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まとめてポン!2004年9月編

IZO
華氏911
CODE 46
誰も知らない
父、帰る
バレエ・カンパニー















IZO

 「見てはならぬ、語ってはならぬ・・・抹殺せよ!」
 幕末の歴史に興味のある人ならその名前は知っているであろう"人斬り以蔵"こと岡田以蔵。彼の怨念が時空を飛び越え、"IZO"として天誅"の名の下にあらゆるものを斬って斬って斬りまくる。野良犬のような彼が、武市半平太の下、人々から恐れられる刺客となり、仕舞いには虫けらのように処刑されたという経緯からすると、彼をこの物語の主軸に添えるという発想、着眼点は非常に面白いと思う。しかも、監督が"バイオレンスもの"を撮らせたら今の日本の映画界では右に出る者がいないのではないかと思っている、あの三池崇史監督だしね。というわけで、個人的には期待はしていたのだけど、その一方であまり芳しくない評判も聞こえてきていたので、まあ、期待半分、不安半分みたいな心構えで劇場に足を運んだ。結論、ツマラン(爆)。
 いやね、↑で書いたように、歴史上は決してメジャーではない、だけどこうした内容の作品であれば主役に据えるのは以蔵以外にはありえないだろうと思っているあたしみたいな人間からすれば、ホントに発想自体は面白いし、買えると思うんだ。怨念、暴力という衝動の発露としての殺戮。でもね〜、怨念としてのIZOが抱えるストレートな感情というものが伝わってこないし(まあ、怨念に感情も何もあったものじゃないだろうし、観客に感情移入をさせる暇を与えない、という作り手側の意図があったのかもしれないけど)、やたら観念的な世界観の中でIZOが、それこそひたすら2時間斬って斬って斬りまくる"だけ"というのは、観ててさすがに疲れる。ホント、内容それ以外にないんだもん(苦笑)。あたしには、これを"狂ったパワーを持った怪作"などと呼べるほどの心の余裕はありません。
 それはそれとして、こうした作品であるにもかかわらず、信じられないほどの豪華キャスト。現在の日本の映画界で、これほどのキャストを出演させてしまう三池監督。よっぽど彼の方が"狂ったパワー"を持ってるんじゃないの?(爆)

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華氏911

 「それは自由が燃える温度」
 のっけからで恐縮だが、あたしは真の意味での"客観的な"映画など存在しないと思っている。何故なら、映画というのはその作り手の"想い"がどこかに込められているものだと思っているから。それは、フィクションであろうがノンフィクションのドキュメンタリーであろうが変わらないと思う。作り手の"想い"が込められている以上、絶対に"客観的"になどなるわけがないのだ。そういった"想い"が込められていない映画など、あたしは"映画"だとは認めたくないね。
 だから、この作品に対して「政治的に偏っているから云々」などという、どこぞの国の総理大臣の発言というのはお門違いというか、焦点ボケの的外れな発言だと言わざるを得ない。だって、そもそもこの作品は、マイケル・ムーア監督の私見であり、初めからそれこそブッシュを徹底的に扱き下ろし、ブッシュ政権に打撃を与えるためのプロパガンダ、政治的に"偏った"作品であるという、ある種の開き直りが前提としてあるのだから。だから、それをどう受け止めるかは観る人次第だし、その偏った作品を観ることにより、「へ〜、世の中にはこういう考え方もあるのね。」と、今度はこの作品で描かれているマイケル・ムーア監督の私見に対する賛否も含めて自分の頭で考えるというのが学習だと思うし、それをできずにこの作品で描かれていることをすべて何の疑問も抱かずに鵜呑みにしてしまうのは、この作品に問題があるのではなく、その人自身に問題があるのですよ。いずれにしても、批判するなら観てから批判しようね、小泉さん。
 それはさておき、今回も前作「ボウリング・フォー・コロンバイン」 同様、良くも悪くもマイケル・ムーアというか、政治的なドキュメンタリーの手法を取りつつも、彼流のエンターテインメントに徹していると言っていいだろう。「愛国者法」をワゴン車に乗って読み上げるとか、上院議員に対して「あなたのお子さんをイラクに派兵することに賛同する署名をお願いします。」なんて、どこぞの国の総理大臣に対して、日本でも自衛隊をイラクに派兵するんだったら、いっそのこと売れない俳優やってる自分の息子も一緒に送ったら、な〜んて思ってたあたしの気持ちと一致してたりして(笑)。
 その一方で、それ以外の様々なシーンで提示される内容には、さほど目新しい題材が含まれているとは思わなかったけど(確かに徹底的にブッシュを"おバカ"に見せようとする編集の手法は上手いと思った)、アメリカという国を信じ、そして愛していたはずの、イラクに派兵された兵士の母親の映像や、あの9/11に関連する語り口など、母国アメリカ、今回の一連の件に関してのマイケル・ムーア自身の"想い"が痛いほどに伝わってきて、なんとも胸が痛む。やっぱり彼は根っからの愛国者、アメリカという国を愛し、それと同じくらい憎んでいるというのは前作と同じだなと思った。その彼の"想い"を集約して一気に吐き出したというところに、この作品の価値があると思う。
 ただまあ、その辺の映像関係が結構垂れ流されている感じがしてまとまりを欠き、全体的に散漫な印象を与えるというのも否めず、"エンターテインメント"という点では、前作に分があるという気もする。まあ、面白い作品であるのは間違いないけどね。それと、エンディング・テーマにニール・ヤングの"Rockin' In The Free World"を持ってくるセンスも強烈で痛快だ。

