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まとめてポン!2005年2月編

君に読む物語
ステップフォード・ワイフ

セルラー
大統領の理髪師
ダブリン上等!
復讐者に憐れみを
マシニスト











君に読む物語

 「想い出が少しずつ、きみからこぼれてゆく。だから、きみが思い出すまで、ぼくは読む―。」
 全米で予想外のスマッシュ・ヒットを記録し、原作本もアメリカでベストセラーを記録したというこの作品、宣伝でも"純愛"、"泣き"が前面に押し出されていて、泣ける映画は好きだけど、う〜ん、微妙だなと思ったものの、ジーナ・ローランズとライアン・ゴズリングが出演しているという点に魅力を感じで鑑賞した。
 療養施設に入所している痴呆症の老婦人。若かりし頃の記憶だけでなく、現在の記憶も定かでない、そんな彼女の元を毎日のように訪れてある"物語"を読み聞かせる老紳士。その物語を読み聞かせることで彼女の記憶が取り戻せると信じながら。ストーリーは、そんな彼らの関係と、彼が読む物語、1940年のアメリカで、キラキラと煌くような恋愛を送った若い男女、ノアとアリーの関係が交互に描かれていく。このノアとアリーの物語は、身分違いの恋、別れ、戦争に送り出されて身も心もボロボロになるノア、アリーの新しい恋、そしてふたりの再会。そこから再び燃え上がる恋愛感情。それに加えてアリーのノアとの恋愛を猛反対するアリーの母親の隠された過去の恋愛が挿入的に語られ、彼女の真の想いも明らかになる。一方、現在の老紳士と老婦人の物語は、ひたすら老婦人の心の再生を信じる老紳士の献身ぶりが抑えた描写で描かれる。共に愛する人を一途に想い続けるその気持ち、これがまさに王道的な語り口で語られる。
 しかし、このふたつの物語は、特段目新しいものではなく、定番的なメロドラマのようなもの。また、老紳士と老婦人の関係も、まったく意外性もなく、物語の序盤で想像はつくし、中盤で明らかにもなる。どうやら作り手も、あえてこの辺を隠そうとは思っていないようで、むしろ、物語の肝はこのふたりの関係が明らかになる後半部分からなのではないだろうか。つまり、回想形式で語られるノアとアリーの物語が中心なのではなく、あくまでもこの作品の中心となるのは老紳士と老婦人の物語であるのだ。実際、ここから"泣きモード"に突入して行ったように思えるし、実際に場内啜り泣きが聞こえてきたようにも思える。何故、老紳士がひたすらこの物語を読み聞かせるのか、確率は低いけれど、起こりうる奇跡をひたすら信じる彼の気持ち、一時は正気を取り戻し、その思い出にひたる老婦人、しかし、それも長くは続かず、また元の状態に戻ってしまう哀しさ。そしてラストに明らかになるこの物語の書き手とふたりが迎える最期。この状態でふたりが天に召されるというのは、ふたりが望んだことなのか、だとすると、ふたりにとってこれは幸せなことなのだろう。
 きっと、普通だったらここで号泣モードに入ってもおかしくないし、作品自体、兎にも角にも非常にそつのない、堅実な構成は、2時間退屈せずに安心して観ることができる類のものだと思う。老婦人を演じるジーナ・ローランズの、ハッと正気を取り戻したときの表情とまた元の状態に戻ったときの表情の使い分けも素晴らしいし、老紳士を演じるジェームズ・ガーナーの、彼女のことを一途に思う献身的な愛情をささげる抑制の効いた演技もお見事だ。
 しかし、あたしにはこのそつのなさとあまりにも小奇麗にまとまりすぎている無味無臭のクセのなさがかえって仇になり、まるっきり誰にも感情移入することなく冷めた目で観てしまい、感動などという言葉とは程遠く、涙の一滴もこぼれないどころか、まったくウルウルすることもなく終わってしまった。観終わっても、何の感慨も湧かなかったもんね。客観的に見て作品の質自体は低くないとは思うけど、やっぱりこういう万人受けするような作品は、あたしの体質には合わないんだろうな〜。あと、婚約指輪をしたままノアと行為に及ぶアリーの気持ちがあたしには理解できないし、ロンの気持ちを結局は踏みにじる格好になってしまうアリーの選択にも、これを"純愛"とは呼びたくないぞ、と。

