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まとめてポン!2004年7月編

永遠の片想い
ヴェロニカ・ゲリン
家族のかたち
キッチン・ストーリー

ゲート・トゥ・ヘヴン
子猫をお願い












永遠の片想い

 「いつも三人一緒に過ごしたあの頃―。」
 「猟奇的な彼女」 のチャ・テヒョン&「ラブストーリー」 のソン・イェジン&「ブラザーフッド」 のイ・ウンジュという、当代きっての韓国若手スターと若手注目株が共演するこの作品、いつもはガラガラの上映館が満席で、ロビーには次の回を待つお客さんが溢れているなんていう、ありえない状況だったのだけど、それだけ特にチャ・テヒョン人気が凄いのだろう。
 物語は、ある日ジファンの元に届いた一通の手紙と同封されていた1枚の写真から、時間が5年前に巻き戻されてジファンの胸に残る5年前の思い出と現在とが交互に描かれ、その思い出とそこに隠されていた真実が明らかになるという構成。
 5年前の思い出の中に描かれるのは、ジファンと互いに親友同士であるスインとギョンヒの男女3人の微妙な友情関係。いつも一緒に過ごして楽しい思い出を作った彼ら、元はスインに一目惚れしたジファンのアプローチから始まった3人の関係だったけど、いつしか3人それぞれがお互いを意識するようになって、だけど「好き」といってしまえば今まで築いてきたその関係が脆くも崩れてしまいそうな危ういバランス。お互いのことをそれぞれ思いやるからこそ言えない。そんな恋愛に発展しそうでしきれない、友情以上恋愛未満のような、微妙な関係。そんな彼女たちに秘められた哀しい秘密・・・。この辺が上手い具合のバランスで描かれていて、切なくも哀しい、人によっては自分の若かった頃を思い出すような、甘酸っぱい郷愁を呼び起こす作品に仕上がっているといっていいのだろう。しかも、ラストで再会を果たした彼らに残されているのは、結局悲しい別れだというのもね・・・。
 また、(ネタバレ)→ジファンが時計の針を戻して「さっきのことは忘れて。」と語りかけるシーンとギョンヒが同じようにスインの葬儀のときに時計のガラスを割って泣きながら針を戻すシーンのリンク、それによって手を怪我してギョンヒの手に巻かれている包帯と、ジファンが最後にギョンヒと別れた後に泣きながら地面を殴りつけた後に手に巻かれた包帯のリンクなど(つまり、このときには既にスインは亡くなっていたということなんだよね・・・。)←(ここまで)、小道具の使い方も上手いと思し、あと、ジファンの語る「忘れるということは、昨日はその人のことを100回思い出したのが、次の日には99回になり、その次の日には98回になり・・・」というセリフ(これは含蓄に富んでいると同時に哀しいけど事実だと思う)と、(ネタバレ)→再会を果たしたジファンがギョンヒの顔に手を当てて「ここにホクロがあったんだね・・・。」なんて、忘れたことを思い出そうとするシーンの対比←(ここまで)も上手いと思う。
 しかし、その辺の構成も上手いし、本来だったらツボにハマって大泣きしてもいいはずのあたしが(笑)、何故か泣けなかった。何故なのか、未だに明確な答は出ていないのだけど、おそらく、最初スインに一目惚れをしたジファンの気持ちが、3人の付き合いを続けていくうちに徐々にギョンヒに傾いていくという、その様子が上手く伝わらなかったというのが大きいのかもしれない(あたしがただ単に鈍感なだけかもしれないけど)。ギョンヒがジファンのことを好きになったのがすぐに分かったのとは対照的。だから、彼らのキスシーンも、ジファンが本当にギョンヒのことを好きなのか、その場の勢いだったのか、今イチ分からなかったんだよね〜。なんか、過程を省略して、いきなりその結論だけが提示されちゃったみたいな、そんな感じ。こういう作品って、どこか一箇所ボタンのかけ違いみたいにつまずいちゃうと、物語に入り込めなくなってしまうから、それがいけなかったんだろうな。それ故、ラストのスインとギョンヒのジファンに宛てた手紙にも、少しだけウルウルきたけど結局最後まで泣けずじまい。まあ、泣くために観に行ったわけじゃないからいいんだけどさ、一応泣く気十分だったものだから、ね(苦笑)。あと、(ネタバレ)→スインが初恋の子(というかギョンヒ)と名前を交換したエピソード、これもスインとギョンヒの結び付きを強調するためのものなんだろうけど←(ここまで)、これもそれほど効果的だったとは思えない。というか、かえって話を分かりにくくしてしまったような気がしてならない。決して悪い作品ではないが、期待が大きかっただけに残念だ。