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CODE 46

 「一瞬の相思相愛」
 近未来を描いた作品としては、ジョージ・オーウェルの「1984」 が有名であるが、この作品は、それともまた一味違う、近未来の管理社会における男女の切なくも儚いラブストーリーという位置付けになるのであろう。
 近未来、環境破壊、所謂"内の世界"と位置付けられる都市部と"外の世界"、 "CODE46"なる法規が絶対の徹底した管理社会、"パペル"を巡る現代の偽造パスポートと同様の問題。この作品の主題であるラブストーリー以前に、この無機質で、徹底的に冷たい印象で描かれる"内の世界"を中心とした近未来の世界に、暗鬱さだけではなく一種の薄ら寒ささえ覚えるが、そこで生活する人間たちにとっては、それがもう当たり前の世界。完全に管理社会に飼い慣らされ、ほとんどの人間は疑問も覚えない。こんな未来は絶対にヤだぞ(苦笑)。
 そんな社会の中で運命的に出会ってしまったウィリアムとマリア。その完全に構築されたシステムに反することも知らずに一瞬のうちに愛し合うふたり。だけど、当然の如くシステムの網に絡め取られて愛し合った記憶を抹消されるマリア。でも、一度記憶を抹消された後も改めて出会い、その記憶は戻らなくてももう一度愛し合うふたり。そのふたりが迎えるのはなんとも悲劇的な幕切れ。(ネタバレ)→愛し合った記憶を抹消され、記憶を抹消されたことすら知らずに家族の元へ戻り、今までどおりの平穏な生活を送ることになるウィリアムと、こちらは愛し合った記憶を抹消もされずに"外の世界"へ放逐されるマリア。この管理社会でどちらがより幸せなのか、これはそれぞれの価値観に依るところが大きいのかもしれないが、少なくとも、二度とウィリアムに出会うことはないにしても、そして彼は自分のことを覚えていないとしても、マリアには"愛し合った"記憶を抱えた上で生きていかなければならない辛さと同時にその記憶を携えて生きていける喜びを感じることが可能なのではないだろうか。それとも、これは綺麗ごとに過ぎるだろうか。まあ、あたしだったら、どうせならすべて記憶を抹消されて、今までどおりの生活を営める方が精神衛生上楽だと考えちゃうけど(爆)。←(ここまで)
 とまあ、この最後に提示される結末を"切ない"と捉えることは可能ではあろうが、あたしにはどうしてもこの無機質な世界観を上回る、いわば人間的な温かみをこの作品に感じることができず、それ故ウィリアムにもマリアにも感情移入をすることができなかった(それがマイケル・ウィンターボトム監督の世界観なのかもしれないけれど)。なので、なんか、ドヨ〜ンとしたまま終わっちゃったような感じ。ウィリアムを演じたティム・ロビンス(今までのイメージと違い、サマンサ・モートンと並ぶとすごく大きく見えた)もマリアを演じたサマンサ・モートンも決して悪くはないんだけどね。