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ステップフォード・ワイフ

 「ステップフォードの妻たちには、秘密がある。」
 男の立場から言って、もし自分の妻が気持ち悪いくらいに何でも自分に服従して、常に夫を立ててくれるような人間だったら。そして、生活する街がフレンドリーな住人に囲まれ、犯罪もない、それこそ理想郷のような街だったら・・・。な〜んてことを考えてる人は、とりあへずこの作品を観てその雰囲気に浸り、そして今一度考えてみるのも悪くないかも(謎笑)。
 オリジナルは1975年に制作されたそうだが、未見なのでそれとの比較もできないし、原作本も残念ながら未読であるため、それとの比較もできない。しかし、オープニングでニコール・キッドマン演じるジョアンナが、TV制作の仕事をクビになり、ステップフォードの街に引っ越す切っ掛けを作るマイク・ホワイトの登場でいきなり掴みはOK。彼にはああいう"弱キャラ"が似合うかも(笑)。そんなこんなでジョアンナと夫のウォルターが引っ越してきたステップフォードの街、60年代を彷彿させる街並みとファッション、いつもにこやかな笑みを振り撒く夫人たちとメンズ・ソサエティなる団体でいつもなんかやってる夫たち。なんかいかにも作り物めいたその雰囲気にあたしもいかがわしさと違和感を感じたんだけど、その秘密を暴こうと躍起になるジョアンナとボビー、ロジャーの前に立ちはだかる"ステップフォードの壁"。そこに隠された秘密にミイラ取りがミイラに・・・。その顛末がコミカルに、そしてサスペンス・タッチでテンポよく描かれる。
 結局は(ネタバレ)→マイクが夫人たちの頭に埋め込んだマイクロチップで女性たちを操作していたのだけど、実はマイクもクレアが作ったロボット。失った夫と、クレア自らが理想とする夫婦生活を取り戻そうとして仕組んだこと。男が自分たちよりも優れた才能を持つ妻たちを支配下に置き、自らの理想郷を作り出そうとしていたはずが、実はそれは女が作り出した理想郷だったという皮肉。←(ここまで)なんともブラックな気がしなくもないが、前述したように、コミカルなタッチで描かれていくので、あまりヘヴィな印象は受けず、軽い感じで楽しめた。
 また、豪華俳優陣もそれぞれの個性を十分に発揮していて存在感バッチリ。ジョアンナを演じるニコール・キッドマンの"ステップフォード化"した後のゴージャスさをはじめとして、実はロボットでした、のマイクを演じるクリストファー・ウォーケン(ああいう役回りをやらせたら絶品。最後に彼の首がゴロリというのが妙に可笑しい)、サイコな感じがものの見事にハマっているクレアを演じるグレン・クローズ、最初のデレ〜ンとしただらしなさ(彼女が着ていたDEEP PURPLEのTシャツ(しかもあのロゴは第5期と見た)に思わずニヤリ)と"ステップフォード化"したときのしゃんとした煌びやかさの変幻自在ぶりがお見事のボビーを演じるベット・ミドラーなど、ニコールの脇を固めるベテラン俳優たちにも拍手。でもさ〜、男なんて、所詮は女の手のひらの上で転がされているくらいがちょうどいいと思うんだけどね(苦笑)。

