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まとめてポン!2004年11月編

エイプリルの七面鳥
オールド・ボーイ

コニー&カーラ
SAW
父と暮せば
TUBE
ビッグ・バウンス
ビハインド・ザ・サン
モーターサイクル・ダイアリーズ
やさしい嘘












エイプリルの七面鳥

 「初めての料理は ママのために作る 最後のディナー」
 "母娘の和解"、"家族の絆"をテーマにした作品は、きっと多々あると思うのだけど、そういった目新しくはない(と言っては語弊があるかもしれないが)、テーマを、こうやって正攻法で、しかもスッキリと観せてくれるとかえってホッとするというか、何ともハートウォーミングな、心安らぐ作品に仕上がっていると思う。と思ったら、監督を務めているのが「ギルバート・グレイプ」 で脚本を担当したピーター・ヘッジズだとか。なんとなく、納得してしまう。もっとも、巷ではほとんど話題にもなっていないようで、あたしが鑑賞したときも映画館はガラガラだったのだけど、こういった秀作が埋もれてしまうのはなんだかとても勿体無いような気がする。
 ストーリーは、アメリカ中の家庭が七面鳥を焼くためにオーブンをフル稼働させるといわれる"感謝祭"の一日のみを描き、その一日を通じて、不仲だったエイプリルと彼女の母親ジョーイが最後に和解するという、もはや定番のもの。ただし、スタートが感謝祭当日で、今までのどのような確執があったのか(作中のセリフで少し語られる程度)ということや、何故エイプリルが自ら料理を作って、ジョーイたちを招こうと思うようになったのかという理由は具体的に描かれず、エイプリルが、今まで不仲であった、ガンで余命幾許もないジョーイのために奮闘しようとするというところからスタートする、余計な描写は省いて、"今"だけを描くというのがシンプルで好き。
 また、この作品のテーマとなっている部分以外にも、自分の部屋のオーブンが故障してしまい、同じアパートの住人たちに助けを求め、その過程で、今まで交流のなかったアパートの住人たちと触れ合っていくというのがこれまたいい(個人的には、全然関係ないけど、最初にオーブンを使わせてくれた5階の住人の「ものを頼むんだったら、もっと丁寧な言い方があるだろ。」の言葉に対し、丁寧なようでいて、実は四文字言葉を交えて頼むという、エイプリルのセリフが好き(笑))。最後に彼女を助けてくれた言葉の通じない中国人家族に対し、感謝祭の語源を一生懸命説明するエイプリルの姿が微笑ましい。
 エイプリルが奮闘している一方で、エイプリルのアパートへ向かう彼女の家族たちの道中、わだかまりが溶けず、胸の中にしこりを残したままのジョーイのセリフの端々から感じられる複雑な思い、それに対する家族のリアクションなど、可笑しくもあり哀しくもあり。この中で、エイプリルのおばあちゃんドッティが何ともいい味を出しているというか、道中での潤滑油みたいな役割を果たしているような、そんな感じだ。
 そして、いざエイプリルのアパートの前に到着したものの、そのあまりにも想像とかけ離れたアパートの佇まいに引いてしまい、思わずその場を立ち去ってしまう彼ら、その事実を知ったときのエイプリルの失望感。何ともほろ苦い。しかし、ファミレスで今までのモヤモヤを吹き払うかのようにファミレスの客のバイクに乗せてもらいエイプリルのアパートに戻るジョーイ、ここに結局は家族なんだよな〜という想いを抱くのはあまりにも単純に過ぎるだろうか。
 そんなエイプリルとジョーイが対面するシーン、このクライマックスを変にドラマチックに描くのではなく、静止画、写真のカットでもって描くというのが今まであまり観たことがない手法だったので、なんか新鮮な気分がした。ラストはエイプリルの家族とアパートの住人も交えてのほのぼのとしたパーティー・シーン。だけど、最後に撮った家族写真がきっと、最後の家族写真になるんだと思うと、ちょっと哀しい。

