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まとめてポン!2004年12月編

キス・オブ・ライフ
恋に落ちる確率
戦争のはじめかた
バッドサンタ
ふたりにクギづけ
僕の彼女を紹介します

マイ・ボディガード

















キス・オブ・ライフ

 「あなたが最後にキスしたい人は誰ですか」
 家族の誰かの"死"を切っ掛けとして、家族の愛が浮かび上がってくるというのは何とも皮肉な気もするが、人間というものは、ともすると、日々の生活に追われるうちに、日常に埋もれてしまい、そこにある大切なものに気づかないということが往々にしてあるものだ。この作品は、家族に突然訪れた"死"をきっかけとして、残された家族、そして"死"を迎えた本人の中に家族を思いやる感情をあらためて鮮烈に思い起こさせる作品なのだろうか。
 物語は、父親と二人の子供とともにロンドンに住むヘレンと、国連スタッフとしてボスニア難民救済のためクロアチアに留まり、長い間家族の元へ帰っていない夫ジョンとのすれ違いという関係がまず描かれる。そして、ある朝ヘレンが車にはねられ、帰らぬ人となってしまうのであるが、「"死"を迎えた本人」と前述したとおり、ヘレンの魂はそのまま天に召されるのではなく地上に留まり、今までの彼女の人生を振り返り、残された家族へ想いを馳せ、その想いを遂げんとするパート、ヘレンに訪れた悲劇を知らないまま、戦火の中をくぐり抜け、家族の元へと帰ろうとするジョンのパート、そして残された子供たちとヘレンの父親のヘレンへの想いが描かれるパートの3つが交互に描かれていく。
 へレンが家族への想いを遂げんとするとは言っても、従来の死者と生者との交流が描かれる作品とは異なり、ヘレンの魂と残された家族が何らかの形で交流できるのではなく、ヘレンの魂の存在は家族には認知できず、決して交わることはない常にパラレルな関係。例えばヘレンについては彼女の幻想の中での家族との交わりという、あくまでもそれぞれの世界で完結するような関係(言葉で説明するのが難しいのだが)だというのが他の作品と異なっている点だろうか。想いを残して逝ってしまったというのにこちらからその想いを伝える術がないというのが何とも哀しい。
 ストーリーの展開や描写は、それこそギミックもなく、シンプルで、ともすると単調で、平板なものと捉えられてしまうかもしれないのだが、それでもヘレンを含めた家族それぞれが、家族への想いを噛み締め、家族の元へと帰り着いたジョンと子供たちが抱き合うラストには、その"家族愛"の感情が伝わり、残された家族の未来への一筋の光を感じ、感動の波がジワジワと押し寄せてくる。派手ではないものの、何とも印象に残る作品だった。
 ちなみに、"死"ということで言うと、この作品は、当初ヘレンを演じる予定であったにも拘らずクラインクイン直前に急逝してしまったカトリン・カートリッジに捧げられている。