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ヴェロニカ・ゲリン

 「ひとりの記者として、子供の未来のために―」
 「ひとりの母親として、愛する家族のために―」
 製作が"あの"ジェリー・ブラッカイマーであるということだけで懐疑的になり、最後の最後まで鑑賞しようかどうしようか、迷いに迷った。結局ケイト・ブランシェット観たさに(笑)上映最終週に飛び込む形で観に行ったわけだけど、結果的に観に行って正解だった。
 アイルランドの"勇気の象徴"として語られる、実在したアイルランドのサンデー・インディペンデントの記者、ヴェロニカ・ゲリン。彼女の半生をケイト・ブランシェットが渾身の演技で演じている。モチロン実話に基づいた物語であるわけで、彼女がどのような最期を迎えるのか、観ている側は当然承知の上だし、ストーリー自体はそれほど特筆すべきものではない。だけど、この作品の肝はストーリー展開がどうだとか、結末がどうなるのかということではなく、子どもたちまでもが犠牲になっているアイルランドの麻薬汚染の現状を憂い、その事実を白日の下に晒すために奔走する彼女のジャーナリストとしての姿、そして、ひとりのジャーナリストであると同時に妻であり、母親である彼女の姿、それらを包含した彼女の人間としての生き様、ここにあるのではないだろうか。
 ジャーナリストとして使命感に燃えて果敢に事実究明に立ち向かう姿と、その一方でマフィア側に目を付けられて、自分だけでなく自分の愛する家族までもが生命の危険に晒されてしまう、そのことに対する底知れぬ恐怖心。その二律背反するかのような感情の襞をケイト・ブランシェットがあたかもヴェロニカ・ゲリンに成りきったかのような熱演であたしたちを魅了してくれる。そして、エンド・クレジット前に映し出される生前のヴェロニカ自身の写真がケイトと完全にダブって見える。顔の造作とかそういうことではなく、その全体の雰囲気とでも言えばいいのだろうか。この彼女の熱演を観るだけでも価値のある作品だと思う。
 そして、凶弾に倒れた彼女(上空から自動車の中で倒れている彼女を徐々に引くような形で撮るカメラワークが素晴らしい)と、彼女を送る葬列、そのことをきっかけにして麻薬撲滅に立ち上がるアイルランドの民衆たち。それらを見るに、きっかけを作り出した彼女自身の生き様を思い、目頭が熱くなる。しかし、その一方で、人生とはなんて皮肉なものだと思わずにもいられない。結局誰かが犠牲にならないと世の中なんて変わりはしないものなのかと(溜息)。
 あと、全然関係ないんだけど、コリン・ファレルがカメオ出演していたのは、やっぱり監督がジョエル・シュマッカーだからなのかな〜なんて思ったりして(笑)。