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オールド・ボーイ

 「お前は誰だ!?なぜ俺を15年監禁した!?」
 今年のカンヌ国際映画祭において、審査委員長を務めたクエンティン・タランティーノは、ホントは「華氏911」 ではなく、この作品にパルムドールをあげたかったらしいが、別に大きな賞を取ったからエライとか、そんな気持ちはあたしの中には微塵もないのでそんな瑣末なことはどうでもいいのだけど、それでも確かにタランティーノ好みの作品だという気はする(笑)。
 物語は、ある日突然誘拐されて15年間監禁されたデスが、突然解放され、そこから始まる壮絶な復讐劇と、その復讐劇の果てに待つ驚愕の真相、結末を、バイオレンスかつ緊張感溢れる描写で描いていく。
 (以下ネタバレ)→実は、デスがミドと出会い、デスの娘の消息を辿っていた時点で、「デスとミドの出会いは偶然ではなく必然。ということはきっと、ミドがデスの娘というオチ(って言っていいのか分からんけど)だったりするんじゃないかな〜。」と思っていた。結果、その想像は当たったために真相が明らかになったときの衝撃度というのはあそれほどでもなかったのだけど、物語全体を通じてそこに込められたウジンの意図が分かったときの戦慄。自分の姉との関係、そしてデスとミドとの関係、それを"究極の愛"と言ってしまうのは簡単だし、道徳心が薄れている日本、そして道徳心の欠片もないあたしのような人間のクズにとっては「だって愛し合っちゃったんだも〜ん。」の一言で片付けるのも簡単だろう。しかし、この作品は韓国映画。前提として、儒教思想、そして"血の繋がり"というものが未だに色濃く残っているであろう韓国という国でこういった結末が描かれたことに対する衝撃。自分の姉との関係に苦しみ、それでも姉を愛さずにはいられなかったウジン、デスの心無い一言で姉を失ったことに対する哀しみとデスへの復讐心(やっぱ。口は災いの元、口数が多い奴はダメね〜)。デスにも同じ思いを味わわせてやろうという捩れた感情。それらが一気に噴き出しデスを追い込んでいく。15年のときを経てデスを解放したということは、機が熟するのを待っていたということ、そこにウジンの強い想いを感じてならない。それと、殺人罪の時効が韓国では15年というのもあるんだろうね〜(日本でも同様だったと記憶している。→日本では公訴時効の期間の最長が現行の刑訴法では15年。もっとも、改正刑訴法では公訴時効の最長期間が15年から25年に引き上げられるらしいが)。この辺に監禁期間を原作マンガの"10年"ではなく"15年"にしたというパク・チャヌ監督の深い意図が感じられる。
 そして、この監禁に始まった一連の復讐劇の真相("なぜ監禁したか?"ではなく、"なぜ15年も監禁した後に解放したのか?")を知ってしまったデス。自分の舌を切り取ってしまっても、それだけではきっと済まない、監禁されていたとき以上に苦しみ、ミドは真相を知らないだけにこれからの彼らの関係、どのようにして生きていくのか、デス自身は苦しみながら生きるしかない茨の道。ラストで心の中の"モンスター"を追い出したかのように見えるけれど、だからといってこの関係を完全に受け入れて生きていくことができるとは思えない。明確な結末を示さない分だけ、穏やかな表情の諦念すら感じられるかのようなデスの心中の苦悩が浮き彫りにされるような気がしてならない、死ぬよりも辛い、何とも残酷な結末。
←(ここまで)
 それにしても、デスを演じるチェ・ミンシクの存在感のなんと素晴らしいことか!オープニング・カットのビルの屋上で自殺志願者のネクタイを掴んでいるシーンと対照的な、そこからから時間が巻き戻された15年前の酔いどれて悪態をつくやさぐれぶり(あの警察署でのシーンは、チェ・ミンシクのアドリブだったらしい)、監禁されているときの錯乱した状態と解放されてから復讐の鬼と化して真相を求めて突っ走る表情の大きな違い、真相を理解し、驚愕に震え許しを懇願する弱さ、この役を演じるために体重を増減させたという外見だけではなく、幾つもの表情を見せてくれている。そして、それ以外にもあの監禁場所の廊下でのチンピラ相手の長回しの格闘シーンのカッコよさ、やはり彼は現在の韓国映画において別格の存在だ。
 また、敵役のウジンを演じるユ・ジテ。今まであたしが彼に抱いていたイメージというのは「春の日は過ぎゆく」「リメンバー・ミー」 のような"優し気な男"というものなんだけど、この作品においては狂気すら感じられる15年と言う歳月をかけて復讐を果たそうとする執念、その一方で心の奥底に潜む大切な者を失った深い哀しみ。この危ういバランスを保ちながら演じるという、彼の新境地とも言うべき演技を堪能できる。
 そして、物語のキーパーソンとも言うべきミドを演じるカン・へジョンの寂しい気持ちを抱えながら生きてきて、デスの中に自分と同じ匂いを感じ取って彼に惹かれていく様、危険に晒されながらも無邪気にデスのことを信じる様、最後に待ち受ける結末を思うに、そんな彼女の気持ちが愛しくてならない。
 原作が日本のマンガであっても、それを上手い具合に脚色し、こういったパワーを持った作品が作られるところに韓国映画界の底知れない実力を感じてしまう。でも、お願いだからハリウッドでリメイクするなんていうバカげたことは止めてもらいたいよ、いやマジで。
 ちなみにこの作品を観て、暴れ食いのあたしは揚餃子(さすがに15年食べ続ける自身はないけど(汗))と生ダコが食いたくなったのだけど、さすがに歯を抜くときは麻酔が欲しいわ(痛爆)。