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セルラー

 「見知らぬ部屋。見知らぬ男たち。最後の望みは、電話の向こうの見知らぬ人。」
 現代社会にケータイって、もうなくてはならないツールになっていると思うのだけど、この作品は、そのケータイを上手い具合に小道具として機能させた、見応えのあるサスペンス映画に仕上がっていると思う。
 ある日突然自宅に乱入してきた男たちに理由も分からずに誘拐され、監禁されたジェシカ。部屋にある電話も叩き壊されたものの、配線を何とか繋いでようやく繋がった先はお気楽な若者ライアンのケータイ。必死に助けを求める見ず知らずのジェシカの様子に尋常ではないものを察したライアンが、ジェシカの窮地を救おうと奔走する様。そこから次々と明らかになる事件の真相まで、一気に雪崩れ込むようなノンストップのハラハラドキドキ感がたまらない、なんとも秀逸な脚本をまずは賞賛したい。
確かにジェシカの誘拐の切っ掛けとなった出来事、事件の真相などのネタは決して目新しいものではないし、どちらかといえば手垢のついたものだとは思う。しかし、この作品は、そういった使い古されたネタであっても、現代のツールであるケータイを通じて偶然事件に巻き込まれたお互い知らない者同士の、ケータイが切れたらジ・エンドというハラハラ感を楽しむ(?)作品だと思うので、そういった細かいことはまったくといっていいほど気にならず、逆にケータイを小道具として、よくもまあこういった使い古されたネタをここまで面白い作品に仕上げたな〜という感の方が強い。
 ケータイでの通話だから、ケータイをそのまま警察署に持っていって警察官と会話することも可能だし、その一方で、捜査課のある4階では電波が悪くてケータイを持っていけなかったり、電池切れになりそうな危機感あり(ケータイ・ショップに押し入って、しっかり金を払って充電器を購入するとこなんてサイコー)、取引場所のビーチで、「取引相手はケータイを持っている奴だ。」な〜んて敵役が指示しても、みんながみんなケータイを手に会話してるシーンなんかもクスリとさせられるし、クライマックスの格闘シーンでも、やっぱりケータイはマナーモードにしておかなきゃダメだよな〜、なんて思ったり(笑)、ラストでビデオテープを破壊されて、どうなることかと思ったら、ナルホド、ああいう機能でしっかりカバーしていたのね、とか、エンドクレジットに至るまでケータイが上手い具合に小道具として機能している見せ方がとても上手いと思う。
 それから、前述したケータイ・ショップやビーチのシーンとか、リッキー・マーティン・ネタ、奪った車をレッカー移動先でもう一度パクるとか、警察署でライアンの話を聞いて、なにやらきな臭いものを感じて独自に捜査を進めるムーニーの顔のパックのシーンと彼が撃たれた後の「皮膚が壊疽を起こしているみたいだぞ。」っていうシーンとのリンクなどの小ネタでクスリとさせられるシーンが盛り込まれているのもいい感じだ。
 そして、ジェシカを演じるキム・ベイシンガーは、監禁先で、彼女の身にどのようなことが起こるのかあえて知らずに撮影に臨んだらしく、その恐怖感の表現はまさに"迫真の演技"という表現がピッタリだし(彼女が生物の教師であるという設定も、あるシーンの見事な伏線になっているんだよね〜)、もしかしたら初のストレートな悪役かもしれないジェイソン・ステイサムのタフネスぶりも貫禄十分。さらには、今まではトホホな役回りが多いというイメージを抱いていたムーニーを演じるウィリアム・H・メイシーが、ここまで大活躍の渋い役どころを演じていたという点、実はこれが一番の収穫であったかもしれない(笑)、まさに拾いモノの1本でした。これが2週間の期間限定公開だなんて勿体無さ過ぎるぞ!
 でもさ〜、繋がった電話の向こうで「誘拐されたの。助けて!」って言っても、そして、仮にそれが真に迫ったものであったしても、いわゆる"振り込め詐欺"が社会問題化している今の日本では、信用してもらえなくて成り立たないような題材だよな〜などと、思わずスクリーンに向かって突っ込んでみたりして(笑)。