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家族のかたち

 「幸せって、いつの間にかそこにある。」
 原題は「ONCE UPON A TIME IN THE MIDLANDS」 ということで、某有名西部劇(未見ではあるが、あたしの敬愛する某映画監督に多大なる影響を与えた映画監督の作品ということで、そのタイトルは嫌でも覚えちゃった(笑))のタイトルのパロディーであるからして(そういや、つい最近も「ONCE UPON A TIME IN MEXICO」 なんていうのがあったっけ(笑))、オープニングの音楽がマカロニ・ウエスタン調なのは当然というか、なんとも絶妙な間という気がする。もっとも、邦題だけに目を奪われてしまうと違和感ありありかもしれないけれど(苦笑)。
 で、帰ってくる風来坊(?)ジミーを演じるロバート・カーライルとジミーの元妻シャーリーの恋人デックを演じるリス・エヴァンスの対照的なふたりの"ダメ男"がなんとも愛らしいというか。ジミーって悪ぶってるけど実は結構だらしないというか自己チューというか、結局自分の過去の行いを反省しているようで元鞘に収まってみると実は何にも変わっていないというのがよく分かるけど、それでも別れた妻と何とかよりを戻そうと奔走する姿がなんとも憎めない。で、そんなジミーを"男の哀愁"を振り撒きながら演じるロバート・カーライルってやっぱ男の目から見てもカッチョいいわ〜。一方のデックはホントにジミーとは対照的な優しく善良で大人しい所謂"いい人"キャラ。テレビの公開番組でシャーリーにプロポーズを断られた後の凹みぶりとか、ジミーに対してガツン!と言いたくても言えないちょっと煮え切らないところとか、ジミーとシャーリーが元鞘に収まると見るや、すごすごと身を引こうとするところなんて、「もっとシャキッとせんかい!」なんて喝のひとつでも入れたくなるんだけど(最後にジミーを一発殴っといて「大丈夫?」なんて心配する姿がまたいい意味でお約束的)、リス・エヴァンスがその大きな身体を丸めるように演じているのが結構ハマってたりする。
 そんな彼らの間に挟まれたシャーリーの心の揺れとデックになついてジミーを受け入れられない娘のマーリーンの気持ちを描きつつ、彼らとはまた違った"家族のかたち"を持つジミーの姉キャロルとチャーリーの夫婦(彼らもいいキャラだ。ジミーと散々喧嘩しといて、彼を"売って"チャーリーを傷付ける原因を作ったデックの車をボコボコにするキャロルの姿に、方法論はどうあれ、家族を想う彼女の気持ちが汲み取れるような気がしたのだが)も交えてややコミカルに展開する中で、結局自分だけでなく、一緒に暮らすみんなが幸せな気持ちになれなきゃ"家族"とは言えないんだよな〜なんて、感じたりして。だから、最終的にシャーリーが下した現実的な選択は決して間違っているとは思わないけど、愛情の形は違いこそすれ、彼女のことを想うふたりの"ダメ男"(笑)の間で揺れ動くその気持ちが今イチ観ている側に伝わってこなかったのと、彼女は母親としてはたしてマーリーンのことを考えているのかどうかもハッキリと伝わらなかったので、100%感情移入&共感できず、その選択にも拍手喝采というわけにはいかなかったのが些か残念なところ。
 また、物語の本筋とは離れるけど、ジミーがノリノリ(死語)でエアギターをしているシーンで使われているのがSTATUS QUOの"Whatever You Want"だというのがいかにもイギリス映画だなと(笑)。しかもジミーが彼らのライヴを27回観て、「観るたびに良くなってるよ。」なんて言えるところが、イギリスの"国民的ロック・バンド"である彼ららしいというか、イギリス人じゃなきゃあんなセリフは吐けませんて。ちなみにイギリス人じゃないけれど、あたしもそのサウンドに合わせて身体揺らしてました(笑)。あと、エンド・クレジットにSWEETの"Ballroom Blitz"もクレジットされていたということは、ジミーがヘッドフォンで聴いていたのがそうだったのかな?音が割れていて良く聴き取れなかったのだけど。