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コニー&カーラ

 「キラキラしてる?」
 この作品の元ネタは「お熱いのがお好き」 らしいが、お恥ずかしながら未見(一応収録されたディスクは頂いたんだけど、観る時間がないんだよね〜)のため(恥)、それとの比較は出来ない。しかし、元ネタがどうとかということなどこの際どうでも良く、単純に、そして素直に楽しめるエンターテインメント作品になっていることを賞賛したい。
 物語は、スターになる夢を持ち、歌とダンスへの情熱は常に失うことなく持ち続けながらも、ガラガラの空港のラウンジショーを行う程度でまったく売れないコニーとカーラが、運悪くふたりのボスが殺される現場を目撃してしまい、その悪人から逃れるためロサンゼルスへ逃亡し、身分を隠し、新しい生活を営もうとするも、やっぱり歌とダンスが忘れられず、それならばとドラッグ・クイーンに扮してひょんなことから受けたオーディションでバカ受けし、ドラッグ・クイーンとしてスター街道まっしぐら、その一方で、コニーがドラッグ・クイーン仲間の弟ジェフに惚れてしまうも、当然彼女は男という設定だけに、告白も出来ず悶々とし、そうこうしているうち名前が売れると同時に悪人どもにまでその存在を知られてしまうところとなり、さあどうする、といったドタバタ劇を、非常にテンポよく、あちこちに散りばめられるミュージカル・ナンバーと共に一気に観せてくれる。
 ドラッグ・クイーンといえば、彼ら(彼女たち?)を描いた最高傑作「プリシラ」 が真っ先に思い浮かぶのだけど、両作品とも劇中で使われる音楽が非常にマッチして、相乗効果を生み出していたように思えるように、やはり、映画にとって音楽の果たす効用というのは非常に大きなものがあると思わずにはいられない。でも、この作品の肝は、ドラッグ・クイーンに扮した彼女たちは口パクではなく、生の声で歌うというところ。ニア・ヴァルダロスもトニ・コレットも、そのドラッグ・クイーンっぷりがあまりにもハマっていて、生声で歌ってたら、女だってバレちゃうんちゃう?な〜んて、無粋なツッコミはどうでもよくなる(笑)。そもそもこの作品は、基本的にお約束的な展開がてんこ盛りで、ラストのハッピーエンドについても、ドラッグ・クイーンに対して偏見を持っていた、コニーのことを男だとずっと思っていたジェフが、コニーの告白であっという間に心動かされるなんて、有り得ないじゃん!ってツッコミを入れることは可能だと思う。しかし、こういった作品であるだけに、お約束的な展開を踏襲することで、大団円のハッピーエンドに持っていくことが大切であり、ここはそんなツッコミは無意味だと思うな。だって、エンターテインメントなんだもん(笑)。やっぱ、ツッコミどころがあっても、理屈抜きで楽しめなきゃね。
 あと、悪人の一味の内のひとりが、コニーとカーラを探し回って全米中のショーを観て回るうちに、いつの間にかこういったショーのファンになってしまうというのもサイコー!彼が最後に「俺にも歌わせろ!」的なセリフを吐いて警官に連行されるくだりなんて、絶対出所したら仲間に加えてあげたいものだわ。そのときは、絶対にドラッグ・クイーンの格好をしてね(爆)。
 それにしても、デビー・レイノルズまで出演させちゃって、オマケに彼女にも歌わせてしまうというのもスゴイ。頭を空っぽにして、思う存分楽しめて、ハッピーな気分になって元気をもらえる、とても楽しい作品だ。ドラッグ・クイーン最高!(爆)こんな作品が単館上映だなんて、勿体無さ過ぎるぞ。

