まとめてポン!2004年8月編
歌え!ジャニス★ジョプリンのように
16歳の合衆国
堕天使のパスポート
箪笥
dot the i
歌え!ジャニス★ジョプリンのように
「歌った、生きた、愛した。」
主演を努めるマリー・トランティニャンが、本国フランスでの公開直前にロック・ミュージシャンの恋人に殴打されて死亡するという、死人を演じた本人が死んじゃった、みたいな、なんともシャレにならないエピソードを持つ作品になってしまった。
夫パブロが横領した50万フランを穴埋めするために、ジャニス・ジョプリンとジョン・レノンを崇拝する、大金を相続した夫の従兄弟レオンからその遺産をせしめようとジャニス・ジョプリンに扮装した平凡な日々を送る主婦ブリジットが、彼女に成りきるうちにいつしか自分の中に新たな自己を見出し、生き生きと輝きを取り戻す、という発想は確かに面白いと思う。また、音楽ファンとしては映画の中でジャニス・ジョプリンの楽曲がどのように使われるかということにも非常に興味があった。
う〜ん、発想としては確かに面白いと思うけど、ジャニス・ジョプリンのことなど知らなかったブリジットが、なぜこうもあっさりとジャニスになろうとしたのか、それがよく分からない。今までの平凡な、鬱々とした日々から飛び出すためというならば、変身前、変身後ではないけれど、もう少しブリジットの今までの日常を描いてくれないと、スタート時点から躓いて、ブリジットの心の移り変わりといったものが、伝わるものも伝わらないような気がする。また、地味なブリジットがヒッピーでポップでサイケな感じにどんどん変わっていく様はそれはそれで面白いのだけど、話が遺産をせしめるという当初の目的からどんどん外れていってしまい、その部分がどこかに置いてきぼりを食らったかのような印象だ。その辺のバランスが些か悪いために、ブリジットがジャニス・ジョプリンでい続ける必然性があまり感じられなくなってしまうのが残念だ。あと、この物語のそもそもの発端のパブロとキャノン氏とのエピソードも中途半端な印象を受けるし、レオンに撃たれたワルテルの、その後のこともはっきりと描かれないし、ラストのブリジットのステージの様子もなんだか唐突な気がして、確かに最後に彼女が歌う"Kozmic
Blues"は圧巻かもしれないけれど、どうものめり込むことができなかった。それと、いくらクスリでラリっているとはいえ、レオンが既に死んでいるジャニスとジョン・レノンを受け入れるの?なんていうツッコミは、それを言っちゃあお終いなので言わないけど、全体の展開が大味なので思わずそういうツッコミをしたくなってしまうんだな。
まあ、劇中で使われる音楽については、ジャニス・ジョプリンはモチロン、THE
WHOやTEN YEARS AFTER、ジョン・レノンなど、ご機嫌なものであるのは間違いないけどね。
16歳の合衆国
「世界は哀しみにあふれている―。」
この作品を観ると、少年犯罪に対しての日本とアメリカのマスコミや周囲のスタンスって同じなんだな〜と思ってしまう。つまり、彼らがが興味があるのは彼(彼女)自身が"何故"この犯罪を犯したのか?という単純な理由だけ。しかも、本人が悪い、親が悪い、周囲の環境が悪い、なんていうあたかも画一的で適当な"理由"を見つけて、これはあくまでも特別なケースで、決して自分たちの周囲には起こり得ないんだと安心しようとしているような、そんな気がするのだ。
しかし、ホントにそうなんだろうか?この作品で罪を犯してしまったリーランドの心の中が徐々に明らかにされるに従って、決して彼だけの問題ではなく、誰にでも起こりうる問題なのではないか、という思いも湧いてくる。リーランドの心の中に巣食うどうしようもない孤独感、虚無感、絶望感。そういった様々な気持ちがない交ぜになっている心の闇。"世界は哀しみにあふれている"という心の叫び。それほどこの世界は絶望の世界なんだろうか?なんだか暗澹とした気分になってくるよな〜(まるで90年代当初の"グランジ・ブーム"のときみたいだ(苦笑))。モチロン、あたし自身の心の中にもそういった感情がないとは言わない。でも、だからといってその心の闇が彼が犯した罪の直接的な理由になっているなどという短絡的な結論付けなどしたくはないし、リーランドの罪を肯定するつもりも毛頭ない。だって、分かったようなことは言いたくないけど、この世界が"哀しみにあふれている"というのはある意味真実だと思う。だけど、それだけじゃなく、楽しいことも希望も沢山あるはず。それだからこそ、人生は面白いと思うから。まあ、こうでも思わないと、生きるのが辛くなるからね(苦笑)。
