど、勝手に自滅していく人間の可笑しさや哀しさ、滑稽さとかを描いていると思えるし、となれば、ホラ、やっぱりコーエン兄弟"らしい"作品でしょ?(笑)
 ちなみに"教授"を演じるトム・ハンクス。こういうメジャーな俳優を起用するのがまた"らしくない"なんて言われる一因なのかも知れないけどさ、確かにあたしも最初は「どうなのかな?」と思ったのは否定しないけど、あたしが彼を初めて観たのが「マネー・ピット」 だったと記憶しているから、元々こういうコメディもできる俳優だというのは知っていたので、結果的に別に違和感とかは感じなかったな。
 それと、最近のコーエン兄弟の作品は音楽が上手く使われていることが多いんだけど、この作品についてもそれは言えることで、特に敬虔なクリスチャンであるマダム(そういえば、マダムの亡夫の肖像画の表情がコロコロ変わるというのも可笑しかった)を象徴するかのごとく、エンド・クレジットで繰り広げられるゴスペルのシーンがこれまた圧巻。やっぱり音楽の効用というのは素晴らしいものがあるね。

や〜わの目次へ   2004年の目次へ   INDEX   ページトップへ

ロスト・イン・トランスレーション

  「人生の折り返し点、なぜか寂しい トーキョーで君に会えてよかった。」〜「幸せなはずなのに、ひとりぼっち トーキョーであなたに会えてよかった。」
 ソフィア・コッポラ監督って、どうしてこうも彼女にとって異国の地であるはずの東京の描き方が絶妙なんだろう。あたしが上京してから今に至るまでずっと抱いてきた東京という街のイメージをそのものズバリといった感じで描いてくれているような気がする。思うに、あたしにとっての東京って、極論しちゃうと望めばなんでも手に入るし、溢れるくらいの楽しいこともあるけど、時にすべてが上滑りというか、心にポッカリと穴が開いたような、妙に寂しさと孤独感を感じる街でもあるんだよね。
 そんな東京を舞台にして、言葉も通じない異国の地(まさに"strangers in a strange land")で出会った、ハリウッド・スターとしての地位を確立し、満たされた生活を送っているはずのボブと、若くして結婚し、優しい夫と何の不満もないかのような生活を送っているかと思われたシャーロット。だけどそれぞれ心の内に説明のしようのない孤独感と寂しさを抱えたふたりの男女が偶然出会って、連れ立ってカラオケやクラブでバカ騒ぎしても、どこか空虚な感じを拭い去ることができない様、徐々に心の中にポッカリと開いた穴をお互いに埋めるかのように心を通わせていく様、それが東京という眩いネオンの輝く、雑然としていて賑やかで、だけど寂しさを抱えた街の雰囲気と絶妙にマッチして観る者の心の奥底に染み込み、共鳴する。ある意味、東京だからこそ、このような作品を撮ることができたといっても過言ではないだろう。
 で、最初は何とも噛みあわないボブと日本人スタッフとのやり取りが妙に可笑しくて(あと、"r"と"l"の発音とかね(笑)→英語を勉強する身としては、実はかなり切実だったりして(苦笑))、ゲラゲラ笑ってたんだけど、ボブとシャーロットがそれぞれ胸の内に抱える孤独感を汲み取るに至って、ほろ苦さを覚えるとともに、何とも切ない気持ちになってきたのもまた事実なわけで。そんな彼らが心を通わせていくに従って、何とも心理的に閉塞的な毎日からほんの少しだけでもそれぞれの心を解放することができる、ほんの一瞬の出会いであっても、いや、お互いに一瞬の出会いだと分かっているからこそ、変な意味ではなく、気持ちが盛り上がる、そんなこともあるんじゃないか。そうした一瞬の出会いであっても、その出会いの中身が濃ければ、人間は変われるんだよね、きっと。彼らが共に過ごした数日間の濃密な心の繋がり、それに共感したからなのか、ラストの新宿の雑踏の中でふたりが抱き合うシーン、何故か分からないけど泣けて泣けて仕方がなかった。だけど、二度と会わなくても、きっとふたりの心は、再生されたと思いたい。
 ちなみにこれは感覚的な部分なんだろうけど、この東京の街というか、日本人及び日本の描写の仕方は、日本を舞台にした作品にありがちな"勘違い"描写というのがほとんど感じられなかったのもポイントが高いかな。あと、どうでもいいけど、一番笑ったのがしゃぶしゃぶ(笑)。やっぱ、アメリカ人にとって、食事に来ているのに、自分で調理しなきゃなんないってのは理解しがたいんだろうな〜。

や〜わの目次へ   2004年の目次へ   INDEX   ページトップへ
















[PR]結婚の悩みって多いょ!占う?:よく当たる願いが叶う占いって評判ダョ♪