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SAW

 「【最前列】に座れ 目を閉じるな」
 巷で囁かれる"「CUBE」 meets「セブン」 "、"ソリッド・シチュエーション・スリラー"という謳い文句、ホントにそこまでスゴイのか、そして怖いのか、はたしてその真相は、という、半分怖いもの見たさで劇場に足を運んだのだが、これがまた、見事にヤラれました。確かに"「CUBE」 meets「セブン」"と言われるほどの衝撃や、血生臭いシーンなども多々ある割にはそれほどの恐怖感などは感じなかったものの、それでもふたつのストーリーが交錯しながら展開し、ラストまで息をつかせぬ展開で引っ張っていく構成力と、こんなの絶対に見破れないぞという、まさにアイディアの勝利、開いた口が塞がらない驚愕のラストには、素直に脱帽、賞賛するしかないだろう。低予算、18日間という撮影日数のデビュー作でこれほどの作品を撮った監督のジェームズ・ワンと脚本を手がけ、出演もしているリー・ワネルのふたりには、あらためて拍手を送りたい。いや〜、やっぱり映画って金をかければいいってもんじゃないし、まずはアイディアと脚本ありきだということを再認識したし、才能って、色んなところに転がっているもんだと思う。次回作にも大いに期待したい。
 (以下ネタバレ)→最初にゴードンが回想を始めたとき、もしかしたらこれは「ユージュアル・サスペクツ」 の手法を踏襲したものなのか?などと思ってしまったのだが、そんな単純な図式ではないということがハッキリした時点で、下手な謎解きに没頭するのは止めにして、素直に物語の展開に身を委ねることにしたのだけれど、それにしても、ラストでバスルームに横たわった死体がいきなりムクリと起き上がったときには、マジで口がアングリ(笑)。思わず笑いまでこみ上げてしまったのだけど、あの入院患者の"彼"が"ジグソウ"だったとはね・・・。野暮なツッコミをしてしまうと、癌が転移して、余命幾許もない病人が、死体のふりをして6時間も身動きせずにバスルームに横たわっているなんて、できるはずないじゃん!となるのだろうが、この作品のプロデューサーが「最後のどんでん返しがこの作品の真骨頂だ。」と言い切るとおり(要するに、オチがすべてだと自ら認めているのだと思う)、この作品においては、あくまでも着地をどう決めるかが大切であり、そこまでの過程において多少の不備な点があったとしても(何故、アダムがこの"ゲーム"に巻き込まれたのかということが今イチ説明不足で分からなかったような気がする)、ここまで見事に着地を決めてくれた以上、そんな野暮なツッコミなど、用を成さないのだ。そんな無粋なツッコミをする人の、どれだけがこの真相を見抜くことが出来たのか、結末が提示されてから揚げ足取りみたいなことをするのは、誰だって出来ることだしね。それに、密室で足を鎖に繋がれて、極限状態に置かれたふたりには、あらかじめ死体であるという先入観を植え付けられている以上、どうやってこの状況から抜け出すのか、ということに腐心しているわけだから、一番の足元にまで注意が向かないということなのだろう。←(ここまで)
 また、オープニングのアダムがバスタブの中で目覚め、バスタブの栓を抜き、水が排水口に吸い込まれていくシーンが、ラストにおける伏線になっている点など、観終わってから、もう一度頭から観返したくなるような、そんな作品だ。やっぱりこの手の作品は、四の五の言わずに素直に楽しみ、そして見事に騙されることに快感を感じるんだよ(笑)。

