まとめてポン!2004年6月編
浮気な家族
カレンダー・ガールズ
シルミド
スイミング・プール
スパン
21g
ホワイト・バレンタイン
4人の食卓
浮気な家族
「私のオンナが目を醒ます」
いや〜、参ったね、ムン・ソリ姐さんのカメレオンぶり。前作「オアシス」 での脳性麻痺の女性から180度違う、今度は人妻、しかも隣の高校生を誘惑しちゃうって、気分は一昔前の日活ロマンポルノか?(爆)なんて冗談は置いておくにしても、夫の浮気をきっかけとしてプツリと切れたかのような彼女の奔放さというか、表面的ないやらしさというのではない、内面的な"エロス"を体現するかのようなその体当たりの演技には驚嘆するしかない。
作品としては、ムン・ソリ演じるホジョンの夫ヨンジャクも、ヨンジャクの母も死期の迫った自分の旦那を置いといて浮気し、最後にはホジョンも隣の高校生を誘惑して浮気の道へ、"浮気"というキーワードから"家族の崩壊"へと転がり落ちていくその様は、この手のドラマが氾濫している日本で暮らす我々日本人の想像以上に、儒教的な思想が色濃く残っているはずの韓国の観客に衝撃を与えたに違いない。いや、これは儒教的な思想が薄れてきている韓国社会への監督なりの警鐘なのか、はたまた皮肉なのか?
そしてもうひとつ、自分が養子であることに思い悩むホジョンの息子、彼が工事現場のビルから投げ落とされるそのシーンに戦慄(しかも、あまりにもあっさりと、淡々と投げ落とす郵便局員の恐ろしさよ!)。"子は鎹"とはよく言ったもので、たとえ養子であっても子供を失ったことによって家族崩壊に拍車がかかる。なんとも救いのないその展開に、ドヨ〜ンとした暗澹たる気分になるかと思いきや、前述したようなムン・ソリのその強烈な存在感が救いとなって、それほどの心理的なダメージは感じなかったというのが正直なところ。やはり彼女はスゴイ女優だよ。
ちなみに、ホジョンと隣の高校生がデートする映画館のロビーに「オアシス」 のポスターが貼ってあったのだけど、これってシャレなのかな?(笑)
カレンダー・ガールズ
「ひと月ごとに綴られる彼女たちの"心の冒険"」
"婦人会ヌードカレンダー"、このなんとも奇想天外なアイディア、これがまた実話だというのだから面白い。しかし、アニーの夫の死というという悲劇を発端として、このアイディアを推し進めることで、平々凡々とした変わり映えのしない退屈な日常を送っていた女性たちが、少しずつ輝きを取り戻し、前へと進んでいく様子がなんとも清々しい。まさに、彼女たちがそれぞれの"人生の主役"を演じるかのように。「今脱がなくていつ脱ぐの!」なんてセリフには笑みさえこぼれる。
モチロン、この"プロジェクト"を成功させるまでには、彼女たちの家族を含めた周囲の反対、お堅い婦人会幹部からの圧力などの雑音が付き物。でも、そんなものをものともせずに進んで行く彼女たち、一度勢いの付いた、回りだした車輪はもう止まらないような、そんな感じ。いつしか町の人々を巻き込んで、大きな流れとなっていく様は、観ているこちらも元気とエネルギーをもらえるような気がする。
それと、中年女性の"ヌードカレンダー"なんていうと、一歩間違えれば"色物"と捉えられかねない危険性を孕んでいるものだと思うが、この元気な女性たちを目の前にすると、そういった生々しさ、嫌らしさなど微塵も感じず、なんともチャーミングで、キュートで愛らしいという印象を受けてしまう。