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大統領の理髪師

 「ぼくのお父さんは床屋さん。でも、どこにでもいるただの床屋じゃないよ。」
 2004年の東京国際映画祭において、最優秀監督賞及び観客賞を受賞したこの作品、1960年代の圧政下の韓国において時代の波に翻弄される市井の人々の姿という、それまであまり語られることのなかった題材を、当時の社会情勢を挟み込みながら彼らに対するとても温かな視線でもって、"家族の絆"というテーマで笑いと涙を交えて描く素晴らしい作品だ。これが初監督作品だとは思えないイム・チャンサン監督の見事な手腕にまずは拍手を送りたい。
 この物語の主役となるのが韓国大統領官邸のある町孝子洞に住む床屋のハンモ。ホントにどこにでもいる小市民で、日々の生活に追われ、時の政府を信じて疑わない。だから不正選挙(あの投票所でのやり取りに思わずクスリとしてしまう)に加担しても、それを特別に悪いことだとは思わないし(開票時(あの風景は日本の選挙でもおなじみ。どこの国でも同じようなものなのかな)に対立候補の投票用紙を袋詰めにして山中に埋めてしまうなんて、なんかありえる話だよなー)、妻ミンジャの妊娠時に政府の"四捨五入"原則を当てはめて出産を説き伏せてみたりする。
 そんな彼が不正選挙後に起こった学生運動(あのとき産気づいたミンジャを病院に連れて行こうとリヤカーに乗せて走る中、負傷した学生たちに医者と間違われて右往左往する姿がなんとも滑稽だ)を切っ掛けとした"4・19革命"、そしてそれに続く"5・16軍事クーデター"を経て成立した新しい大統領政府において大統領の理髪師として登用され(そこでは"ソン室長"としっかり役職名まで付けられて呼ばれるというのが韓国流なのだろうか)、そこから大統領官邸での小さなミスも許されないのではないかという緊張感溢れる日々、そして側近同士の確執に巻き込まれたりもするという日常を送ることになる。そのハンモの姿もまたユーモラスだ。
 さらには、北朝鮮のゲリラ兵の韓国への侵入(このシーンは「シルミド」 を思い出した。ちょうど時代的には同じ頃なんだね)をきっかけとした"マルクス病"の流行と、たまたまハンモのひとり息子のナガンが"マルクス病"の症状といわれる下痢を発症してしまい、ナガンが連行されて拷問(というか、このシーンがまた可笑しいんだな)にかけられ、連行されたナガンの身を案じるハンモの姿、大統領側近の確執のおかげで無事に解放されたものの、足が動かなくなったナガンを何とか治そうと奔走するハンモの姿、ここにはひたすら家族のことを思い、行動する等身大の父親としての姿がしっかりと描かれている。
 そして、前述した大統領側近に確執によって発生した大統領暗殺事件(事件の前に大統領がハンモに語る「ソン室長はいつまでも謙虚で変わらない。」という意味合いの言葉が非常に印象的であると同時に、ハンモ本人は素なんだろうけど、その姿が反目を繰り返すふたりの側近と対照的な気がする)、悲しみにくれながら、以前ナガンの足を治してもらおうと訪れた施術師のところで聞いた言葉を頼りに、その大統領の肖像画を削り取るハンモの姿。今まで世話になった大統領の肖像画に傷をつけるという罪悪感とナガンのことを一途に思うその気持ち、彼の心中を察するに、なんとも切ない気持ちがこみ上げてくる(とはいえ、危うく見つかりそうになって、慌ててその削り取ったものをケースに入れて飲み込み、それを排泄しようと踏ん張る姿がまた可笑しいんだけど)。
 そうした紆余曲折を経ながら新しい大統領の下でも理髪師として招かれるハンモであるが、彼が新しい大統領の頭を眺めながら思わず漏らしてしまったセリフ(これは絶対に本音だ)に思わず拍手(笑)。なんて言うんだろ、初めてお上に楯突いた彼の心意気が感じられると言ったら大袈裟だろうか。ボコボコにされて簀巻きにされようが、なんか彼が仕えていた大統領への想いも同時に感じられたような気がしたんだよね。そして、ナガンとふたりで自転車にまたがるラストシーン。今までは笑いが先に立っていたのに、ここにきてどういうわけか悲しくもないのに涙がドッと溢れてきた。
 それにしても、ハンモを演じるソン・ガンホの圧倒的な存在感はどうだ。ノンポリの、どこにでもいる小市民なんだけど、大統領の理髪師として登用され、様々な物事を見聞きし、彼の中でも何かが変わったかのようなイメージ、それと同時に家族のことを一途に想い、必死に守ろうとするその気持ちの強さ、まさに彼にうってつけの役柄だと思う。そして彼の妻ミンジャを演じるムン・ソリも、出番は決して多くはないものの、肝っ玉母さんぶりが非常に好印象だ。優れた俳優と優れた監督、優れた脚本に彩られた見事な傑作。イム・チャンサン監督の次回作が非常に楽しみだ。惜しむらくは、この時代の韓国の歴史をもっと知っていたら、より一層楽しめたのだろうな〜ということ。モチロン、そういった知識がなくともお釣りがくるくらい十二分に楽しめたのだけど。