思うに、この作品は、あくまでも"何故"という、簡単に結論を出そうとするのではなく、こういった題材をあたしたちに提示して、それを与えられたあたしたち自身が、改めて自問自答するというきっかけ作りということを目的としているんじゃなかろうか。あたし自身は、こういった安易に結論を導き出せない、考えさせられる作品は大好きだ。
でも、あのラストシーンを観てしまうと、ひとつの犯罪が家族を含めた周囲のすべての歯車を狂わせていく、暴力は暴力しか生み出さない、暴力の連鎖という、なんとも痛く、救いようのない気持ちもあふれてきて、なんだかモヤモヤした気持ちにもなってきてしまう。やっぱりこの世界で生きるのって、辛いことなのかな・・・(溜息)。
堕天使のパスポート
「翼を手に入れて幸せになりたい」
音楽ファンなら間違いなく楽しめること請け合い、と言われている「ハイ・フィデリティ」 が、ジョン・キューザック演じる主人公のウジウジとしたキャラにまったく感情移入できなかったために正直楽しめなかった少数派のあたし(汗)。スティーヴン・フリアーズ監督とは相性が悪いのかなと思いつつ、その後に観た「がんばれリアム」 はイギリスの抱える現状と、家族の関係というテーマに引き込まれ、十分楽しむことができた。そしてこの作品。過去に観た2作品とこの作品だけで判断するのは早計に過ぎるだろうが、どうやらあたしはこの監督については、こうした骨太な社会派の作品の方が好みなのかもしれない。
舞台はロンドン。ホテルで働くトルコからの移民シェナイとナイジェリアからの不法滞在者オクウェ。日常の社会の裏側に潜むように暮らす彼ら。それはいわば社会の底辺。満足な仕事、収入も得られず、搾取される、移民社会の過酷な現実。確かにイギリスって階級社会、日本以上に貧富の差が激しいとは思っていたけど、それとはまた別の側面で、正直このようなことがイギリスに存在するとは知らなかっただけに、この現実を目の当たりにして、結構ショックを受けた。
だけど、そういった厳しい現実に晒されながらも生きなきゃならない彼らが知った、勤務先のホテルで行われているある"取引"。臓器売買&偽造パスポートの問題は、ここ日本ではあまり表沙汰になることはなく、実際にどれだけの頻度で行われているのか知らないけれど、他国ではこういう事例ってきっとあるのだろうな。様々な困難に打ちのめされ、希望の火も消えそうなシェナイが、NYへ渡るという夢を叶えるために、思わずその取引に手を染めてしまいたくなる、その気持ちが痛いほどに伝わってくる。物語は、この取引の全貌が明らかになるあたりから、移民、難民社会の抱える問題だけでなく、ミステリー的な要素も散りばめながら、グイグイと引っ張っていってくれる。確かに重い題材なんだけど、構成と脚本が秀逸なのだろう。
そして、はたしてシェナイは自由を手に入れるために、"悪魔に魂を売り渡す"(これは大袈裟か?)のかどうか、オクウェはシェナイを救うことができるのかどうか、という一点に興味が絞られるラストに用意された痛快なオチ。きっとオクウェのバックグラウンドが語られた時点でこの結末を予測できた人もいるのだろうが(確かに決して目新しいものではないからね)、それはそれとして、この手の作品はやはりこうでなきゃなんとも寝覚めが悪いと思っているあたしにとっては大満足。まあ、(ネタバレ)→腎臓が1個なくなっても死にはしないからね、ファン(笑)。←(ここまで)その後、空港で別れるふたりと、ナイジェリアに残してきた息子に電話をかけるオクウェ。このふたつのシーンが、妙に切なく、心の中に残った。
ちなみにシェナイを演じるオドレイ・トトゥ。「愛してる、愛してない・・・」 でも十分に「アメリ」 とは似て非なる、そのイメージを完全に払拭する見事な演技を披露していると思ったが、この作品では、希望というよりも、虚無感と絶望感と痛みを抱えた陰のある、それでいて内面には強さも持ち合わせるかのようなキャラクターを演じることで更なる新境地を切り開き、これで間違いなく常に「アメリ」 云々を持ち出す輩はいなくなるだろうという確信を抱かせるに十分な素晴らしい演技を見せてくれている。こういった寝言をつらつら書き連ねているあたし自身が実は「アメリ」 の呪縛から逃れられていなかったのかもしれないけど(汗)、今後の彼女の主演映画には二度と「アメリ」 云々を持ち出さないと誓います、ハイ(笑)。そういった意味でも記念碑的な作品ということで。