そして、この作品のもうひとつのポイントは、"ヌードカレンダー"を作って、それが成功してメデタシメデタシというのではなく(とはいえ、この"プロジェクト"が成功裡に終わったときには思わず涙が出てきた)、"ヌードカレンダー"が成功して、有名になった彼女たちの"カレンダー後"のほろ苦い現実もしっかりと描かれているという点だろう。有名になることで避けられないゴシップ、ハリウッドへ進出してのCM撮影のときの、彼女たちを所詮は"色物"としてしか捉えていないディレクター。これが凡百のハリウッド映画だったら、アニーが撮影現場から飛び出して行った後、彼女の気持ちを汲んだクリスが思い切り啖呵を切るみたいなことになるんだろうけど、この作品では決してそんなことにはならない。ディレクターに何も言えないクリス、そして衝突するふたり。有名になることの"光と影"とでも言えばいいのだろうか。だけどこれが現実。それでも、そういった衝突をしても、根底に流れるお互いに対する想い。間違いなく、紆余曲折を経て彼女たちの友情の絆は深まったのではなかろうか。
さらに、クリスと彼女の夫ロッドの関係。彼女の行動に内心戸惑いながらも、実はずっと彼女のことを温かく見守り、ずっと彼女の味方であったロッド。最後に示される夫婦愛にも涙腺を刺激されたりして。結局のところ、笑って泣いて、チョッピリほろ苦く、それでいて大いに元気をもらえるイギリス映画の王道的な作品なんだよね。
あと、映画の本筋とは全然関係ないんだけど、個人的に一番ウケたのが、彼女たちがハリウッドに乗り込んだシーンにANTHRAX
のメンバー3人がいきなり出てたこと(プールサイドのシーンね)。多分この作品を観た人の中でこのシーンで大ウケしてたのってあたしぐらいなもんかも、客層的に考えても(笑)。あれってホントにANTHRAX
のメンバーと交流があったのかな?それとも、監督の趣味?だって、クリスの息子の部屋にSLIPKNOT
やPAPA ROACHのポスターなんかも貼ってあったしね。でもさ〜、スコット・イアン
とジョン・ブッシュ はいいとしても、現在は既にバンドから脱退してメンバーではないフランク・ベロ
が出てるその姿が妙に哀しかったりして(苦笑)。
シルミド
「男たちの"運命"が、切なく痛い―。」
まずは、"金日成暗殺部隊"とその抹殺という、このような事実が30年以上も歴史の闇に葬られ、秘匿され続けていたということに衝撃を受ける。韓国で大ヒットを記録したというのも頷ける話だ。きっと彼らは、単なる"過去の話"とせずにその事実を受け止めているのだろう。喉もと過ぎれば熱さ忘れるとばかりに何でも過ぎたことは水に流そうと、過去を見つめ直さない日本人とはえらい違いだ(溜息)。
国家の分断という哀しい歴史を背負った韓国という国、南北の緊張関係の融和という時代の流れがあるにしても、不要になったものは切り捨てるという国家の非情さ、日常社会ではおそらく適応できない、それ故に何かを成し遂げてせめてどこかに名を残したいという男たちの悲壮な想いに胸が痛む。しかし、これはお隣の国で起きた紛れもない事実。そういったものをドラマの形としてとはいえ、明るみにしたということだけでもきっと価値のある作品ではなかろうか。
それにしても、シルミド(実尾島)での死と隣り合わせの過酷な訓練、いっぱしの"殺人機械"に仕立て上げられていくその様は、圧巻というか、背筋が薄ら寒くなるような、そんな気がする。
しかし、この684部隊の抹殺を命じられたアン・ソンギ演じるジェヒョンの心の葛藤は、軍人としてはどうなのかとも思うけど。何故なら、軍隊というのは規律を重んじ、上からの命令は絶対のはず。余計な感傷を挟む余地があってはいざというときの足枷になってしまうのではないだろうか。だから、部隊の抹殺に動くジェヒョンの部下の考え方の方が、軍隊においてはより現実的だとは思う(いい悪いの問題ではなく)。オマケに、最後には自らの命を絶つことで混乱の責任を取るって、あまりにも無責任過ぎやしませんか?って、こういう描き方をしないとドラマとしては成り立たないというのは十分に分かってはいるんだけどね。とはいえ、その一方で、冷徹な鬼教官の仮面を被っていながらも、その実心の内には一番燃えたぎる熱いものがあったホ・ジュノ演じるチョ2曹の姿に"侠気"を感じたのもまた事実なんだけどさ(これだって、軍隊においては現実的ではないとは思うんだけど、カッコいいから許す(笑)。って、アン・ソンギの立場ないやん(苦笑))。その他、インチャンを演じるソル・ギョングの貫禄、サンピルを演じるチョン・ジェヨンの血気盛んなところなど、俳優たちの演技は見応え十分。