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誰も知らない

 「生きているのは、おとなだけですか。」
 この作品のモチーフとなった、いわゆる「西巣鴨子供4人置き去り事件」が発生した当時、あたしは確か大学生の頃。マスコミなどでもきっとかなりの報道のされ方をしていたのだろうけど、どうもこの事件自体に対する記憶が曖昧だ(汗)。まあ、そんな余談はさておき、この作品を観て、件の事件に対する概要を知るにつけ、なんともやりきれない事件、そしてこの作品自体もとても重く、そしてやりきれない題材なんだという思いを強くするが、それと同時に、是枝裕和監督の、変にお涙頂戴的な、どうして周りの大人たちは誰も気付いてやらなかったのか、気付いていても手を差し伸べてやらなかったのか、誰が悪いとかいうような、単純に結論を提示するような描き方ではなく、あくまでも子供たちの生活を主眼として、淡々とした描写、それでいて、子供たちに対する温かで、優しい視線での描写に何とも救われる気がする。
 物語は、法律的に存在しない、そして、母親に捨てられ、アパートの住民たちにもその存在を認識されていなかった、社会的にも"存在しない"子供たちの日常生活が描かれるわけだが、季節ごとに撮影を行ったというとおり、季節の移ろいごとに成長していく子どもたちの姿に、子役たちの成長も重ね合わせることで、限定された空間の中で生きていく子どもたちのささやかながら、躍動するような"生"の息吹を感じると同時に、どうしようもない切なさも覚えてしまう。法律的にも社会的にも"存在しない"子どもたちだけど、間違いなく"存在している"、"生きている"んだと。
 その子どもたちの生活に描かれるマニキュア、カップめん、アポロチョコ、キュッキュサンダルといった小道具も上手い具合に生活感を醸し出している。この生活感に溢れた暮らし、子供たちにとってはささやかで小さいながらも、こう言っては語弊があるかも知れないけど、"豊か"で"幸せ"な生活だったのだろうか。
 当初はアパートの中だけで完結していた生活が、徐々に"外"の世界と繋がりを持つことで今まで保っていた危ういバランスが崩れ、末妹のゆきの死という事態を招くわけだが、ゆきを埋葬しようと、このアパートに引っ越してきたときに彼女が入っていたトランクに入れようとするも、ゆきの身体が成長していて入らなかったというくだりには、あ〜、やっぱり彼らは間違いなく"生きていた"んだとの思いをあらためて強くし、何とも胸が痛くなった。しかし、彼女の"死"というアクシデントがあっても、それでも彼らの日常は続いていくんだよね。その先に待っているものが決して"希望"ではなくても。そういった未来を暗示するようなエンディングではなく、これからもいつもどおりの日常が続いていきそうな、そんな印象を与えるエンディングが非常に印象的だ。
 それにしても、前述したとおり、季節の移ろいと共に成長していく、生き生きとした子役たちの演技が非常に素晴らしい。今年のカンヌ国際映画祭で最優秀主演男優賞を受賞した柳楽優弥(彼の力強さを湛えた瞳は間違いなく印象深いものがある)ばかりがクローズアップされるのがいかにも権威に弱い日本人的な部分ではあるのだが(溜息)、彼だけではなく、他の弟、妹を演じた3人の子役たちも皆、同等の評価を与えられて然るべきだろう。そして、母親のけい子を演じるYOUの、あまりにも無責任なんだけど、その辺を嫌味なく飄々と演じるキャラクター、これがまた絶妙だ。このような母親像でなかったら、間違いなく「母親が悪い。」などという、この作品に込められた意図とはかけ離れた一言で済まされてしまったかもしれない。その他にも、寺島進や遠藤憲一、平泉成といった、二流の"テレビタレント"ではなく、"映画俳優"と呼ぶに相応しいメンバーが脇を固めていることも功を奏していると思う。さらには、挿入歌として使われているタテタカコの"宝石"、これも絶品だ。