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父と暮せば

 「おとったん、ありがとありました。」
 あたしの父は広島出身。広島に原爆が投下された1945年8月6日は疎開していて難を逃れたと記憶しているが、小学生の頃、夏休みには家族で父の実家の広島を度々訪れ、それと同時に原爆ドーム及び原爆資料館も訪れ、そこで目にした資料の数々に、子供心に非常なショックを受け、それは今でも忘れられない思い出になっている。おそらく、戦争というものに対するあたしのスタンスはきっと、その当時の体験も基になっているのだろう。
 そんな"ヒロシマ"への原爆投下から3年後の夏を描いたこの作品、元は井上ひさしの舞台で上演されていたものであり、映画でもほぼ宮沢りえと原田芳雄のふたり芝居(あとは浅野忠信がほんの少し出てくるだけ)の体を取り入れ、舞台の色を色濃く残した雰囲気で展開していく。
 この作品を語るのに、多くの言葉は要らない。原爆で父や親しい友人たちが亡くなってしまったのに、自分だけが生き残ってしまったことに後ろめたさを感じ、好きな人が出来たのにその気持ちすら押し殺して生きようとする宮沢りえ演じる美津江と、そんな彼女を応援しようと現れる竹造の幽霊。竹造自身が語っているように、この竹造の存在は、「幸せになりたい。」と願う美津江の心を投影したもの。だけど、自分だけが幸せになってはいけない、どうして自分が助かってしまったのだろうと葛藤する美津江。そんな彼女の心があまりにも哀しい。この戦争は、目に見える爪痕だけではなく、本来ならば助かって喜ぶべき人たちの心にまで、生きていることに対する負い目、後ろめたさという、簡単には拭い去ることの出来ない途方もない大きな心の傷まで残してしまったのだ。竹造が「一寸法師」のパフォーマンスで語る言葉、美津江が自身の心情を吐露する言葉に、胸を塞がれ、引き裂かれるような痛みを覚えて涙が止まらなかった。そう、感動とかそういう安っぽいものではなく、ここにあるのは痛み。そして、派手なギミックのような視覚でそれを伝えるのではなく、元が舞台だからというのもあるのだろうけど、広島弁で訥々と語られる言葉、その言葉が胸に響き伝わり、痛みと哀しみが伝わってくる。そこに、お涙頂戴的な偽善的な感情は微塵も感じられず、黒木和雄監督の真摯な想いが伝わってくるのだ。
 また、主演のふたり、美津江を演じる宮沢りえの、派手さはないが、後ろめたさと負い目を抱えて生きてきた揺れ動く感情表現に、彼女もいい"女優"になっていたのだとの思いを強くし、そして、竹造を演じる原田芳雄の、娘を想う父親をコミカルな雰囲気も交えながら貫禄十分に演じ、観る者を一気にその作品世界の中に引きずり込むかのような存在感も文句なしに素晴らしい。
 来年でこの出来事が起きてから60年。当時を知る人はどんどん減っていって、その記憶も風化していく危惧があるのだけど、声高に"戦争反対!"と唱えなくても、こういった形で後世へ伝え、遺していくというのもひとつの方法なんじゃないかと思う。同じ過ちが繰り返されないためにも。これを綺麗ごとと笑う人は、笑わば笑え。手遅れになってからでは遅いのだ。