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恋に落ちる確率

 「運命の人は、近づいている。」
 主演が「しあわせな孤独」 でヨアヒムを演じたニコライ・リー・カース、しかも最近何本か観たデンマーク映画がどれも印象深いものであり、しかもこの作品のテーマも面白そうなものであったため、ひとまず劇場へ足を運ぶ。
オープニングの「これは現実ではない、作り物、映画である。」という趣旨のナレーション(どうも小説家であるアイメの夫の声のようだ)に導かれ、舞台はコペンハーゲン。最初にアレックスとアイメの出会いが描かれ、そこからまた時間軸が巻き戻されるようにアレックスと彼のガールフレンド、シモーネ(アイメと、マリア・ボネヴィーのひとり二役)のシーン、アイメと夫がホテルにチェックインするシーンが描かれる。そして再びアレックスとアイメの出会いがあり、アイメに"運命"を感じ、シモーネを放り出してアイメを追うアレックス。
しかし、アイメと結ばれた時点から、自分のアパートの部屋は消滅し、シモーネを含めた自分の周囲の人間が誰も自分のことを知らないという、迷宮に迷い込んでしまったかのようなアレックス。アイメとの"運命"の出会いを成就させるためにはどうやら今まで築き上げてきたものすべてを捨て去らなければならないらしいということが分かる。ここでひたすらもがき苦しみ、アイメを選ぶ決心をしたアレックスではあるけれど、アレックスがアイメを追う前に地下鉄の中でシモーネが彼のコートのポケットに入れた「愛してる。」という紙切れを見つけ(感情はなくなっても、物体は残るものなんだね)、自分のことを知らないと言ったシモーネに最後の別れを言おうと彼女に会ったことで時間をロスし、結局アイメとの待ち合わせに間に合わずに最後はアイメすら失い、そこでまた空間が変化するかのごとく、アイメもまたアレックスのことを知らないという事態に。この最後の空間は、はたして最初のアレックスがシモーネと過ごした"世界"なのか、それともまったく別の"世界"、"空間"なのか、それすら分からないまま、"二兎を追う者は一途をも得ず"と言わんばかりに映画は幕を閉じる。結局はすべて映画の中の世界、現実ではない、作り物の世界であるということなのだろうか。それでも、結局はすべてを失ってしまった(ように見える)アレックスは、痛すぎるぞ。
それにしてもまあ、ドグマのような映像だったり、登場人物の位置を指し示す航空写真を使ったり、いかにもヨーロッパ映画らしい多分に実験的な要素を孕んだ作品ではあるものの、そういった実験的な要素とこの作品で描かれるすべてのものを捨てて、"運命"の出会いを成就できるか否か、といったテーマの噛み合わせが決して上手くいっているとは思えず、全体的に分かりにくい印象を受け、どうも作品世界に入り込むことができなかったというのが正直なところ。こうしたテクニックに溺れるのではなく、もっとシンプルな作りにしても良かったんじゃないのかな。

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戦争のはじめかた

 「だって、自由の国なんだもん!」