↑のジェヒョンのくだりや、684部隊とその教官とが殺し合う場面、ラストのバスのシーンでのあまりにも大仰というかドラマティックに過ぎるその演出手法(チョ2曹の"甘いもの"って、やり過ぎな気もするし)に、事実を事実としてもっと淡々と描くという手法もあるんじゃないの?という気持ちも手伝って、決して感動などという気持ちは湧かなかったものの、ドラマ部分云々というよりも、前述したように、こういう事実があったということを明らかにすることに価値のある作品ということで、これはこれでありだと思う。
スイミング・プール
「見る女 見られる女」
ふ〜、あたしはやっぱりフランソワ・オゾン監督の作品とは相性が抜群なのだと、改めて実感した。この作品も、過去の作品とは多少色合いは異なるものの、それでも根底に流れるものは同じだと思うし、それだけでもう、"オゾン・ワールド"にドップリ。
物語は執筆活動にやや煮詰まり気味の女流ミステリー作家サラが、愛人でもある出版社社長ジョンの薦めで彼の所有する南仏の別荘に出かけ、そこで執筆作業に専念しようとしたところ、突如現れた社長の娘と名乗るジュリーに翻弄されつつも、徐々に作家として、そして女性としての本能を刺激され、当初反発し合っていたふたりの距離が縮まったと思われたときに起こった殺人事件、そしてジュリーの母親の遺したという小説、こういったものを絡ませながら進行し、最後に提示される結末に、今までの視界がすべてクルリと反転するかのような感覚を覚えるラスト。そして明確な結論を示さずに、判断を観客に委ねるかのような、ジワジワと残される余韻。なんとも心憎く、そして上手い。
(ネタバレ)→結局、ジュリーというキャラは、サラの空想の産物(妄想とは言いたくない)。確かにジュリーのキャラに、妙な現実離れした部分を感じ、そのオチには決して大きな驚きは感じなかったのだけど、全体の見せ方と着地の仕方が上手いだけに、仮に途中でネタバレしたとしても、大きな問題ではないと思う。また、庭師マルセルやウェイターのフランクも実在はしたのだろうが、実際にはこの作品で描かれているような人物ではなかったのでは?(彼らに若いジュリーにではなく、サラに魅力を感じるという設定にしているところに、利己的な感情が感じられたりして、妙に可笑しかったりして。でも、人間ってそういうもんだよね)そして、執筆活動に煮詰まって、あたかも逃避するかのように訪れた別荘で、空想にふけりながら新たなエネルギーを得て自らを解放し、お決まりのシリーズ物以外にも自ら最高傑作と言わしめる作品「スイミング・プール」を書き上げるサラ。作家としてジョンとの腐れ縁を断ち切って、次なるステージへと進まんとするしたたかさ。ここに彼女の強さが見て取れる。ラストでジョンにこの作品を突きつけるくだりはなんともスカッとする。←(ここまで)
それにしても、枯れた味わいの中に潜む欲望を抱え込むかのようなサラを演じるシャーロット・ランプリングと、豊満な肉体を惜しげもなく晒す、あくまでも奔放なジュリーを演じるリディヴィーヌ・サニエの対照的な女性ふたりの描写がなんともお見事。フランソワ・オゾン監督のこの描写手法にはもう脱帽するしかない。
スパン
「ガラクタでも輝いていた3日間」