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TUBE

 「地下鉄大爆破!!」
 韓国映画といえば、恋愛モノに優れた作品が多いと思うが、ここまで徹底したツッコミどころ満載のアクション映画も撮れるんだなと、新鮮な驚き(笑)。
 オープニングでいきなり空港での大銃撃戦。装甲車が突っ込み、パトカー炎上って、気分は完全に「西部警察」(笑)。あれだけの銃弾を浴びて、テロリストには一発も当たらないっていうのがお約束。で、主人公のチャン刑事だけはしっかりと敵を仕留めるというのもそうでなくっちゃ(笑)。
 で、物語はここから地下鉄乗っ取りへ。ってゆうか、指名手配犯のはずなのに、市長の視察の中、警備体制が敷かれているはすの地下鉄駅の中を素顔を晒したまま市長と同じ地下鉄に乗り込めるということからして有り得ない(笑)。あと、その地下鉄に飛び乗って、超人的な活躍を見せるチャン刑事、普通だったら死んでるって(爆)。ギテクに胸を撃たれて転落したものの、胸ポケットに鋼鉄のトランプが入ってたから一命を取り留めるなんて、今どきのハリウッド映画でも使わないネタだ(笑)。一番ウケたのが、クライマックスでギテクにやられて地下鉄の窓にしがみついて今にも転落しそうな絶体絶命のところで、インギョンの危機にいきなりパワー復活、地下鉄車内に飛び込んでギテクをボコボコにしちゃうあたり、そんな力があるんなら、初めから使えっつうの(爆)。ラストでも、今まで鼻も引っ掛けていなかったインギョンに対して、タバコのエピソードを引用して口説きに入るって、やっぱり極限状態で恋愛は成就するって、いかにもって感じ(笑)。
 それに、ギテクもギテクだよな〜。冷酷なテロリストの割にはインギョンにあっさりと財布を掏られてるし(笑)。しかも、最後はあっさりと地下鉄から落ちて死んでるし。チャン刑事があれだけの超人的な活躍できるんなら、あそこで自ら落ちてもまた這いずり上がってくるくらいのことはできるんでないかい(笑)。
 ギテクが死んで、一件落着かと思いきや、今度はギテクが遺した前総理の関わる国家機密のデータにまつわる一件へと急転換。この機密を守るために地下鉄の乗客は犠牲になってもらうって、オイオイ、強引だな〜。で、それに反対する地下鉄統制室の室長をお役御免にして、なんだか偉い人が指揮を取ろうとしても、寸でのところで職員たちがその指揮に反旗を翻すってこれまたお約束。あとは室長の指示に従いながら危機を切り抜けようとするって、結局一番美味しいところはこの室長が持っていったような気がするんですけど(笑)。
 あとはあれだよね、普通この手の作品の場合、(ネタバレ)→主人公は絶対に死なないっていうセオリーがあると思うんだけど、最後にチャン刑事、自らを犠牲にして死んでるじゃん(爆)。←(ここまで)このセオリー無視の展開は、衝撃とか、泣けるというよりも、「オイオイ。」って感じ(笑)。
 結局、かなりプロットもかなり粗いし、ストーリーの前後の繋がりも結構いい加減というかメチャクチャ。ギテクの政府に対する憎しみの動機など、ほとんどセリフだけで説明しちゃってるしね(ドラマ性の高い作品だったら、ここはしっかりと回想シーンを存分に挿入すると思うんだけど)。それでは、全然楽しめなかったのかというと決してそんなことはなく、ツッコミどころは多々あれど、ここまで徹底して強引に無茶をやってくれると、かえって爽快で、そのある種の潔さと力技に捻じ伏せられるが如く、ぐうの音も出ませんです、ハイ(笑)。それに、こういう作品の前には、こういったツッコミなど何の意味も成さない。だって、エンターテインメント作品って、理屈抜きで楽しめればいいわけだから。そういう意味でも、思う存分楽しませてもらった。
 でもさ〜、今年の東京ファンタスティック映画祭の舞台挨拶でインギョンを演じたペ・ドゥナが、この作品のことを"メロドラマ"と称し、"ロマンチックな"シーン云々などと言っていたらしいけど、それだけは絶対に有り得ね〜(爆)。あ、でも、彼女が過去に出演した「ほえる犬は噛まない」「子猫をお願い」 よりも、ルックスという点では、今回の彼女が一番好みだな(笑)。

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ビッグ・バウンス

 「世界一トロピカルなダ・マ・シ・ア・イが、アナタの到着をお待ちしております。」
 エルモア・レナードの原作に、出演者がオーエン・ウィルソン、モーガン・フリーマン、ゲイリー・シニーズ、チャーリー・シーン、ヴィニー・ジョーンズというクセのある俳優たち、そしてオマケでウィリー・ネルソンとくれば、そりゃ期待してしまうというのが人の常というもの。しかし、この作品は、その期待をものの見事に打ち砕く、なんともユルくてヌルい、なんとも退屈な駄作でございました(泣)。ってゆうかさ〜、どうしてこれだけのある意味豪華なメンツを集めておいて、この程度の作品にしかならないのか、こっちが教えてもらいたいくらいだよ。やはり映画というものは、キャストがどうとか言うよりも、まず第一に脚本が大事だということを証明するような作品だな。こちらは進んで観たというよりも、むしろ時間調整のつもりで観ただけに、こんなことだったら、他の作品を観てればよかったと、後悔の嵐。まあ、このメンツなのに銀座シネパトスでしか上映されていないという事実にもう少し注目すべきだったね。
 物語は、最悪の運気を変えるためにハワイに流れ着いたオーエン・ウィルソン演じる小悪党ジャックの前に、サラ・フォスター演じる謎の女、ナンシーが、大金強奪のオイシイ話を持ちかけ、そこから小悪党たちが入り乱れての二転三転、最後にどんでん返しという、脚本さえしっかりしていればかなり面白い作品になると思うのだけど、とにかくテンポがユル過ぎて、全然ドキドキできない。しかも、小悪党を演じる俳優たちの個性がまるで生かされていないために、それぞれのキャラに全然魅力が感じられず、テンポの悪さと相俟って、話にまったくノレない。それ故、いくら物語が二転三転しようが、最後にどんでん返しがあろうが(ってゆうか、あれを"どんでん返し"と言っていいものかどうか)、何の驚きも感じることが出来なかった。小悪党たちのドタバタという点では、決して諸手を上げて面白いとは言わないけれど、「ウェルカム・トゥ・コリンウッド」 の方がまだ面白いぞ。