箪笥
「その扉にかくされた哀しい秘密。」
あたしが韓国ホラーと相性が悪いというのは、かねてから口にしていたこと。だからこの作品についてもパスするという選択肢はあった。にもかかわらず観に行ったというのは、チラシのセンスが抜群で、「もしかしたら・・・。」という微かな期待があったから。この際、スピルバーグが高額でリメイク権を獲得したとかの話はどうでもいい。がしかし、結果は見事玉砕(泣)。やっぱり今回も韓国ホラーと相性が悪いというジンクスは見事に(?)守られた。
物語は韓国では有名な古典怪談をベースにしているらしく、長期入院を終えて帰宅した姉妹と継母の間の確執、そして次々に起こる怪奇現象、所々に散りばめられた伏線、最後に明かされるそこに秘められた真実。これらが描かれていく。しかし、どうも技巧に走りすぎているというか、徒に構成を複雑にしようとするあまり、肝心の物語が非常に分かりにくくなっているのだ。この手の作品の醍醐味って、物語をしっかりと理解できた上で、最後に見事に決めてくれる着地に感嘆するということだと思うので、その前提部分がいただけないと、仮にオチが意外性のあるものだとしても衝撃度は弱まってしまう。もっとも、この作品のオチは、(ネタバレ)→母親と妹の不慮の死(箪笥の中で死んでいた母親は自殺なのか殺されたのかという謎は残るが)によって精神に異常をきたした姉が、多重人格(自分・妹・継母)になってしまったことによって迷走してしまい、そこに自分が死んだことを受け入れられずに現世を彷徨う妹の霊が絡んでくる←(ここまで)というもの。決して目新しいものではない。モチロン、別にネタが使い古されたネタだったからとか、そんなことはどうでもいいんです、あたしの場合。色々な作品のレビューでも言及しているように、さして目新しくないネタ、使い古されたネタであっても、ストーリーが面白くて最後に着地をしっかり決めてくれさえすれば何の問題もないと考えているので。ただ、前述したようにその肝心のストーリーが分かりにくいので、面白さも怖さもまったく感じないし途中で退屈して少し寝てしまった(汗)。は〜、金輪際二度と韓国ホラーは観ないだろうな。
dot the i
「2人の男、1人の女。・・・もうひとつの視線」
ストーカーから逃れてきたロンドンで出会ったリッチなバーナビーと婚約したカルメン。でも、その場にいるもっともセクシーな男性と独身最後のキスを交わす"ヘン・ナイト・パーティー"でキスしたキットに感情を揺さぶられ、カルメンの運命が違う方向に転がり出していく。
いや〜、こういう作品を観たいんだよ。最初は単なる男女の三角関係の物語かと思いきや、そこから物語が二転三転。彼女を見つめる"もうひとつの"視線の存在(その部分だけいかにもビデオカメラで撮影しているかのようなカメラワークが上手い。そして、カルメンを悩ませたストーカーの存在という前提が、その"視線"に真実味を与えている。もっとも、(ネタバレ)→結局ストーカー="視線"ではないんだけど。これもひとつのミスリードの要素なのかな。←(ここまで))と先の読めないサスペンス・タッチのテンポの良い展開に、思わず引き込まれてしまう。果たしてこの"恋"の顛末は?その"視線"の正体は?そして真相は?随所に挿入されるそこで語られているシーンとは色合いの異なる映像が伏線となって、最後に提示される結末に驚嘆。(ネタバレ)→バーナビーにハメられたカルメンとキットが簡単に引き下がるとは思えないから、あのコンペでの"事件"からラストまでの展開に示されるどんでん返しというのはある意味お約束的なものなのかもしれないが、←(ここまで)ストーリーが良くできているだけに、腑に落ちないというよりも、着地をしっかり決めてくれたという印象が強く、素直に「やられた〜!」という気持ちになる。ここのところ消化不良気味の作品が続いていただけに、久しぶりにスカッとした気分になれた。
また、この作品のタイトルとなっている"dot
the i"。"dot the i's and cross
the t's"からの引用ということで、細部にまで十分に注意を払うという、その言葉のとおり、すべてに目を配って観なければいけない作品だ。
そして今回お目当てのキットを演じるガエル・ガルシア・ベルナルも、相変わらずラテンのフェロモンを撒き散らし、キュートなんだけど男の目から見てもカッコいい。益々今後が楽しみな俳優だ。