つうか、輝いてるのか?これ。単なる"ガラクタ"なだけのダメダメな3日間じゃん、みたいな。こういうのを"青春ロードムービー"って言っていいのかもよく分からないくらい、退屈な作品だった。
キュルキュルキュル〜って感じのカメラワークには一瞬「お!」って思ったけど、やっぱりストーリーが退屈だとダメだね。結局西海岸のヤク中のジャンキーたちが入り乱れてのんべんだらりと過ごす日常、そこにはなんの主義主張も見当たらず、ダラダラと流されていくだけ。それを"等身大"の若者たちの日常、リアルなストリート描写だなんていうのだったら、アメリカという国は間違いなく病んでると思うし、そもそもあたしはこういうアンダーグラウンド・カルチャーやドラッグ・カルチャーには興味もリスペクトも感じていないからして、そりゃ共感できるはずもない。で、結局こういう編集とかファッションとか、いわば内容よりも雰囲気重視みたいな作品とは今イチ相性が良くないわけで。チラシを見た限りでは、もう少し"違う"ものを期待していた部分もあったし、期待ハズレというのもあるんだろうな〜。
また、チラシにあった"Music List"の中に、オジー・オズボーンやロブ・ハルフォードの曲の他に"Number
Of The Beast"や"Loving You Sunday
Morning"なんかもあったもんだから、もしやこれらはIRON
MAIDENとSCORPIONSの曲?で、これをビリー・睾丸、もといコーガンがカバーするの?ってところに興味が集中したんだけど、原形を留めていない見るも無残な変わり果てた姿の"Number
Of The Beast"にはマジで泣きたくなった(涙)。幸い(?)にして"Loving
You Sunday Morning"がどこで使われたのか、はたまた使われなかったのか、結局分からなかったので、ショックの度合いは小さくて済んだのだけど(苦笑)。いずれにしても、ビリー・コーガンのセンスを疑うね。ま、もともとSMASHING
PUMPKINSには何の興味もないからどうでもいいけど。ちなみに、BATHORYの楽曲が使われていたというか、TVの中に彼が出てたのは妙に可笑しかった(笑)。つうか、この作品の監督が元BATHORY(だよね?)だからっつうのもあるんだろうけど。でも、最近クォーソン死んじゃったんだよね〜R.I.P.。
う〜ん、レビューがドンドン脇道にそれていくぞ(汗)。結局それだけつまらない作品だったから、書くことが見つからないということなんだけど。でも、ロブ・ハルフォード
がポルノショップの店長役で出ていたのが妙にハマっていたな〜。このシーンが一番ウケた。しかも、しっかりゲイ雑誌読んでるし、"カマ坊主"って、そのまんまやん(爆)。まあ、彼を観られただけでよしとしませう。"お楽しみ度"の"☆★"の内の"★"は、彼をスクリーンで観られたということに対して。でも、あれが"メタル・ゴッド"とまで言われた人のお姿かと思うと泣けてくるけど(爆)。ある意味、「オースティン・パワーズ ゴールドメンバー」 のオジー・オズボーンと一緒だね(笑)。
あと、ピーター・ストーメアとかデボラ・ハリーとかジョン・レグイザモとかミッキー・ロークとか、脇を固める俳優は実はかなり妙というかある意味豪華。それでも、それを全然活かしきれていない作品の構成に難ありということで。あ、ミーナ・スヴァーリにウ○コさせるって、結構ヤバいかも(汗爆)。
21g
「誰もがいつか失う重さ。」
3つのストーリーが交錯し、収束していくというその見事な手法、そしてそこに描かれる狂おしいほどの痛い"愛"というものに唸らされた「アモーレス・ペロス」 のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督(未だにその名前を暗誦で言えない(苦笑))が、今度は"生命"の重さをテーマにした優れた作品を届けてくれた。