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ビハインド・ザ・サン

 「生きること、君への想い、加速していく。」
 ウォルター・サレス監督が、「モーターサイクル・ダイアリーズ」 を撮るよりも前に撮影したこの作品、おそらく主演のロドリゴ・サントロは、この作品での演技が認められて「ラブ・アクチュアリー」 への出演が決まったのではないかと思われるが、まあ、確かに甘いマスクの男前だとは思うけど、男の目から見てもカッコいい!とまではいかないかなと(笑)。
 とまあ、そんな余談はさておき、ブラジル東北部の荒涼とした土地で、土地の権利を巡って血で血を洗う争いを続けるプレヴィス家とフェレイラ家のふたつの家族。一方が一方の人間を殺せば、その敵討ちとばかりに今度は相手からその殺した人間が狙われる。何とも不毛で哀しい争い。この作品では、相手の家族を殺したロドリゴ・サントロ演じるトーニョが、今度は自分が狙われる番だと覚悟するものの、街へ訪れたサーカスの美少女クララと出会い、生きることの意味を見出そうとする。
 しかし、長きに渡る殺し合いの宿命からはそう簡単に逃れることが出来るものでもなく、その無益な報復の連鎖を断ち切るために、トーニョの弟のパクーが導き出した結論と、最後に提示される結末が、あまりにも痛く哀しい。この提示された結末の後には、すべてが終わって、生きることへの希望が示されているというよりも、何ともやり切れない、こうでもしないと憎しみと哀しみの連鎖は断ち切れないのだろうかという思いが残る。中盤でトーニョがクララと出会うことで新たな世界に目を開かれ、そこに生への希望を見出すのとはあまりにも対照的な後味の悪さ。これを自己犠牲の精神と美化するつもりなど毛頭ないし、人間は、所詮は憎しみの感情を捨て去ることなど出来ないのだろうか。ラストで放心したかのように歩いていくトーニョの胸に去来したのは、一体どのような想いなのか・・・。