 ワールド・プレミアの熱狂の直後にあの"9.11"が勃発、そのあまりにブラックな内容に5度の全米公開延期を余儀なくされた作品、しかも、この作品の時代背景が冷戦も終結を迎えようとしている1989年、ブッシュ現アメリカ大統領の父、"パパ・ブッシュ"の時代だというのがなんとも今の時代にタイムリーな作品、オマケに主要キャストを見ても、いぶし銀のような存在感のあるホアキン・フェニックスに存在感という点では類を見ないエド・ハリス、これまた渋いスコット・グレンにアンナ・パキンという豪華キャスト。こりゃ観るしかないでしょ!とばかりに劇場へひとっ飛び。その期待に応えるだけの作品に仕上がっていたと思う。
 規律の緩んだ軍の中で横行するヘロインの密売、闇取引、兵士同士の諍い、ふざけていて机の角に頭をぶつけて死んじゃったのに、適当な理由を見繕って"名誉の死"みたいに取り扱ったり(もっとも、ああいう"いかにも"な文章は、うちの会社でも作りそうだな(汗))、ヤクでラリった状態で戦車で街中を走り回って街中をメチャクチャにしてみたり、そのはずみで転がり込んできた兵器を横流ししようとしてみたり、こんな有様の下級兵士は下級兵士だし、一方の上官も長いこと銃すら握ったことがなくて、自らの出世のことばかり考えて更に上の人間にゴマをすってみたり、いくら平和だからって、こんなんで平和を守れるの?って言いたくなる。その一方で、綱紀粛正を公言するリー曹長(こいつも清廉潔白かと思ったら、全然食えない奴でやんの)が赴任したらしたで、そこからまた事態がドツボにハマっていく感じ。最後は自家中毒を起こすかの如くほぼ自滅するような感じで事態が収束していく、だけど、その事実も大っぴらになることもなく、オマケに実は全然懲りてなくて違う駐屯地でまた同じことを繰り返そうとするエルウッド、う〜ん、まさしく"バカは死ななきゃ治らない"を地で行っているとでも言えばいいのだろうか。かなりブラックにアメリカ軍の内部を描いている。
 あの"9.11"の直後、"愛国心"を高揚させようとするアメリカという国で、"平和を守るため"の戦争に出撃していく軍の実態が実はこんなんでした、な〜んてことになったら、そりゃ"愛国心"も萎えるって(笑)。5度の公開延期というのも頷ける。それにしても、一連のマイケル・ムーア監督作品でも思ったけど、かなり脚色されている部分もあるだろうし、どこまでが"真実"なのかは分からないけど、もしこれがホントのことだったら、全然懲りないアメリカという国は、マジで"バカ"に違いないと思ったね(苦笑)。
 一方でキャストに目を移してみると、規律の緩んだ軍の中で、その間隙を縫ってしたたかに生き抜こうとするエルウッドを演じるホアキン・フェニックスの、相変わらずの存在感はさすがだと思ったし、エド・ハリスが演じる、ここ数作のエキセントリックな役柄、それとは対照的な「僕はラジオ」 のような"普通"の役柄とも違う、昇進することに汲々として、上の目ばかり気にしている"昼行灯"のような些か情けないバーマン大佐など、彼のこういう役柄は初めて観たけど、これはこれでハマっているところに彼の俳優としての懐の広さを実感してみたり、リー曹長を演じるスコット・グレンの、ハードコアなようでいて実は前述したように食えない奴だという、バーマン大佐との対照的な役回りも面白い。
 しかしこの邦題。好意的に解釈すれば、"内なる敵がいれば、組織の中でも戦いは始まる"という意味になるのだろうか。ただ、この軍の内部崩壊を"戦争"と言っていいのかどうか疑問だし、この邦題だと、世間一般のイメージとして、ホントに"戦争"が始まってしまうという結末を期待してしまうのではなかろうか。そういう意味で、この邦題はいかがなものかと思ったのもまた事実だ。