今回は3人の男女のストーリーを、時系列まで細切れに、バラバラにして交錯させていくとともに、各所にそのポイントとなるシーンを挟み込んでいく。しかし、最初は戸惑うかもしれないが、それでストーリーが分かりにくくなるわけでもなく、ストーリーが展開していくにつれ、それぞれのシーンの持つ意味が観ている側にも分かるようになり、パズルのピースのようにストーリーの中にはめ込まれ、最後にはすべてがピタリと収まって、あたかもひとつの絵のように完成するという手法は賞賛に値する。確かに"生命"をめぐるこの3人のストーリーは、決して目新しいものではないけれど、アイディアの勝利といったところか。それと、ジャックの起こした交通事故、ポールが自らを撃つシーンなどを、直接的に映し出すのではなく、観客側の想像に委ねるかのようなカメラワークも上手いと思う。
そして、そういった構成の妙以上に、主演3人の演技が絶品でとにかく素晴らしい。クリスティーナを演じるナオミ・ワッツの、愛する夫と娘を一気に失った絶望感、虚無感、心の中にポッカリ開いた穴を埋めるかのようにポールとの出会いに希望を見出そうとする様、ポールの正体を知ったときの衝撃、それと同時にジャックに対する"まさに鬼気迫る"という表現がピッタリの憎悪と復讐心を剥き出しにする様。ポールを演じるショーン・ペンの、生に対する渇望、新しく得た心臓も、ほんの仮の宿だと知ったときの恐怖感、自己が得た心臓が引き起こした事件に対する混乱、自らを撃ち抜くことでそれに終止符を打とうかとするような悲壮感と最後に見せる安堵したかのような表情。ジャックを演じるベニチオ・デル・トロの、信仰に没頭する様、それほど信仰にのめり込んでいるにもかかわらず、結局はそれが報われず、"神"に裏切られたと思わずにはいられない絶望感(自分の腕の十字架の刺青を剥がすように腕を傷つける様が痛々しい)、そこからくる慟哭、自分が起こした事件に対する罪悪感からすべてを捨てて彷徨う様。三者三様のいずれも緊張感溢れる、ただただ圧倒されるとしか言いようのない演技が、この作品に一層の重みを与えている。彼らの演技を観るためにだけに観ても損はない、それだけの価値のある作品と言っても過言ではないだろう。
そんなそれぞれの絶望の状況の中、予想もしない展開で出会ってしまった彼らの人生、最後に示される結末に、苦悩の果ての一筋の希望というよりも、それでも人生は続いていくという思いと、言葉にならない切なさを覚えてしまった。観終わって誰かと語り合うというよりも、自分の胸の内でその余韻をかみ締めたくなるような、そんな作品だと思う。
ホワイト・バレンタイン
「あの日あなたの言葉が鳩とともに舞い降りた、そして初めて恋をした・・・。」
あの「猟奇的な彼女」 のチョン・ジヒョンの記念すべき映画デビュー作。この当時17歳だったという彼女の、初々しさと瑞々しさ、そしてそのキュートな表情や仕草などに今に通じる魅力が感じられる。って、「イルマーレ」 を観たときには"線が細い"なんて思っていたくせに、やっぱり"恋は盲目"なのかな(笑)。
ストーリーはいたって単純。オープニングで語られる少女時代に女教師の振りをして軍人ヒョンジュンと文通していたジョンミンのエピソード。そのときは結局すれ違ってしまったふたり。彼女が20歳になったとき、ヒョンジュンが放った伝書鳩のメッセージを通じてお互いそうだとは気付かぬまま再会したふたり。そこから擦れ違いを繰り返しながら少しずつ距離を縮めていくふたり。事故で亡くした恋人を忘れられないヒョンジュンの心の痛み。ジョンミンに心を寄せるハンソク。両親を亡くしたジョンミンと彼女の祖父との互いを思いやる愛情溢れる関係。先にヒョンジュンがあのときの"彼"だと気付いたジョンミンが街を離れるというヒョンジュンに残した絵、数年後にヒョンジュンも彼女がそうだったと気付いた後のオープニングに重なるかのような擦れ違い。ここでこの作品のタイトルの意味が分かるような展開。