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キッチン・ストーリー

 「ゆっくり、ともだち」
 北欧、ノルウェー、スウェーデンというと、どうしてもあたしが思い浮かべるのはTNTやEUROPE、ABBA、最近ではMANDO DIAOのような音楽方面のもので("ペール・ギュント"のグリーグってノルウェー出身だったのね)、それ以上のことはあまりよく知らなかったりするのだけれど(ついでにフィンランドはHANOI ROCKSやTHE RASMUS、デンマークだったらPRETTY MAIDSって、やっぱりそっち方面なんだな(笑))、そんな北欧からなんともメルヘンチックでほのぼのとしつつもほろ苦くチョッピリ切ない、だけどハートウォーミングな作品が届けられた。
 まず、"行動心理学"と家庭研究所における"ノルウェーとフィンランドにおける独身男性の台所での行動パターン"の調査という設定が非常にユニーク。そこにノルウェーとスウェーデンのお国柄、両国の間に流れる微妙な感情、孤独な男性同士の心の交流、哀しい現実、これらが静かに、だけどしっかりと伝わってきて、最後に用意されたホッとするようなエンディング。日頃あくせく働いて、余裕のない生活を送っている人たちに観てもらいたい作品だなという印象。
 それにしても、国境を越えた途端に左側通行から右側通行、なんていうのは島国日本ではありえない話だし(というか、地続きなんだから、統一すりゃいいのに(笑))、ノルウェーとスウェーデンの間にそういう微妙な感情が流れていたなんてことは知らなかったし、なんか勉強になったりして(笑)。そして、一番ユニークなのがイザックの台所の隅に据えられた監視台と、そこからフォルケが見下ろす形になってイザックの行動パターンを観察するという図式。しかも、調査される側と調査員との間に厳しく決められた「お互い会話してはならない」、「いかなる交流ももってはならない」などのルール、黙々と観察するフォルケとそれに居心地の悪さを感じるイザック(って、当たり前だ)の対照的な姿。それに耐えられずに密かに寝室のクローゼットの床に穴を開けてこっそりフォルケを観察するイザック。観察する側が実は観察されていました、みたいな(笑)。
 そんな気まずい雰囲気に耐えられなかったのか、この研究に意味を見出せなくなったのか、お互いにルールを破って言葉を交わし、少しずつ心を開いてふたりの間の距離が縮まっていく様、これがなんとも自然の成り行き。思うに、イザックだけでなく、フォルケ自身も心の中に孤独感を抱えて生きてきたのではなかろうか。コミュニケーションの渇望。だからこそ、ひょんなきっかけで短時間にこうもいい関係が築かれていくのだろう。その一方で、イザックの健康状態を案じる、今までイザックの唯一の友人であった隣人のグラントと彼らとの関わり。イザックの誕生日を祝おうと、ケーキ片手にイザックの元を訪れたグラントが目にした、楽しそうに誕生日を祝うフォルケとイザックの姿。それに対して何も言えずにトボトボと引き返すグラント。フォルケが眠っている間にトレーラー・ハウスを運び出して線路に放置するグラント。そこにフォルケに対する嫉妬というには大袈裟な、だけど「スウェーデン人と仲良くしやがって。」という気持ちも含んだグラントの複雑な思いが伝わってきて、なんとも切ない気持ちになってしまう。実はこのシーンが一番印象的。
 また、ルールを破ったことがフォルケの上司の知るところとなって、クビを言い渡されるも、そんな上司の分からんちんぶりに逆ギレしたフォルケが国境からイザックの家に引き返したときに目にしたあまりに哀しい現実と、ようやく春が来て、イザックの家で暮らすなんとも晴れやかな表情のフォルケとの対照的なシーン。このラストシーンにホッとさせられる。いや〜、地味なんだけど、ジワジワとその良さが心に染み渡ってくるような、"しみほの系"の秀作ということで。