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父、帰る

 「なんで今さら帰ってきたんだ」
 2003年のヴェネチア国際映画祭でグランプリ金獅子賞を獲得したこの作品、兄弟のうち兄アンドレイを演じたウラジミール・ガーリンが、この作品の完成試写の直前にロケ地の湖で不慮の死を遂げるという、曰くあり気な作品になってしまったが、そういうことは脇に置いておいて、なんともミステリアスで、静かなる力強さに満ちた作品に仕上がっているのではなかろうか。
 「父、帰る」といって真っ先に思い浮かべるのは菊池寛の同名小説であるが、モチロンこの作品はそれとはまったく異なるもの(って、当然か)。ある日子どもたちの前に12年ぶりに帰ってきた父。そしていきなり息子ふたりを旅行に誘う。「なぜ帰ってきたのか?」、「今までどこで何をしていたのか?」、「この旅行の目的はなんなのか?」、そういった理由は一切説明されないままに、余計な装飾は削ぎ落とすかのようにして物語は進んでいく。
 黙して何も語らない父と、写真でしか見たことのない突然の父の出現に戸惑う子どもたち。そりゃそうだろう、家族なんて、本来一緒に時を重ねることで家族となっていくんだから、今まで平穏に過ごしてきた生活の中に突如割り込んできた父は、息子たちにとっては異分子に過ぎず、言わば単なる知らないオッサン(笑)。兄のアンドレイはそれなりの分別があるのか、父を受け入れようという態度を見せるが、弟のイワンはまさに反抗期の如く、父を拒絶する。しかし、それでも父は語ることもない。この微妙な、危ういバランスを保つかのような緊張感のある父子の関係。そのバランスが崩れたときに待ち受ける、まさに"息を呑む"という表現がピッタリの結末。その直前にイワンに対して「誤解だ!」と叫んだ父の、その最期に彼の胸に去来したものはなんだったのだろう。すべての謎が謎のまま終わってしまうなんて、映画に対してすべての謎が解き明かされて後味スッキリというものを望む人にとっては、なんとも後味の悪い消化不良感が残るであろうこの作品であるが、人生なんてそんなもの。なんでもクリアーになる人生なんてあるわけがなく、みんな何がしかのものを胸の内に抱えて生きているんだということに思い至れば、実はこの作品って、リアリティーのある作品だということもできるんじゃなかろうか。
 そして、その結末を迎えた後に(ネタバレ)→湖に沈みゆく←(ここまで)父の姿に思わず子どもたちの口をついて出た「パパ!」という叫び。一週間という短い間の旅行であっても、彼を心から"父親"として受け入れることができたかどうかはともかく、間違いなく父の存在が子どもたちそれぞれの胸の中に刻まれたのは間違いないであろう。それが"血の絆"なんだろうか。そして、それだけの存在感を父は持っていたということなのか。とすると、この作品で語られる父というのは、黙して語らずその所作で存在感を刻み付ける、古き良き時代の父親像の象徴のような気もするな。それにしても、すべてが謎のまま終わるのはいいんだけど、せめてあの"箱"の中身だけは知りたいぞ(笑)。

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バレエ・カンパニー

 「幕が上がる。人生が始まる。」
 あたしは結構ロバート・アルトマン監督の描く群像劇が好き。で、今回は実在する名門バレエ・カンパニー、ジョフリー・バレエ・オブ・シカゴを舞台に、ドキュメンタリー・タッチでバレエの世界の"光と影"を描いている。"ドキュメンンタリー・タッチ"ということから分かるように、実際にこのジョフリー・バレエ・オブ・シカゴのダンサーたちが出演しているのと併せて、ネーヴ・キャンベルやジェームズ・フランコ、マルコム・マクダウェル(このひとが相変わらずの存在感なんだよな)などの俳優陣も出演していることから、脚本のあるドキュメンタリー(なんじゃそりゃ?)なんだけど、そういった作り物臭さ、胡散臭さは感じず、むしろ、よくもまあここまでリアリティー溢れる作品になったな〜というのが正直なところだ。そりゃまあ、出演しているほとんどが本物のバレエ・ダンサー、振付師だというのもあるんだけどね。
 それにしても、バレエの世界に限ったことではないとはいえ、怪我すれば代役にすぐに取って代わられるし、それは上手く踊ることができなくても同じこと。取って代わられても何事もなかったようにこの世界は回っていく。弱肉強食を絵に描いたような実力がモノをいう世界。まさにひとときたりとも気を抜くことができない下克上(って、これは違うか?)の厳しさ。そしてダンサーたちの肉体美、厳しいレッスン。華麗なステージ。やはりプロの世界というのはこうでなくちゃいけないんだろうな〜。
 とはいえ、ドキュメンタリー・タッチという手法を取ったからなのか、それとも意識的にそうしているのか、劇的ではない、かなり淡々と流れる描写には、前日遅くまで飲んでいて完全寝不足状態の身体にはかなりキツかったりして、途中で少しウトウトしてしまったということを告白しなければならない(汗)。やっぱさ〜、この手の作品は体調万全のときに観ないといけないと深く反省。
 ちなみに、主演のライを演じたネーヴ・キャンベルって、実際にナショナル・バレエ・オブ・カナダでバレエをやっていた人なんだね。どうしても「ワイルド・シングス」 なんかの"お色気系"(死語)の女優ってイメージが拭えなかったから、こういう面もあるんだな〜と、新たな発見をした気分。

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