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おばあちゃんの家

 「いつだって山の向こうで待ってるよ。」
 その夏、少年サンウは、おばあちゃんとふたりで暮らした。慣れない山の生活にわがままし放題のサンウだが、決して叱らないおばあちゃんに少しずつ心を開いていく・・・。
 いやもう、こういう作品に弱いんだよね〜。たまらなくノスタルジックな気持ちになり、悲しくもないのに涙が溢れてくる素晴らしい作品だ。あたしの場合、母方の祖母はあたしが生まれる前に亡くなっているから、思い出すのは3年前に亡くなった父方の祖母のこと。
 ちょうどあたしが小学6年生のとき、広島に住む祖母をうちの実家(仙台)に呼び寄せて一緒に暮らすことになったんだけど、仙台の気候が合わなかったり、その他諸々のことが重なって、結局1年ほどで広島に戻ることになった祖母。幼い頃から祖母と暮らすという経験をしていなかった当時のあたしは祖母とどう接していいか分からずに、結局1年が過ぎてしまった。その後あたしが大学入学と同時に家を出て、社会人になる頃に年齢的なこともあって、祖母は完全に実家で同居することになったわけだけど、その頃は年に1回実家に帰るかどうかという生活がパターンとなっていた。だから、一緒に過ごす時間というのはさほど長くはなかったんだ。モチロン、小学生のときと比べれば間違いなく成長しているから(笑)、どう接すればいいのかというのは分かっていたつもりだったけど。
 だけど、3年前に祖母が亡くなり、実家に戻って彼女の亡骸と対面したとき、溢れ出る涙とともに沸き上がってきたのは後悔の念。そう、どうしてもっともっと優しくしてあげなかったんだろうかという後悔の念。正直小学生のときの同居時代、今から考えると邪険な態度をとっていたんじゃないかと、そんな思いが胸の中にず〜っと澱のように溜まっていたんだ。だから、社会人になってからもその気持ちが尾を引いて、なんとか一生懸命優しく接しようと努力していたんじゃないかと思うんだ。だけど、それって全然自然じゃないよね。家族なのに接するのに一生懸命努力するなんて。そんな罪悪感のような気持ちが一気に噴出してきて、もうどうしようもなかった。
 そんな気持ちがこの作品の中のわがままし放題のサンウ(目上の人間を敬うという儒教国家の韓国でこういうことって許されるのか!?)の姿と重なり(彼の持ち物がゲームにコーラにSPAMだというのが、いかにも現代の子供だという感じで笑える)、グイグイと物語の世界に引き込まれる。そしてサンウのわがままに嫌な顔ひとつしないで何とか応えてあげようと奮闘するおばあちゃん。サンウが「ケンタッキー・チキンが食べたい!」と言えば鶏を買ってきて一生懸命締めて煮て出してあげたり(全然ケンタッキーじゃないけど)、電池の切れたゲームを風呂敷で包むときに、さり気なく電池を買うお金を一緒に包んであげたり、何気ない日常のひとコマなのに、そんなおばあちゃんの優しさ、無償の愛がどんどん胸に染みてくる。
 そして、サンウにもおばあちゃんの気持ちは徐々に伝わってきてるんだよね。おばあちゃんのために一生懸命ご飯を作ってあげたり、夕立の中の洗濯物のエピソードとか、街に出てようやく電池の切れたゲームに合う電池を売っている店を見つけたけど買わずに我慢したりなど、この短い滞在期間を通じてしっかり成長していくサンウ。これまた微笑ましい。
 こうして徐々に心が通じ合っていくふたりだけど、あくまでも夏の間の一時的な滞在。やっぱり別れは来るもので、この別れのシーンがまた涙を誘うんだわ。いつもおばあちゃんが胸に手をやる仕草、読み書きも出来なく、言葉も出ないおばあちゃんの色々な気持ちを伝えるこの仕草、バスの中からサンウがこの仕草をすることで完全にふたりの心は通じたんだと確信して、涙なくしては観られない。
 それにしても、おばあちゃん役のキム・ウルブンは映画出演どころか映画自体を観たことすらないというんだからスゴイ。ってことは、ほとんどが演技というよりも"素"だったりするのかな?そんな彼女、自分の出演作は観たのでしょうか?(笑)

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