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ゲート・トゥ・ヘヴン

 「ふたりの夢が届く場所―」
 "ハズレの少ないジャーマン・シネマ"、なんだけど、いきなりミュージカル・チックなマサラ・ムービーの要素もあったりして。ロシア人の不法入国者アレクセイとフランクフルト空港で清掃作業員として働くインド人のニーシャ。ほぼフランクフルト空港の中だけを舞台として繰り広げられるふたりの恋愛模様。舞台が空港の中だけというシチュエーション・ストーリーとあって、一体空港の裏側ってどんななの?なんて思っていたら、地下のベルトコンベアーや不法入国者収容所を始めとして、空港の裏側って様々な設備があって面白い。限られた空間の中で繰り広げられるストーリーだけど(非常にユニークな登場人物の多くが不法入国者&不法就労者だけに、空港の外に易々と出られない設定というのが説得力を持たせている)、その空間の見せ方が上手いから、閉塞感を感じることもなく上手い具合に機能して、楽しませてくれる。それにしても、あのベルトコンベアーには一度でいいから乗ってみたいぞと(笑)。
 そんな空港で働くフライト・アテンダントを夢見るニーシャの、夜中に飛行機に忍び込んで制服を着てその真似事をする仕草、パイロットに憧れる(これがラスト・シーンへの伏線にもなっている)アレクセイの同様の仕草とお互いに夢を語る姿勢は、まさにここは"天国への門"。だけどそれと同時に示される厳しい現実。それでも、作品全体になんともほのぼのムードが漂って、暗い気持ちにはならないところがいい。
 最初はニーシャとアレクセイの恋愛模様がメインだったのが、物語が展開していくうちに最後にはニーシャのインドに残してきた息子をいかにして密入国させるかというのに重きが置かれるようになってきて、作品全体のバランスが悪くなってしまったという気もしなくはないが、紆余曲折ありながらも最後には空港から脱出して、未来への希望を持たせるというラストに、終わりよければすべてよしかなと。やはり今回も"ハズレの少ないジャーマン・シネマ"の格言は無事に守られたといっていいだろう。

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子猫をお願い

 「二十歳の春。何だってできる、どこにだって行けると思っていたあの頃・・・」
 地元韓国では、その年の"韓国女性が選ぶ最高の韓国映画第1位"に選ばれるほど、好評を博した作品だそうだが、確かに韓国で生活する人間にとってはそこに描かれる都市の風景、生活、現実の生活など、共感できるものが多いのだろう。
 この作品に登場する5人の女性たち。高校を卒業して社会に出るも、そこに付き付けられる現実に戸惑う者(ヘジュのような上昇志向って分かるような気もするけど、韓国って、日本以上に学歴社会、男社会なんだよね)、自分のやりたいことが見つからずに日々を過ごす者、テキ・スタイルという、やりたいことはあるものの、そこに立ちはだかる貧困という壁。中途半端に恵まれている日本人にとっては、あのバラックが並ぶ様は、これが21世紀の同じ世界なの?なんて思うかもしれない。ただ、こうしたことも含めて韓国の"今"を切り取っているんだろうな、だからこそ、韓国において多くの支持を得たのだろうと思う。
 そして、高校時代は親友ともいうべき仲良し5人組が、高校を卒業し、その程度の差はありこそすれ、新たな人生に踏み出すことで、今までの関係が微妙に変化していく。そう、新しい世界ができればいつまでも同じ関係なんて継続することは難しい、それが"大人"になることなんだよ、と思いつつ、その一方で、今までの"関係"にしがみつこうとする姿に、現状にもがく彼女たちの苦悩する姿が見て取れる(その一方で、みんなで集まってワイワイやる姿に、なんだかホッとしたのもまた事実だ。でもさ〜、仕事中にケータイにガンガン電話されたら迷惑だってば。そういう"今"の空気を読めないのは勘弁してくれ(苦笑))。決して目新しさや共感といった類の感情を抱くことはないけれど、妙な生々しさを感じてしまう。
 そんな決して明るいとは言い難い彼女たちの何気ない日常から、最後に起こる事件、そこで5人全員の絆が確認されることもなく、テヒとジヨンにも明るい未来が待っているとは思えないエンディング。別に暗澹たる気持ちになるわけではないけれど、そこに生きることに対する"痛み"みたいなものを感じてしまった。ちなみに、テヒを演じるペ・ドゥナ、「ほえる犬は噛まない」 でのある意味脳天気なキャラとも共通するような、大人になりきれない少女を結構いい感じで演じていると思う。

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