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バッドサンタ

 「史上最悪のサンタクロースより、メリークリスマス!!」
 クリスマス映画といえば、小粋でお洒落でハートウォーミングなストーリー、そして最後にはハッピーな気持ちになれるというのがあたしの中での勝手な公式なのだけど、この作品は、ある部分ではその公式を覆し、またある部分ではそのセオリーを踏襲しているという、一風変わったクリスマス映画だ。
 とにかく、主人公のウィリーのキャラがサンタクロースの常識をぶち破るような破天荒ぶり。酒浸りで女にだらしなく、サンタのくせに子供が大嫌いで、デパートのイベントでも子供たちに酒臭い息を吹きかけ悪態をつき、挙句の果てにデパートの更衣室でア○ルSEXしちゃうわ、イベント中にオシッコ漏らしちゃうわのダメダメぶり、そしてその正体はクリスマスイベントに紛れてデパートの売上金を金庫から奪う泥棒だったりして、しかもウィリーを演じるのが、この人もカメレオン俳優だよな〜のビリー・ボブ・ソーントンだったりして、彼の"不良サンタ"、徹底した"ダメ男"っぷりを堪能できるだけでも観る価値のある作品だと思う。とにかく彼のその存在感が可笑しく笑えるのだ。当初はこの役をビル・マーレーにオファーしていたようだけど、こういったキャラを演じるのであればビルよりもビリーの方が適任だと思う。こういった"ダメ人間"を作品の中で活かすのって、「ゴーストワールド」 もそうだったけど、テリー・ツワイゴフ監督の十八番なのかしら?と思ったりして(余談ながら、「ゴーストワールド」 といえば今を時めくスカーレット・ヨハンスン、そしてビリー・ボブ・ソーントンとビル・マーレーといえば、オジさま好きな彼女と共演して・・・。って、分かる人にしか分からんネタだなこりゃ(笑))。
 "ダメ人間"といえばウィリーのことを本物のサンタクロースだと信じて疑わずにウィリーに付き纏うキッドも、デブでいじめられっ子で、自分に自信を持てない何とも情けない"ダメ人間"。"ダメ男"と"ダメ子供"が絡むと当然そのダメダメぶりに拍車がかかって"ダメの2乗"みたいな(笑)。
 そんなウィリーがキッドの家に転がり込んで(そういや、キッドのパパは山に行っているって、刑務所じゃん(笑))、キッドとややボケの入ったキッドのおばあちゃんと暮すうちに、彼の心の中に今までとは"違う"気持ちが芽生えてきて、それが後半に繋がっていくという辺りの構成は定番的なもの。そして、彼がキッドに託したあることが最後にしっかりと機能し、更には、ウィリーが"サンタクロース"であったということが物語の大団円に向けての大きな鍵になっているという構成がお見事だ。もっとも、パンフレット中の解説、分析によると、物語の中によく出てきたサンドイッチ(食いて〜!)と、ウィリーとキッドがお互いに用意した血の付いてしまったクリスマスプレゼントがあるものの象徴ではないかとのことだったが、この点については宗教的なバックボーンのない日本人には分かりにくいかもしれない。そうは言うものの、破天荒なキャラで、常識破りの物語になるかと思いきや、最後は大団円のハッピーエンドで締め括り、何ともほのぼのとした気持ちになれるところが、風変わりとはいえ、やっぱり"クリスマス映画"なんだよね(笑)。