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ダブリン上等!

 「まわり道を全力疾走!」
 "「アモーレス・ペロス」 よりエキサイティング、「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」 より熱く"、な〜んてキャッチ・コピーを見たら、そりゃ期待しちゃうでしょ、お客さん(謎)。てなわけで、やっぱこういう作品はイギリス(アイルランド)に限るよな〜、アメリカが舞台じゃこの雰囲気は出せないでしょ、という雰囲気そのものを楽しむという点では大いに満足感を得ることができた。キャストもコリン・ファレル以外にも「28日後...」 のキリアン・マーフィや、「家族のかたち」 のシャーリー・ヘンダーソン、「ネバーランド」 のケリー・マクドナルド(彼女、思い切りタイプなんですけど(笑))など、ある意味豪華なメンツを楽しめる。
 コリン・ファレル演じるチンピラ、レイフが女性店員の顔面にパンチを食らわすオープニングから「これは、なんかあるぞ!」という期待感バッチリ。レイフの他、デイドラの気持ちを試すために別れ話を切り出し、ホントに破局してしまうジョン、イクことができなくなってるモテないオスカー、バスの横転事故を起こし、クビになる運転手ミック、男性不信に陥り(胸の上にウ○コって・・・)自分の殻に閉じこもるデイドラの妹サリー、ジョンと別れて中年の銀行支店長とすぐにくっついてしまうデイドラ、支店長の妻、レイフを執拗に追い掛け回す刑事ジェリー、これらの登場人物それぞれのエピソードが交互に語られ、そしてみんながみんな煮詰まったところでレイフ、ミック、ジョンが仕組んだ銀行強盗を切っ掛けとして、一気に終結へと雪崩れ込んでいく様は、確かに「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」 を思い起こさせる部分もある。しかも、レイフたちなんて見事なほどに小悪党だし、他のキャラクターも一癖も二癖もあるというよりも人生の底辺を行っていて、そこから這い出そうともがいているような、そんな連中が多い。ああ〜、この辺がイギリス(アイルランド)的なんだよな〜と、思わずニヤリとさせられる。しかも、ミックの解雇の切っ掛けを作った投石小僧が最後の最後でまた・・・という点など、「こうでなくっちゃ!」と思わずにはいられない。
 ただ、複数のエピソードが絡み合いながら収斂していくという手法は大好きなだけに楽しめたのは間違いないものの、引き合いに出されている2作品と比べるとどうかということになると、「アモーレス・ペロス」 の方がディープでヘヴィだし、疾走感という点では「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」 には敵わない。なんかね〜、すごくライトで、もっと突き抜けた勢いとキレが欲しいような、そんな感じ。そういったものが感じられればもっとパンチの効いた作品になったと思うので、惜しいんだよね〜。
 ちなみに、この作品の主演はコリン・ファレルという扱いになっているけど、この作品の原題が"interMission"、そして、エンディングでミックがジョンに語る「Intermission is over.」というセリフにもあるように、結局この物語はジョンとデイドラの関係修復までの"休憩時間"だったということで、主演はジョンを演じたキリアン・マーフィだと思うんだけどいかがでしょうか?それと、"ブラウンソース・ティー"って、ホントに美味いのか?一度試してみたいぞ(笑)。