一昔前の日本の恋愛映画を観ているかのような、古典的で、お約束的なベタな展開。とりたてて目新しさや意外性を感じることもなく、決して完成度も高くはないと思うけど、それでもなんだか妙な懐かしさを覚える。今の日本映画には、このような作品は望むべくもなく、だからこそ、最後までなんだかんだと楽しめたんだと思う。この作品に限らず、確かに韓国の恋愛映画って、いい意味での古臭さを感じることがあって、それが逆にあたしたち日本人にノスタルジックで胸キュン(死語)な想いを抱かせるという一面もあるよね。もっとも、この作品に関しては、そういった面以上にチョン・ジヒョンの魅力がムフフだったりしたのだけど(笑)。
ちなみにヒョンジュンを演じるパク・シニャンは、チョン・ジヒョン最新作の「4人の食卓」 でも彼女と共演していたのだけど、「4人の食卓」 を観た直後にこの作品を観たにもかかわらず、結局最後まで彼だとは気付きませんでした(後でチラシを見て気付いた)。だって、髪の毛伸ばして顔に垂らして、全然イメージ違ったんだもん(汗)。
4人の食卓
「たどってはいけない恐怖がある」
むむむ、やっぱりあたしは韓国産ホラーとは相性が良くないと改めて実感した。「少女たちの遺言」 しかり、「ボイス」 (これは間違いなくどうしようもない駄作だ)しかり。そして、この作品も、「猟奇的な彼女」 であたしの心を虜にしたチョン・ジヒョンの新境地が観られるのか?と半ば期待したものの、そのなんとも中途半端な構成に、途中で眠気を催してしまった。というか、実際に少し寝た(汗)。
物語は死んだはずの少女ふたりの亡霊(?)が見えてしまう男と、同じようにその姿が見える女の交錯、7歳までの記憶がない男と他人の過去を見通すことのできる女、このふたりの人生が交錯したとき、哀しい真実が明らかにされる、しかし、そのどこまでが真実でどこまでが真実ではないのか、結局人間は自分の信じたいことしか信じることはできないという、趣向としては悪くはないし、ツボにハマればきっと、宣伝で語られる"心の迷宮"にドップリと迷い込むことも可能なのだろうが、ジョンウォンとヨンの、どちらに主に焦点を当てるかがハッキリせずに、結果的に散漫で、焦点ボケになってしまったような印象が強い。気を衒ったつもりが、思ったほどの効果を上げられなかったというべきか。それ故、彼らの深層心理に潜む哀しみも伝わってこないし、"心理ホラー"と銘打たれていても、そういったある種の怖さも感じないし、オマケに幾つか提示される謎にしても「別にどうだっていいや。」なんていう、何とかしてその謎を解こうという気持ちにもなれなかった。敢えて言うならば、ラストの食卓のシーン、本来家族団欒、幸せの象徴であるはずの食卓に座るのは・・・。結局ジョンウォンの心もヨンの心も救われなかったのでは?といったところにやや哀しさ(という大袈裟なものではないけれど)を感じた程度か。
ちなみにあたしのお目当てのチョン・ジヒョン、今までとは180度異なるイメージで演技の幅を広げたという好意的な解釈もできなくはないけど、どうも心の中に巣食う闇というか哀しみを負っているというイメージよりも、単なる腺病質な女性という感じで、ハマっているとは言い難く、別に無理して新境地を切り開こうとしなくても、今までの路線で十分食っていけるんじゃないの?な〜んて思ってしまったんだけど、やっぱり大きなお世話かしら?(笑)
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