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ふたりにクギづけ

 「人生は思ったよりハッピー。君が"ピッタリ"横にいるから。」
 主人公が"結合双生児"、な〜んて設定は、綺麗ごとだけがまかり通っているここ日本では、絶対に製作されることがないだろうし、この作品自体の公開すら危ぶまれたというのはさもありなんという感じだ。で、この作品は、"ハンディキャップも個性"なんていうありきたりの話ではなく、それをもすらカラリと笑い飛ばすギャグ満載の、それでいてそういったことへの偏見をブラック・ユーモアに包み込んで描き、そして何ともハートウォーミングでラストには一種の爽快感すら漂う作品に仕上がっている。このあたりは、ファレリー兄弟の手腕のなせる業なのだろう。
 この"結合双生児"の結合部分をどのように描写するのかと思ったら、そこはこういった特殊技術に関しては一流のハリウッド。ホントに"くっついて"るよ(笑)。のっけからこうやってサラリと観せられると、何の違和感もなく入り込めるよね。この兄弟のボブとウォルト、社交的な性格のウォルトと引っ込み思案のボブという対照的なキャラの妙。ウォルトなんかはすぐにオネェちゃんを口説いてベッドイン。で、SEXはどうするのかと思ったら、あんな感じだし(笑)。オマケにくっついてるからおちおちオナニーもできないって(爆)。かと思えば、彼らが経営するハンバーガー・ショップやアイスホッケー、野球のゲームで見せる絶妙のチームワーク、双生児の割にはウォルトの方が老けて見えやしないかい?という疑問には、肝臓がボブにあるのでウォルトの方が老化が早いという腑に落ちる回答を用意していたり、ふたりを切り離したらウォルトが助からない可能性が50-80%ということにボブが絶対に首を縦に振らなかったり、やっぱりふたりはふたりでひとり、なんともいいコンビだということがよく分かる。
 その一方で、奥手のボブは、メル友メイに自分たちの真実を話す勇気を持てなかったり(あのいつでも一緒のデートが妙に笑える。喧嘩シーンでのふたりのチームワークがこれまた絶妙)、俳優目指してハリウッドに乗り込んで、TVドラマで大成功、だけど分離手術を受けた途端に人気凋落というところに、世間のこういったことに対する偏見をブラックに描いてみたり(テレビなんて、所詮は何でも見世物にしちゃうもんだからね〜)、だけどそれを笑いに包んで描くものだから、全然嫌味にならず、ス〜っと受け止めることが出来るというのが面白い(この辺りは、「メルシィ!人生」 と似たアプローチとも言えるだろう。)。そして、アパートの住人エイプリルの彼らを見て「あら、くっついてるのね。」という、さも当たり前のようなサラリとしたセリフがまた痛快だ(エヴァ・メンデスの天然系のキャラがこれまた好印象)。
 そんなボブとウォルトが紆余曲折の末、一度は"別れる"ことを選択し、分離手術を受けてはみたものの、今まで上手くいっていたことが上手くいかなくなって(ここで原題の"Stuck On You"の持つ意味合いがよく分かるというのが何とも上手い)、お互いを想う気持ちに気付いて結局は元の鞘に収まるのだろうということは用意に想像がつくのだが、一度切り離した身体をどのようにするのかと思ったら、ナルホドね〜、ああやってくっつけるというアイディアがこれまた絶妙。そしてラストは俳優志望のウォルトの夢を叶えるべく、大団円のミュージカル・シーン。あの作品をああいう風にミュージカル仕立てにしてしまうアイディアも含めて拍手を送りたくなる。
 また、この作品の成功は、キャスティングの妙に拠るところも大きいのだろう。ボブ&ウォルトを演じるマット・デイモン&グレッグ・キニアの奥手で生真面目と社交的で女好きという、まさに対照的なキャラでいて、根底でお互いを思いやる優しさとそして深い結びつき、兄弟愛を感じさせる演技、そして、「ここまでやるか!」と言わんばかりに徹底的に自虐的に本人を無表情に演じるシェールの怪演、ノークレジット(だったと思う)ながらも実は重要な役どころであり、あそこまで喜々としてやっている(ように見えた)のがさすがの、これまた本人役のメリル・ストリープなど、みんなが素晴らしい。そして、エンド・クレジットでのハンバーガー屋の店員ロケットを演じたレイ・ロケット・ヴァリエールのスピーチが、これまたサイコー!