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モーターサイクル・ダイアリーズ

 「この出会いを、忘れない」
 キューバ革命の指導者、チェ・ゲバラ。革命家として愛されている彼について、あたしは恥ずかしながら革命家である、ということしか知らず、それ以上深く彼については知らないのだけど、そんな彼の"チェ・ゲバラ"と呼ばれるよりも遥か前、若かりし頃の一医学生エルネストとして、大いなる好奇心と冒険心、そしてひとつの目的を持って敢行した南米大陸縦断の旅。そこで出会った様々な事象とそれらに多大なる影響を受けたであろう、まさに彼の"原点"ともいうべき旅の軌跡が存分に描かれたロードムービーだ(でも、タイトルの割には結構早い段階でバイクが壊れてるんですけど(笑))。
 家族や恋人を祖国に残し(って、彼がアルゼンチン出身だということも知りませんでした(恥))、長きに渡る旅の過程で目の当たりにするアンデス山脈やアマゾン川を始めとする雄大な自然、そして行く先々で出会う様々な人々、今まで知らなかった様々な現実にぶち当たり、最初は甘い、ソフトな風貌だったエルネストが、それらを吸収して次第に引き締まった、たくましい風貌に変化していく様、また、この度のひとつの目的であったハンセン病の療養所での献身的な活動、そんな彼の情熱に周囲の人々も巻き込んで輪がひとつになっていく様子、決して偉人伝のような感じではなく、一見無鉄砲なひとりの無名の若者の熱意が共鳴し、広がっていくような、そんなイメージだ。でも、喘息で苦しむ老婆に残り少ない自分の喘息の薬を分けてあげたり、政治的信条から旅せざるを得ない夫婦に自分の恋人から預かったお金を渡すのはいいとして、喘息持ちが泳いで川を渡るって、そりゃ無茶だよ(笑)。この辺は、青春のひとコマってところなんだろうな〜。
 それと同時に、エルネストと共に旅をする相棒のアルベルト。この男がまたいい味を出していて、コミカルで、女好きで、時にはぶつかり合い、だけど、エルネストのことを深く理解し、それはエルネストも同じで、互いに心の底から深く結び付いているふたりの絆。何ともいいコンビぶり。そんなふたりの深い友情が、何とも微笑ましくもあり羨ましくもあり。ロードムービーである一方で、これは固い友情で結ばれたふたりの友情の物語でもあるのだろうか。
 そして、ふたりにとってこの旅はあくまでもこれからの人生への始まりに過ぎず、きっとこの旅で得たその情熱を財産とし、ふたりがこの後歩む道への大いなるエネルギーになっていったことだろう。それを想像させる終わり方も好感が持てる。
 それにしても、エルネストを演じるガエル・ガルシア・ベルナルの何とも魅力的なことよ!前述したとおり、最初は結構やんちゃな甘い感じだったのが、旅の始めに父の気持ちを汲み取り、恋人の想いを残し、だけど理想に燃え、旅を続け、旅の途上で出会った人々や事象を受け止める様子、どんどん逞しく、変わっていくその顔つき。それが何とも自然で、こちらも惹きこまれていく。過去の作品でもそうなんだけど、この作品でも彼のカッコよさ、その魅力を十分に堪能することが出来た。男の目から観てもそのカッコよさ、魅力を感じられる俳優というのはそうそういないと思うので、貴重な俳優だ。

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やさしい嘘

 「あなたのことが大切で、本当のことが言えなかった。」
 予告編を見て、これはあたし好みの作品に違いないと、大いに期待していた作品だ。しかし、その大いなる期待が仇になったか、大満足の1本とはならなかったのが些か残念。どうも、エカおばあちゃんの息子、オタールの事故死という事件は起こるものの、淡々とごくごく普通の日常が描かれていくだけに、全体的に平板な印象が拭えず、その部分がマイナスかなと。
 しかし、エカおばあちゃん、母マリーナ、孫娘アダの、3世代の家族が貧しいながらもささやかな暮らしを営む姿、フランスへ出稼ぎに行ったエカおばあちゃんの、オタールからの便りを待ちわびる姿、オタールの不慮の事故死の後の、エカおばあちゃんに本当のことを言い出せずにオタールの名で手紙を書き続けるアダとマリーナの姿、ここに、お互いを思いやる、家族の気持ち、絆が感じられるような気がしてならない。
 また、旧ソビエトとはいえ、今までどのような国なのかイメージが湧かなかったグルジア共和国の生活の実情、貧しく、若者も満足な仕事も得られないような閉塞感のある雰囲気(これがラストのアダの行動への伏線になっていると思われる)が伝わり、そういったことを感じられただけでも収穫であったとも思う。
 そして、オタールからの便りを不審に思い、思い切ってパリへと旅立ち(大切に所蔵してきた書籍などを思い切って処分して旅費を稼ぐというのがなんとも)、そこで真実を知ってしまったエカおばあちゃんがマリーナとアダへつく"やさしい嘘"。この作品の邦題が意味するところは、マリーナとアダがエカおばあちゃんについた嘘というよりも、このエカおばあちゃんがついた嘘のことを指しているのではないかと思えるこのシーンには、思わずホロリ。ここにも、真実をぐっと呑み込んで、自分に対するマリーナとアダの気持ちを傷付けないようにしたというエカおばあちゃんの気持ちが伝わってくるような気がする。
 さらには、ラストのパリの空港でのアダの行動のシーン。エカおばあちゃんは閉塞的なグルジアの空気から希望を求めるために脱出したいというアダの気持ちに気付いていたのではないか。だからこそ、売店に行くというアダを、ここで立って待つのは足が痛いから嫌だと、これまた最後にもうひとつ嘘をついたんじゃないか、そんな気がする。そんなエカおばあちゃんを演じる、85歳で女優デビューを果たしたというエステール・ゴランタン。彼女のしっかりとした、キュートともいえる仕草など、すごく素敵だったな〜。あたしも、ああいう年のとり方をしたいものです(笑)。

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