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復讐者に憐れみを

 「その衝撃に言葉を失う―」
 2002年の東京国際映画祭で上映されたものの、その内容のせいか、結局お蔵入りになったかと思われたが、ようやく日の目を見ることになった、「オールド・ボーイ」 を間に挟み、現在撮影中の最新作と合わせてパク・チャヌク監督が描く"復讐三部作"の第一部とされるこの作品、確かに暗澹たる気持ちになるその重苦しさ、痛み、哀しみ、苦しみ、そして衝撃と、ラストの目を覆うばかりの救いようのなさ、後味の悪さは「オールド・ボーイ」 を凌ぐかもしれない。しかし、とことんまで堕ちていく人間の性を描いた、そこに秘められたとんでもないパワーに脳天をぶち抜かれたような気持ちになり、その感覚は決して嫌いではないというか、むしろ好きだ。もっとも、かなりエグイ残酷描写も含めて、これはかなり好き嫌いが分かれると思うし、間違いなく万人受けしない、観る者を選ぶ作品だと思う。
 話すことも聞くこともできない障害を持つリュ、長い間重い腎臓病を患い、腎臓移植を受けなければ危険な彼の姉のために、臓器密売組織を訪れた彼は、結局全財産を巻き上げられ、その上自身の腎臓まで奪われてしまい、なおかつ働いていた工場までリストラのあおりを受けてクビになってしまう。そんな彼に恋人のヨンミが持ちかける誘拐計画。苦労人の社長社長ドンジンの愛娘ユサンを誘拐し、身代金を奪おうという計画。しかし、誘拐したはいいけれど、彼女を誘拐したことを知ったリュの姉は自殺し、挙句の果てに不慮の事故でユサンを死なせてしまい(溺死したユサンの死に顔の半分を横から湖に浸かった形で映し出すカメラワークが新鮮だ)、そこから始まるドンジンとリュのまさに血で血を洗う復讐劇。
 そこにあるのは憎しみからは憎しみしか生まれないという、憎しみと、そして終わりなき復讐の連鎖。ドンジンはリュとヨンミを追い詰め(ラストシーンで映し出される小分けにしたゴミ袋に背筋が凍り、電気ショックで失禁してしまうヨンミの姿に震えてしまう)、リュは臓器密売組織を見つけ出し(金属バット片手に組織に乗り込むシーンでは、「オールド・ボーイ」 の格闘シーンに繋がる一端を垣間見たような気がした。そして、ここで描かれる徹底的に血生臭い暴力描写には、妙な言い方かもしれないが、カタルシスさえ覚えてしまう)、そして最後はドンジンも、ヨンミが所属していた"革命的無政府主義者同盟"の手に落ちる(ここで最初のシーンでヨンミがプリントアウトした"死刑"の文字がリンクするのだ!)。最後には何も残らないという救いようのなさに言葉が出ない。しかし、どうせやるなら中途半端な結末ではなく、ここまで徹底してやってくれた方が、語弊があるかもしれないけれどかえって気持ちがいい。人間は、憎しみの感情が極限に達したとき、ここまで冷酷になれるものなのか。それが人間の本質なのか。そしてその憎しみの気持ちは最後には自分に返ってきて、結局はすべてを破壊し尽くし、何も残らないのだろうか。そういった意味では、とことんまで人間の心の闇の部分を徹底的に抉り出した作品であると言えるだろう。
 それにしても、10キロを超える減量をして、愛娘を失った哀しみから復讐の鬼に転化するドンジンを演じるソン・ガンホの、今までの彼のイメージとは打って変わったシャープで冷酷な表情と胸の内に抱えたどうしようもない哀しみの感情表現は、相変わらず貫禄と、そして存在感十分だし、話すことも聞くこともできないという難しい役柄を、表情と目の動きで演じきったリュを演じるシン・ハギュンの演技力も特筆すべきだと思う。そして、これまた従来のイメージとはガラリと変わった革命主義者のヨンミを演じるペ・ドゥナの違った一面(そして、彼女のファンにはたまらないであろうベッドシーンもあり(笑))も、新たな発見ということでお得感十分だ。でも、何度でも言うけど、決して万人受けしない観る人を選ぶ後味の悪い作品だから、その点を心して観るべきだろうな〜(苦笑)。