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僕の彼女を紹介します

 「愛を信じるあなただけに」
 "超極私的2003年BEST"で最優秀作品賞に輝いた「猟奇的な彼女」 のクァク・ジェヨン監督&チョン・ジヒョンのコンビによる最新作は、個人的には「猟奇的な彼女」 の方が断然完成度が高いし面白いし、何度も観たいと思わせられる作品ではあるけれど、それでも、これまた涙あり、笑いあり、そしてハートがキュンとなる韓国の恋愛映画の典型とも言うべきラブストーリーに仕上がっている。
 誤認逮捕から始まるふたりのラブストーリー。ギョンジンとミョンウ、繁華街の高校生の非行防止の夜間パトロールから、手錠で繋がれて麻薬密売現場の銃撃戦に巻き込まれ(事件の解決後、「こうすれば痛くないよ。」って、手を繋ぐシーンが好き)、お仕置きをした高校生の父親が怒鳴り込んできたときにミョンウが見せる芝居、手錠に繋がれたまま顔を洗い、朝を向かえ(つうか、手錠外してるじゃん!みたいな(笑))、いつの間にか恋に落ちるふたり。その展開が、「あり得ね〜!」と思いつつも、まったく不自然ではなく、自然な流れとして受け入れられてしまうのは、この強引なあり得ない展開でもって観客をストーリーの中に引きずり込んでしまうクァク・ジェヨン監督の手腕の見事さだといっていいのだろう。そして、一緒に食事をし(辛い・・・(爆))、旅行をし、更に愛を育んでいくふたりの運命が急展開、落石事故に巻き込まれ、一度はここでミョンウが死ぬのかと思わせておいて、実は死なない、でも、その後に更なる悲劇が襲うという、二段、三段構えの展開から、またしても大切な人を失い、悲しみにくれるギョンジンと、"風"に託されたミョンウの想いを交差させ、四十九日のエピソードなども交えながらラストまで引っ張っていく常套的ともいえるその構成は、一度ハマってしまえば細かなツッコミなどは問題にならずに間違いなく泣けるだろう(あと、カツラ・ネタや、塀を乗り越えるときの踏み台ネタ、劇中でギョンジンが着ているチェックのシャツなんかも、「猟奇的な彼女」 を思い起こして思わずニヤリ)。
 それと、「猟奇的な彼女」「ラブストーリー」 もそうだったけど、クァク・ジェヨン監督作品では必ず"運命"的な出会い、というものが描かれているようにも思えるが、この作品もその例に漏れず、ラストで示されたその"運命"を示すシーンでは、堪えきれずに涙がポロポロと零れ落ちてきた。でも、この涙は過去の2作品と違い、この作品においてはそれが仮に"運命"であったとしても、ふたりが現世で再び出会うことは叶わないのだと思い至り、幸せな涙ではなく、何ともほろ苦い涙でもあったのだけど。それでも、最後にあらためてミョンウの"想い"が語られ、それと同時に"風"を感じ、そこに込められたミョンウの"想い"を受け止めたギョンジンがきっと前へと進むことを選択したと思わずにはいられないラストシーンには、ほろ苦さとは違う、爽快感を覚えたのもまた事実だ(このシーンで登場する"彼"には爆笑。監督のサービス精神というか、「猟奇的な彼女」 とリンクさせるかの如き手法が心憎い。ここで、正直映画を観る前は「?」であったこの作品のタイトル"僕の彼女を紹介します"の意味が分かったような気がする)。
 それにしても、今回は特にチョン・ジヒョンのプロモーション・ビデオと言ってもいいくらいに彼女の魅力がまさに全開、フルスロットルであたしを惹きつけて止まない。「猟奇的な彼女」 同様、タフでキュートで繊細で、それでいて大切な人を失った哀しみと痛みを心の中に抱えていて、ミョンウと出会ったことで幸せを掴みかけるも、またしても大切な人を失い、そのことに自責の念を抱え(実際はそうではないんだけど)、一層悲しみにくれ、だけど彼の"想い"を感じ、受け止め、前を向いて生きる彼女の姿。やっぱり彼女にはこういった役回りがよく似合う。「4人の食卓」 のようなキャラクターは無理して演じる必要もないのではないか?と、あらためて思ってしまったほどだ。モノローグはミョンウの一人称で語られるのだけど、間違いなくこの作品はチョン・ジヒョンに焦点を当て、彼女の魅力"だけ"を最大限に引き出すことを目的として作られたと言っても過言ではないだろう。というのも、今回の相手役、ミョンウを演じたチャン・ヒョクには正直なところ、さしたる魅力を感じることができなかったから。結局、ミョンウ自身のバックグラウンドが殆ど語られず、彼のことを実体を伴った存在として認識できなかったということが大きい気がする。いわば、単なる語り部、狂言回しに過ぎないみたいな。「猟奇的な彼女」 では、チャ・テヒョンの魅力とチョン・ジヒョンの魅力とが化学反応を起こすかのように絡み合った結果、あのような素晴らしい作品になったと思うだけに、今回のチャン・ヒョクについて、彼の魅力がこの程度ということであれば、やはり、チョン・ジヒョンの魅力"だけ"を最大限に発揮できれば、相手役は別に誰でもどうでもいいということなんじゃないのかな〜と思ったもので。なんてことを言ったら、チャン・ヒョク・ファンに刺されるかしら?(爆)
 とまあ、全体的にはほぼ満足の一本であるのだけど、どうしても、あのクライマックス・シーンで流れたX-JAPANの"Tears"だけは許せない。この曲が流れてきた瞬間、一瞬のうちに三流のメロドラマになってしまったかのような錯覚を覚え、一気に興醒め、雰囲気ぶち壊しになってしまった。もっとも、最後には盛り返してキッチリと着地を決めてくれたから傷は大きくはならなかったけど、それでも映画と音楽とは密接不可分の関係にある、映画における音楽の効用は大きなものがあると思うあたしのような人間にとっては、どうしても我慢ならない納得のいかない選曲で、そこが残念でならない。

