まぼろし

 「あなたは万物となってわたしに満ちる」
 マリーとジャンは幸せに連れ添って25年になる夫婦。今年も毎年のようにフランス南西部のランド地方にバカンスに出かける。しかし、マリーが浜辺で眠っている間に海に入ったジャンは、手がかりひとつ残さず消えてしまう。事故なのか、失踪なのか、それとも自死なのか・・・。幸福な日常を波にさらわれ、喪失の深い溝に落ちていくマリー・・・。
 昨年「焼け石に水」「クリミナル・ラヴァーズ」 を観て、その独特な世界観に魅了されたフランソワ・オゾン監督の新作は、ベテラン女優シャーロット・ランプリングを起用しての"喪失の痛み、悲しみ"を描いた作品だ。今年はホントにこれがテーマになっている作品を数多く観ているな〜。
 今回は長年連れ添った夫が目の前から急に姿を消してしまい、その現実を受け容れられずに側にいつも夫のまぼろしを見て、そのまぼろしと共に生きていく妻マリーが主人公になるわけだが、こうやって突然大切なものを失ってしまったとき、しかも絶望視されているとはいえ、その失った理由も生死も明らかでないとき、人間はそれを受け容れて生きていくことが出来るのだろうか(内容としては全然違うけど、ちょうど隣国のとある問題が思い浮かんでしまったりして)。この作品のマリーのように、現実を受け容れず、いつもと変わらぬ日常を送っていくということもありなのかも知れない。傍からみると徐々に理性を失っていくかのように見えてしまう彼女の立居振舞いも、彼女にとってはそうすることでしか自分を保てない、そんな思いがあるのかも知れない。ということは、実は心の奥底ではジャンの"死"というのを自覚しつつも、それを認めてしまうことで完全に孤独になってしまうことに対する恐怖感、そんなものがあるのだろうか。そんなマリーをシャーロット・ランプリングが抑制の効いた演技で好演している。作品としては地味に、そして淡々と描かれているのだが、それでも作品全体の持つ雰囲気と彼女のこの演技とが相俟って、最後まで引っ張っていってくれる。そんな地味な作りの中に、マリーが妄想と共に自慰に耽り、明らかにジャンのものと思われる腕と他の男性の手が彼女の身体を弄るシーンなどが出てくると、一瞬ドキリとさせられたりして。この辺がオゾン監督らしいな〜などと妙に関心(笑)。
 そしていよいよラスト。果たして彼女はこの現実を受け容れるのか、それともこのまま現実を受け容れずにずっとジャンのまぼろしと共に生きていくのか(このことは、すなわちマリーが壊れていくということを意味すると思う)。その疑問に対してオゾン監督が用意した、海岸で彼女が涙を流し、ジャンのまぼろしに駆け寄るラストシーンは、涙を流すことで現実を受け容れ、それと同時に彼女の心の中でジャンの思い出はいつまでも生き続ける、すなわちすべてを受け容れた上でのまぼろしとの"共生"を暗示しているのだろうか。とても静かな余韻の残る印象的なラストシーンだった。オゾン監督の作品って、いつもラストシーンが印象的なんだよね。33歳の若さでこういう枯れた味わいの作品を撮れるのって、実はスゴイことなのかも。
 もっとも、このラストがあまりにも綺麗過ぎるということならば、結局マリーは現実を受け容れられず、ジャンのまぼろしを見たまま壊れていくなどという意地悪な見方もできたりして(笑)。でも、そうすることで彼女にとっての"永遠の愛"を得ることができた、な〜んていうのはやっぱダメかしら?

まの目次へ   INDEX