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マシニスト

 「すでに1年間365日眠っていない。」
 ブラッド・アンダーソン監督といえば、前作「セッション9」 でも背筋がゾクリとするような心理サスペンスを撮っていたが、今回も、平凡な機械工が不眠症に陥り、その原因を探っていくうちに不可思議な事件に巻き込まれ、最後に辿り着く結末までの顛末を、緊張感溢れる語り口で描いていると言っていいだろう。
 オープニングでトレバーが誰かの死体をカーペットでグルグル巻きにして街外れの場所に放り投げる、しかし、そこで彼が示す驚愕の表情、"Who Are You"という言葉から、時間軸が過去に巻き戻され、不眠症で悩むトレバーが巻き込まれる事件が描かれ、終盤でオープニングのシーンにリンクした後、そこからまた時間が未来へと流れ、そして結末が示される。
 この描き方が、同僚たちが誰も認めようとしない"アイバン"なる新入りの同僚の存在、そして冷蔵庫に貼られた不気味なメモ、何度となく描かれる分かれ道、赤いスポーツカーなどの小道具と、この事件を誰かの陰謀だと疑い、徐々にパニック状態に陥り正気を失っていくトレバーを演じるクリスチャン・ベイルの痩せこけた表情と相俟って、 最後まで緊張感を保ったまま進んでいく構成力は上手いと思う。
 もっとも、この事件の真相という点で言うと、(ネタバレ)→赤いスポーツカーの持ち主がトレバーだった、ということが判明したところで「?」となったのだが、ルート66で少年を轢き逃げしたトレバーが、その良心の呵責に耐えかね、自身の記憶を封印したまま不眠症に陥り、現実と幻覚の狭間で苦しんでいるというもの。すなわち、"アイバン"なる人物はトレバー自身が作り出した幻想(マリアやマリアの息子もそう。トレバーはマリアの息子を轢き逃げしたということ)。自らの罪を受け入れ、自首することでしかアイバンからは解放されない、←(ここまで)という、決して目新しいものではないというのもまた事実。とはいえ、常々公言しているとおり、使い古されたネタであっても、着地さえしっかりと決めてくれれば別に問題があるとは思わないあたしのような人間にとっては、目新しくないオチだったからどうだとか言うつもりはないし、「なるほど、そうきたのね。」という感じで満足感を得られたというのが実際のところだ(正直なところ、自業自得じゃん、という気もしなくはないが(苦笑))。ただ、あの結末で、トレバーはようやく眠りにつくことができるんだろうな〜と、些かホッとしたりして(笑)。
 ところで、公開前から話題になっていたクリスチャン・ベイルの激痩せぶり。一説によると身体の1/3に当たる約30キロの減量をしてこの役に挑んだらしいが、1/3が約30キロというと、大体撮影時の体重が60キロ弱位か(ストーリー上は55キロ弱まで減っていたみたいだけど)。そんなに一気に減量したら普通ヤバイでしょ。彼の身長がどれ位あるのか知らないが、確かにもの凄い不健康極まりない痩せ細り具合は、役者根性と言えるのだろうけど、あたし自身があそこまでガリガリではないけれど、180cmの60キロという、ハンドル・ネームからも分かるようにかなりの細身の体型なだけに、世間の皆様が言うほどインパクトは感じなかった、などと言ったらやっぱり怒られるかな(笑)。

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