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マイ・ボディガード

 「信じてる。何があっても、あなたが私を守ってくれる。」
 原題は「MAN ON FIRE」="燃える男"。"燃える男"といえば小林旭(=赤いトラクター)でしょ。な〜んて与太は置いといて(笑)、元々は秋に公開の予定がどういうわけかクリスマス映画に、で、観ようかどうしようか迷っていたものの、監督がトニー・スコット、脚本がブライアン・ヘルゲランド、そしてクリストファー・ウォーケンが出演すると知るに及んで、ウォーケン様観たさに観ることを即決(笑)。え、デンゼル・ワシントンとダコタ・ファニングはどうでもいいのって?いや〜、その辺は深くツッコまなないでくださいませ(汗)。でもさ〜、なんか宣伝では「レオン」 が引き合いに出されているみたいだけど、全然違うし、観終わってみたら、この邦題にも「?」って感じで(だって、"ボディガード"っぽい活動をしているのって前半部分だけなんだもん)、どうも宣伝の仕方に問題があるような気がするな。原題ママの「マン・オン・ファイア」がダメなら、いっそのこと「燃える男」でいいじゃんね。で、プロモーションには小林旭を起用するってことで(爆)。
 う〜ん、前置きが長くなってしまったけど、この作品は、前半と後半とがまったく色合いの違う作品だというのが第一印象。前半部では、16年間米軍の"対テロ活動"という名の暗殺活動に明け暮れた結果、身も心もボロボロになって酒に溺れるクリーシーと、彼の元の仲間レイバーンの取り計らいで彼がボディガードとして雇われることになったピタとの交流を通じて、彼女の中に救いを見つけ、人間らしさを取り戻していく様が描かれ、後半はその和やかな雰囲気が一転、"ビジネス"としての誘拐が頻発しているメキシコシティらしく、ピタが誘拐され、彼女を失ったクリーシーが、ピタに手をかけたことを後悔させてやるとばかりに復讐の鬼と化し、誘拐組織を壊滅させるべく、ひとりで組織に立ち向かい、ハリウッド映画らしいアクションとドンパチが繰り広げられ、そして、この誘拐劇に隠された真相が明らかになるというもの。更にはその真相を踏まえたクリーシーの哀しい選択が描かれる。
 全体のバランスからいうと、前半部分はいわば導入に過ぎず、この作品の肝は後半部分の復讐に燃えるクリーシーの姿ということになるのかなという気がする。何故なら、クリーシーを一目見たときから自分と同類であることを見抜き、彼に邪険にされても決して離れないピタに、クリーシー自身の心も癒されていくという過程が、結構淡白というか、しっかりと描き込まれているようには思えず(特にクリーシーの内面の変化。あるタイミングから、ピタに心を許すようになったけど、それが何故なのか、今イチ伝わってこなかったように思える)、こんなんで荒みきった大人の男の心が癒されるもんかいな?な〜んて思ってしまったものだから。一方、後半部分の展開は、"燃える男"全開で、さすがは元暗殺者、ここまで徹底してやってくれると暴力描写なども気にならずにかえってスッキリ、そして、誘拐組織に肉薄していく様子なども緊張感溢れる展開でグイグイと描かれ、しかもその"ここまでやるか!"という復讐劇を通じて、クリーシーにとって、どれほどピタの存在が大きなものだったのか、彼らの強い絆を鮮明に感じられるという仕組み。この辺は、やはり脚本を担当したブライアン・ヘルゲランドの上手さだろうか。2時間15分の長尺を、長いと感じさせずに一気に観せてくれる。もっとも、この誘拐劇の真相については、勘のいい人なら途中で気付いたであろうが。とはいえ、この作品はその真相がメインなのではなく、あくまでもクリーシーの復讐劇がメインであると考えれば、そういったこともあまり気にはならないと思う(ネタバレ→それに、ダコタ・ファニングがピタを演じている以上、彼女が殺されるということはハリウッド映画である以上考えられない。←ここまで)。
 というわけで主演のふたり。クリーシーを演じるデンゼル・ワシントン。最初のいかにも荒んだ感じ、ピタとの交流で見せる笑顔、そして復讐に燃える冷酷な部分、ラストの自らの命を投げ出さんとする姿(彼にとっては、復讐とはいえ、人を殺めたことに対する報いを受け止めるという意味でも、この結末は必然なのかなという気がする)、黙して多くを語らず、重厚なイメージを醸し出しているところが名優と言われる所以なのだと思う。また、ピタを演じるダコタ・ファニング。忙しい両親にかまってもらえない寂しさ、クリーシーに全幅の信頼を寄せるその仕草や表情など、彼女のそれこそ非の打ち所のないというか、一分の隙もない、それこそ完璧なまでの演技には、子役で既にここまで完成されてしまっていて、将来大丈夫なのかな?などと逆に心配になってしまったりして(苦笑)。
 それで、だ。今回あたしがもっとも楽しみにしていたウォーケン様。う〜、期待の仕方を間違っていた。今回彼がどのような役柄を演じるのか、まったく事前の情報を仕入れていなかったものだから、当然誘拐組織の側の人間、クリーシーと対決する、いわば悪役だとばっかり思っていて、オープニングでクリーシーと握手なんぞを交わした日にゃ、「え〜〜〜〜〜〜!どういうこと?」と、一瞬のうちに頭の中はパニック状態(笑)。それでも、「きっと、この後仲違いというか、裏切り行為があって、間違いなくクリーシーに殺られるに違いない。だって、ウォーケン様だもん。」などと、意味不明のことを思い続けていた。どうやら、あたしはどうしてもウォーケン様を悪役に仕立て上げたいらしい(爆)。ところが、最後の最後まで"いい人"だなんて、「トゥルー・ロマンス」 のようなウォーケン様の姿を期待していたあたしの立場ないじゃん。いや、確かにかつての盟友として、クリーシーのことを温かく見守り、陰ながらサポートするその姿、連邦捜査局のマンサーノに語るクリーシーにとってピタの存在がいかに大きなものだったのかというその言葉など、ウォーケン様の雰囲気、存在感は出ていたと思うけど、"違う"役柄を期待していただけに、ズッコケ(古ぅ)。モチロン、彼のここ最近の幅広い役柄を考えれば、こういう役柄もありだということは分かるんだけどね。やっぱり、映画を観るに当たって、最低限の情報は仕入れておいた方がいいということを痛感した。

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